「おはようございます」
薔薇の花に水をあげていると、通り掛けの少女に声をかけられた。まだ誰も起き出していない街並みに、ピンクブロンドの髪とエメラルドグリーンの丸い瞳が僕の心をぎゅっと捕らえた。空になった如雨露を足元に置いて、軽く頭を下げる。知らない女の子じゃあない。僕の家の通り、かどっこにある新しい家に住んでいる子だ。
彼女に見つめられて、頬が熱くなっているのがわかる。
少女は毎朝、この時間に散歩をしているのを知っている。毎日同じ時間に、同じこの通りを通って、同じように僕に挨拶をして通り過ぎる。
「それでは」
地面に降り立っていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。もう帰っては来ないだろう。彼女の後姿が朝日に向かって遠ざかっていくのを見て、僕は思わず声をかけた。
「リズ」
それはまさしく、彼女の名前だった。彼女は僕にとって「知らない女の子じゃあない」んだ。小さい時からの幼馴染で、ハイスクールまで一緒で、いまだに同じ街に住んでいるご近所さんで、友達で、僕の大切な人なんだ。
でも。
「……え? どうして、私の名前をご存じなんですか?」
「……」
振り返ったリズの顔が曇った。訝し気にこちらを確認するように、そばかすだらけの僕の顔を見た。彼女は僕の事を知らない。それは名付けるならば、消しゴムだ。記憶の消しゴム。
毎日、挨拶をして顔を知るのに、彼女は覚えられない。