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真っ先に駆け出したテンは、廊下の突き当たりにある談話室の入口で立ち止まった。セルの余波から視界は霧がかかったようで、そのままの速度で駆け抜けるのは躊躇われる。「テン、大丈夫か?」
追い付いてきたルイスに覗き込まれて頷いた。視界は悪いし耳鳴りは酷いしセルの臭いが不快ではあるが、些細な問題だ。
テンから室内へと視線を移したルイスが、首を傾げる。
「あれは…代表?」
「え?ユークリッド?」
驚いたようなルイスの呟きに、意味が無いことを知りながらもテンは目を凝らす。
セルを感知しないルイスは普段通りに部屋を見渡せるが、感知能力の高いテンはそうもいかない。加えて、ただでさえ気配を察知させないユークリッドの居場所を特定するのは至難の業だ。さすがのテンも、姿を捉えるまでに数秒を要する。
「帰宅早々、騒がしいと思って来てみれば…酷い有り様だな」
乗っていた卓の上から軽やかに飛び降り、近付いてきたユークリッド。可愛らしい黒猫の姿をした義父を視線の高さまで抱き上げて、テンは首を傾げる。
「入口の足跡って、もしかしてユークリッドの?」
「いや、今来たばかりだが?」
「じゃあ、今の鳴き声は?」
「私も聞き付けて様子を見に来たところだ。…というか、下ろしたまえ」
正体不明の鳴き声を聞いたユークリッドは、咄嗟に木を駆け上がって割れた窓から部屋に飛び込んだらしい。
抗議も虚しく、そのまま抱き抱えられる体勢となったユークリッドは、諦めたように尻尾を揺らして言葉を続ける。
「…鳴き声の主だが、どうやら屋根裏へ入ったようだ」
「屋根裏!?」
告げられた状況にテンが露骨に嫌な顔をし、ルイスも厄介そうに眉根を寄せた。
「そんな天井の低い場所、移動するだけで疲れるじゃん…!」
物置ですらない屋根裏は、人が入ることを考慮した造りにはなっていない。1.5m程の高さしかない空間を大人が長時間うろつくとすれば、中腰という身体に負担のかかる体勢を続ける必要があるのだ。
テンもルイスも体力はある方だが、長時間の中腰姿勢はなるべく遠慮したいというのが本音である。
どうしたものかと考えを巡らせれば、徐々に背後が騒がしくなる。
「そんなに怒ることねぇじゃん。たかが本だろ?」
「歴史的価値を知りなさいと言ったでしょう」
「全くだ」
そんな会話を繰り広げるシセイ・ウィリアム・ハチヤを先頭に、踊場に残してきたメンバーが追い付いてきた。
エルヴィは再び体勢を崩すことを危ぶんだのか、クライドを肩車するのは止めたらしい。後ろから抱き抱えるようにくっついている。ミレイユはいつも通りに何回か転びかけたのだろう。リミルトに手を掴まれているが、不服そうだ。
談話室に入ってきたそんなちびっこ達の姿に、テンの視線が留まる。
「…シセイは余裕だよね」
「は…?何がだよ」
値踏みするようなテンの発言に、シセイは一歩後退る。横で説教をしていたウィリアムも言葉を止めて顔を上げた。
「ハチヤ…はギリギリ?クライドは顔色悪いし、ミレイユは転ぶからな…どうだろう」
自分に視線が移り、ハチヤは視線を逸らす。クライドはエルヴィの後ろに隠れ、ミレイユは不思議そうに首を傾げている。
テンは少し考えるように黙り込んでいたが、ひとつ頷いて口を開く。
「そこのお子様たちさぁ、ちょっと冒険してみない?」
埃っぽいけど、と微笑むテンの目は完全に仕事モード。ちびっこたちが選択できる行動は、彼女の中でひとつしか用意されていないようだ。
2012/08/25
制作:名月魚々