「ちょっとそこに座りなさい」
誰もいない屋上前の入り口。
恐ろしいほど低いその声に、小太郎はハイ。と小さく応えて素早く正座した。目の前の彼女――渚(なぎさ)にとつぜん、呼び出されてここに来たのだ。渚の表情は親の仇にでも会ったのように深く、険しい。彼女が怒る理由は何だろうか。
小太郎はその疑問に多少なりとも心当たりはあったので、必死に原因を考えた。
ひとつ。一時間前の授業で貸りた教科書に渚をバカにした落書きを書いた。
ふたつ。移動するときに渚の方に向いて変顔をして笑わせた。その時、渚は変にむせてげほげほ言っていたような気がする。
みっつ。大きな風が吹いたときにパンツが見えた。でも保身のためにパンツ見えてないよって嘘をついた。
よっつ、よっつめ。なんだろう。思い当たらない。わからない。
頭の中でぐるぐる考えている様子を見て取れたのだろう。渚は眉をひそめて舌打ちする。怖い。自分から告白して付き合ったはずなのに、自分の彼女がめっちゃ怖い。小太郎はヒエッと変な声が出て身震いする。
「私がどうして呼び出したのか、本当にわからない?」
「わかりまひぇん」
噛んだ。
っくそ。めっちゃ格好悪い。わかりません、と言ったらもっと機嫌が悪くなるかと思ったが、渚は唇を噛んでじっと小太郎のことを見つめた。
え? 俺、何か言葉を間違えた?
「…………本当に?」
渚の表情が、だんだんと悲しい表情に変わっていく。小太郎は彼女の名前を呼んで、首を傾げる。怒っているんじゃなかったのか? 渚はとうとう押し黙ってしまった。反射的に怒られると思って正座をした小太郎だったが、冷静になってみるとこういう時の彼女はたいてい、何かに悩んでいた気がする。小太郎がそれに気づいたとき、渚は、
「えっ!? ちょっ、渚。どうしたんだよ」
ぽろぽろと涙を零し始めた。
小太郎が立ち上がって目線を同じにしたとき、渚の何かが崩壊したのだろう。彼女は子供が泣きじゃくるように、手で顔を覆いぽつりぽつりとそのわけを話し始めた。
「……こた、最近、一緒に帰ってくれないし。こないだは、知らない女の子と一緒に歩いてるし……っ。私のこと、嫌いに……なったの……かなっ、って、思って」
「はあ〜〜〜〜?」
小太郎は絶句した。
最近、一緒に帰っていなかったのはバイトが忙しかったり、友達とバスケをして帰ったりしてただけだったのに。しかも知らない女の子について覚えがない……いや、もしかして、バイト先の先輩か!? ああ、くそ、バカ。嫌いになんて、なるわけないだろう。なんでそんな風に思うんだ……あ。
勘違いをさせていた、そして、不安にさせていた。さらには、理由ひとつひとつを渚に伝えていなかったことに、小太郎は今気が付いた。どこからか聞きつけたのか、階段から覗いたクラスメイトが「小太郎が渚を泣かせてるー」とからかってくる。これじゃ、見せしめだ。
ああもう。
「……ごめん」
小太郎は、頭をがしがしとかきむしってそう言った。
「お前のことは嫌いになったりしてないし、これからもなったりしねえから、その……心配するな」
小太郎は、小さくそう言った。