情けは無用
周囲に立ち込めるセルの匂い。発生源は粗方捕まえたものの、いくつかは方々へと逃げ延びてしまった。戦闘の傷跡が残る廃墟で、壁に背を預けてしゃがみ込む影が一つ。師匠が見れば容赦なく攻撃を加えそうなのだが、大切に扱うべき相棒である銃は無造作に床へ放られている。
口元を手で覆い、静かに息を整えているシセイを一瞥したイルは、小さくため息をつく。ゆっくりと歩み寄れば、シセイはすぐに顔を上げた。
「あんたは何ともないわけ?」
「まあ、セルとは距離をとっていましたからね」
一緒にしないでほしい、と表情が語っていることに気付き、シセイは苦笑いを浮かべた。武器が銃であるにも関わらず、癖で敵の懐まで飛び込んでしまう自分が悪いのは明白だ。
シセイがため息をつくと同時に、足音が廃墟に響く。
「あー、もう! 逃げられた!」
肩を怒らせて近付いてくるテンから、イルは自然に距離をとる。が、座り込んでいるシセイには、そのような芸当が出来るはずもなく──
「何? また、シセイの体調不良のせいで逃げられたわけ?」
ガッと襟元を掴んで引き寄せられた。
「ちょ、テン!?」
「体調不良を理由に逃がすとか、何?」
強く揺すられ、シセイの頭は前後に揺れる。
前へ動けばテンの頭と、後ろへ動けば壁とこんにちは、だ。流石にマズそうだと思ったイルは、そっとテンの肩に手を置いて静止を促す。
「あー、頭痛い」
それは、セルを取り逃したことなのか、シセイと頭をぶつけたことが原因なのか。
乱暴に床へ放られたシセイは、完全に床へ寝転がっている。が、痛む頭を抱え込める程度の意識は保てているようなので、イルは放置を決めた。
まだブツブツと文句を口にしているテンを刺激しないよう、言葉を選ぶ。
「セルは」
「3セコンド捕まえた。けど、後は逃げた」
単語しか発していないのに、彼女の琴線に触れてしまうものだったらしい。せっかく止まっていた、シセイへの制裁が再開される。
「大体さ、イルだって全部の感覚でセル関知してんの! 一個に特化してるからって直ぐにバテない!」
テンの頭は勿論、壁との距離も計算された前後運動。痛みは無さそうだが、かなり脳が揺れていそうだ。というか、確実に揺れている。
「テ……ン」
「何」
「吐きそ……」
「あっちでどうぞ」
荒れているテンは、酷かった。余程、セルを取り逃したことが悔しいらしい。
(さて、ここでシセイに手を貸してもいいものか)
這って動く気力もないらしいシセイは、ようやく手に入れた平穏の中、静かに息を整えているようだ。
イルが倒れず、シセイがバテている理由。それは、シセイが後先考えずに突っ込んだことに原因がある。
セルに好かれるという、仕事をする上では非常に有利な特徴を持つ7時の時計屋。平時ならば笑い事で済むセルとの逆鬼ごっこも、大量のセルに囲まれているとなれば状況が変わる。
今回は、シセイが突っ込んだことによってセルが彼に集中し、イルは集団から外れた存在を着実に回収していった。
全ての感覚を備えているといっても、普段とさほど変わらない数のセルを相手取ったイル。
一つに特化しているだけとはいえ、普段は相手取らないほどの数のセルに囲まれたシセイ。
体調の変化が顕著なのも、当然といえば当然だった。自分が立っているのはシセイが犠牲になったからだと思う一方、すぐにダウンする彼への呆れと今にも爆発しそうなテンへの恐怖もある。
「……まあ、大丈夫でしょう」
確証はないが、シセイはスラム街出身。生命力だけはきっとあるはずだ。いや、そうとでも考えないと、さすがに良心が痛む。
シセイが優しさに触れるまで、あと何分?
2012/04/05
制作:雲房十時さま