その行方は神のみぞ知る
しゃきん。しゃきん。蝋燭の灯りだけが頼りの薄暗い大聖堂。寒々しいその空間に、ただ、鋏の音だけが響く。
何かを切るわけでもなく、刃を擦り合わせるだけの行為。不意に吹いた風の冷たさに、彼女は手を休める。
「……あら?」
自分の記憶では、窓の外は赤く染まっていたはず。それが、いつの間にか漆黒に塗り固められていた。
「もう夜、ですか」
修道士や修道女達も声をかけてくれたならば良かったのに、と思わないでもないが、ぼんやりとしていたシスティナ自身に非はある。
北西に位置するイシドールス大聖堂。
システィナは、この大聖堂の助祭だ。テッセラクトの八方位に存在する大聖堂は、ホスティア誓教会にとって大切な場所。当然、その司祭や助祭ともなれば敬意を払われる対象となる。
とはいえ、今回は「助祭様が瞑想をしておられるようだから、邪魔をしてはいけない」というような、優しさからのシスティナ放置ではない。
「……まあ、怖いですよね」
自らの手に馴染む聖遺物──アポロニアの鋏の刃が、揺らめく炎に光った。
同時に、大聖堂内に足音が響く。
システィナは祭壇近くの椅子に座ったまま。修道士や修道女達は夕食だろうし、司祭は遠方の祭事に呼ばれていて今夜は帰ってこないはず。となれば、来訪者は限られてくる。
そしてそれは、徐々に強まる薔薇の香りと共に、確信へと変わった。
「ルーアン様、どうしてここへ?」
「たまたま近くへ来たからな」
ごく自然にシスティナの隣に座った彼──ルーアンは、彼女にとって兄のような存在だ。誓教会内における立場など関係がないように、彼は「たまたま」と称して頻繁にシスティナの元を訪れていた。
それ自体ははありがたい。だが、彼の肩書きは枢機卿。教主に次ぐ立場である彼の来訪は、周囲に緊張感を与えてしまう。
運悪く出くわしてしまった人がいないことを祈りながら、システィナは鋏を手持ち無沙汰に再び鳴らす。
と、ルーアンは小さく笑う。
「ああ、それでか」
「何がです?」
「さっき会った修道女が、気をつけろと」
祈りは少々遅かったらしい。
「まあ、確かにぼんやりとしていた私に非はありますが……そんな、人を猛獣のように扱わなくても」
その時、タイミングよくシスティナの腹が空腹を告げた。
「くくっ。飢えて本能に従う猛獣ほど、恐ろしいものは無いだろうな」
「ルーアン!」
赤く頬を染めながら、思わず昔のように名を呼んでしまったシスティナ。すぐに立場や場所を思い出して顔色が変わるが、彼はそのようなことに拘らないからと自分を納得させる。
「う、飢えは認めます。ですが本能に従ってというのは……」
「ぼんやりとしていた、と聞いたが?」
何かが起これば反射的に──つまりは本能的に行動する状態であったのではないか。そう問われると、否定しづらい。
「……そんな、私はこの鋏を攻撃などには使いませんよ」
「知っている」
だが、使い道によっては裁断者にも引けを取らないであろうことは、二人とも理解していた。
自然と訪れた沈黙を破ったのは、小さなルーアンの声。
「……少し遠いが、美味しい店を見つけた」
「それは、外食のお誘いですか?」
頷く彼を横目に、システィナは窓の外を確認する。枝にしがみついていた葉が、風に舞う。非常に寒そうだ。出たくない。少し遠いだなんて、尚更だ。
かといって、今から食堂へ行ったところで、大したメニューは残っていないだろう。
立ち上がったシスティナを、ルーアンはどこか不安げに見上げる。
「司祭様のいない今夜、助祭である私がここを離れるわけにはいきません」
「……そうか」
「ですから、厨房を借りて何か作りましょう」
また今度誘ってください、と付け足した頃には、ルーアンの落胆した表情は一気に幸せそうなものへと変わっていた。
手伝いを申し出る彼を何とか止め、システィナは祭壇の蝋燭を消す。慣れ親しんだ大聖堂なのだから、暗闇でも問題ない。幸いなことに今宵は満月。窓から差し込む月光だけでも、歩むべき道は見える。
つかず離れずの距離を保ちながら寄り添い歩く二人。
それを、聖女の像だけが微笑みを浮かべながら見つめていた。
2011/12/22
制作:雲房十時さま