05
天気は快晴。窓から覗く空は透けるように青く、地上で何が起ころうと関係ないとでもいうように、爽やかに頭上を覆っている。そんな無情にも綺麗な空の色にアニタはふっと息を吐き、窓へと向けていた視線を手元の書類に戻す。
私用で出てしまっているユークリッドの代わりに、机に積まれた書類に目を通して署名をする。尤も、猫の姿であるユークリッドに署名をすることは不可能であるから、その一点は常にアニタの仕事なのだけれど。
署名を終えた書類を整えようとペンを置けば丁度よく、扉が乾いた音を2度響かせた。
「失礼します、総監」
ノックの後に入って来たのは、いつもより幼い顔立ちをした実行課所属のヴィオレントと情報課所属のトゥーリア。
今朝テンから報告のあった、本部に侵入したセルのせいだろう。その容姿は2人が計時機関へやってきた十代半ば頃のもので、少し懐かしさを覚える。ヴィオレントは結ぶ必要のないくらいに短くなった髪を面白そうに指で遊ばせているが、トゥーリアは低くなった視線に落ち着かないのか眉間に皺を寄せている。
そんな対照的な2人に視線で報告を促せば、やはり正反対の反応が返ってきた。
「実行課は該当者ゼロですよ。そもそも政府からの警護要請もあって、大半が出払ってますけど」
「…情報課も該当者はいませんでした」
あっけらかんとした調子で告げるヴィオレントと、険しい面持ちで報告するトゥーリア。
ドールの可能性が高いというテンの報告に、まずアニタが指示したのは当然ながら本部内の人間から該当者を洗い出すことだった。しかし結果は、いましがた報告された通り。この分だと残りの2課にも引っ掛かる人物はいなさそうだ。
「医務課と研究開発課には?」
「はい、ヴィクトア課長が今…」
念のためにと訊ねたアニタにトゥーリアが返答し終えるより早く、ノックもなしに扉が開いた。
「待たせたね、総監」
噂をすれば、というやつだろうか。入ってきたヴィクトアは、やはりセルの影響なのか、いつもより長い髪を邪魔くさそうに掻き上げて息を吐く。
「やれやれ。研究開発課は相変わらず引きこもりが多くて敵わないね」
「過程はいらないわ、結果だけ報告して頂戴」
突き放すようなアニタの言葉に、肩をすくめるヴィクトア。手にしていた書類をアニタの前へ滑らせた。
「医務課・研究開発課ともに、該当者なしだ。幸い頭脳に影響はないようだから、研究開発課はいつも通りに仕事に没頭させて頂く…と。
医務課は個人に一任することにしている。特に私はセルによる不可解な現象などには興味がないのでね。
報告は以上だ、失礼させて頂くよ」
淡々とまくし立て、役目は終えたと踵を返したヴィクトア。その背中とアニタとを見比べて、トゥーリアが戸惑ったように口を開く。
「…いいんですか?」
「別にいいわよ。タイマーが増えたところで状況は改善しないわ」
タイム・セルは時計屋にしか感知できない。対象のわからない状態では、タイマーはいてもいなくても変わらないというのが実情だ。
「…さて、どうしようかしら」
現在、本部にいるのは異変を報告してきたテンに加え、ミレイユ・シセイ・ハチヤにクライド・エルヴィの双子のみ。他は数日前から今朝にかけて、割り振った仕事へ出掛けてしまっている。
「チェリアは非番だけど…来ないでしょうね。総じて4時は気分屋さんだもの」
連絡だけはしてみるようにと指示すれば、懐から電話を取り出しながら首を傾けるヴィオレント。
「ジャンはお堅いからなー。リーヴィオでいいですか?」
「駄目です」
アニタが何か答えるより早く、トゥーリアが否定する。
「ヴィオレントさんがリーヴィオさんと話すと、高確率で無駄話が始まるので非効率的です。私がジャンさんに電話します」
貸して下さい、と電話を奪い部屋の隅へと移動するトゥーリアを見送って、ヴィオレントはアニタへと視線を戻した。
「ともあれ、本当に誰も帰って来ないんですか?」
「どうかしら?予定通りに事が運べば、12時間以内には全員帰ってくるはずよ」
返答しながら窓から中庭を見下ろせば、中央に位置する噴水の周囲へと集まる複数の人影。
天気がいいからと集合場所を外にしたが、正解だった。時間と体力を持て余して広場内を駆け回る双子や、シセイを着せ替え人形にしているテン。
争いとは無縁な時間を楽しむ時計屋の面々に笑みを浮かべ、しかし、直ぐにため息を吐く。
「入り込んだのがドールであるのなら、とりあえず気配を辿るしかないわけだけれど…テンに頑張って貰うしかないわね」
イルが出てしまっている今、気配まで感知出来る時計屋はテンしかいない。そして今のところ、テンが感知する方向だけを頼りに駆け回って発見するしか方法がないのだ。
どうしようもないと言えばそれまでだが、面倒くさいことになったものだ。
時計屋との連絡係として一足先にヴィオレントを送り出し、ジャンへ連絡を取ったトゥーリアからチェリアはやはり来なさそうだということを告げられる。説得はしてみるとのジャンからの伝言に頷いて、とりあえず仕事を片付けてしまおうと再びペンをとった。
「…今回の鬼ごっこは、いつ終わるのかしらね」
頑張って、と窓越しの景色に呟いて、アニタは書類を引き寄せた。
2012/03/09
制作:名月魚々