ごしゅ悪番外編(はじめてのおつかい)

「本当に、一人で大丈夫かい?」
「はい!」

 支配人のリラは、心配そうにオランジュに言った。そんなリラの不安を他所に、オランジュと呼ばれた少女は元気よく返事をする。少女がこのホワイトブルク家にやってきて早三日。メイドとして働き始めた彼女の最初の仕事は、街へおつかいに行ってくること。屋敷へは一日に二度ほど荷台を乗せた馬車がやってくるが、料理場で足りないものに気づいて、急遽手の空いていたオランジュに頼むしかなかった。

「ちゃんと紙にリストを書いておいたから、その通りに買って帰るんだよ。オーケイ?」

 まだあどけない少女に向けて人差し指を立てるリラに、両の拳を前にして「大丈夫です!」と返事をするオランジュ。彼女に大丈夫と言われると余計に不安になるのはなぜだろう。心配がないといえば嘘になるが、今回頼んだものはたったひとつ。来客用のデザートに使うシナモンだけだ。

「いってきまーす!」

 太陽が温かく出発する少女を照らす。風も柔く心地がいい。はしゃぎながら手を振り返すオランジュを見送ると、リラの後ろに二つの影が現れた。

「わかっているよね、二人とも」
「はい……」
「ちっ、めんどうくせぇな」

 黒髪黒目の大人しそうな青年と、顔に傷のある緑のおかっぱの若い女性。リラは目を細めると、あくまでも明るく振舞って女性に言った。

「ノンノン! グリューン、そう言わないの。君だって最初の仕事をしたときは、庭の枝木を全部切って丸坊主にしただろう」

 グリューンと呼ばれた女性は、うぐっとばつの悪そうな顔をして唸った。後輩の初仕事を見守るのは、先輩使用人の役目。リラは庭師兼警備のグリューンと、家庭教師であるシュヴァルツの二人に、オランジュの後をついていってもらうように頼んだのだ。

「ま、二人が居れば大丈夫だと思うけれど……頼んだよ!」

 ウインクをするリラに、弱気なシュヴァルツは嫌な予感しかしなかった。

 橙色の屋根が並ぶ街並みの向こうで、時計台が鐘を鳴らしている。街の商店街は、いつも人で活気づいていた。

「うーん……」

 無事に街に着いたオランジュはきょろきょろと左右を見回す。リストに書いているシナモンの店を探す彼女に、グリューンとシュヴァルツは頭を抱えた。なぜなら、オランジュの目の前にある店がその目的の店だからだ。少女は店どころか、店先に店主が居ることにさえ気づいていない。不安で涙いっぱいに震え出す様子に、グリューンもシュヴァルツも大きなため息をついた。
 ここまで来るのに、実は大分時間がかかっていた。一本道しかない道を外れて迷子になるわ、よそ見をした瞬間に道草を食うわ。やっぱり嫌な予感は当たったと、シュヴァルツは頭を掻きながら思った。

「仕方ねぇなぁ、もう」
 グリューンが小さな石を拾い、店主に向かってヒュッと投げる。

「あいたっ。誰だ! ……おや、君は」

 髭もじゃの店主が振り返って叫んだところで、二人は物陰に隠れた。中年の男が突然怒鳴ったものだから、オランジュはその場で縮み上がってしまう。店主は彼女の特徴をリラから聞いていたのだろう、彼が気づいてくれたおかげで、オランジュは店内へと招き入れられた。

「それで、何を買いにきたんだい?」
「ええと……そのう……」

 もじもじと恥ずかしそうにしながら、籠の中のリストを取り出す。シナモンと書かれたそれは、握りしめていたせいか滲んで読めなくなってしまっていた。じわわ、とオランジュの瞳に再び涙が浮かび上がる。

「あのバカ……」

 グリューンとシュヴァルツは窓から様子をうかがっていた。オランジュは、いつもの元気が嘘のようにおとなしくなっている。

「そうだ! そもなし……。そもなしを買いに来たんです」
「そもなし? そんなものはうちには置いてないが……」

 店主が首を傾げてしまって、オランジュはどんどん自信がなくなっていく。シュヴァルツはもしかして……と苦笑しながら紙に書いた。
「シナモンを反対から読んでる?」
 グリューンは空を仰いで脱力した。ここまできてシナモンひとつ買えないとは。先輩使用人は窓から店主に向けて合図を送り続けた。し、な、も、ん。困っていた顔の店主は、びくりと窓を見て驚いたが。やがてコワモテの女性と根暗な男性の謎の訴えに理解してくれたようで、にっこりとウインクを送り返してくれた。
 ――早く帰りたい。
 二人はげっそりとした様子で店の壁にもたれるのだった。

 扉の鈴の音とともに、オランジュが店から出てきた。自分で買えたことがとても嬉しかったのだろう。急いでリラのもとへ届けよう。そう思い、店主に礼を言い踵を返した。その時。

「ってぇな、クソガキ」

 強面の男とオランジュがぶつかった。小柄な彼女は地面に転がり尻もちをつくと、見上げた大柄な男に真っ青になった。震える唇で、何とか紡ぎ出そうとするが言葉にならない。見れば零れたシナモンが彼の衣服を汚している。

「あ……あの……ごめんなさ」
「どう落とし前つけてくれんだ? あ?」

目にいっぱいの涙を貯めたオランジュに、太い腕が伸ばされたとき。ふわりと暖かな腕に抱きすくめられたかと思えば、男の情けない叫び声が頭上に響いた。

「い、いてぇぇッ!?」
「グリューンさん!? シュヴァルツさん!?」

 男の腕を捻り上げ、軽々と投げ飛ばしたおかっぱ頭。自分を守ろうとする細身の青年の登場に、オランジュは目を真ん丸にして声を上げた。

「このまま帰ろうと思ってたが憂さ晴らしに丁度いい。貴様、私が相手になってやる」

 後輩の落とし前は先輩がつけるもんだ。獣のような鋭い眼光が笑ったのを見て、男は肌寒いものを感じ逃げて行く。この根性なしがと吐き捨てるグリューンに、シュヴァルツは心底ほっとした。彼女は屋敷に勤める前は男性騎士に交じり、男に劣らぬ功績をあげた戦士だったと聞く。いくら自分が男とはいえ、グリューンが本気で暴れ出せば手に負えない。インドアで貧弱な自分なら、尚更。

「怪我はない?」

 青年は少女にしか聞こえない声で尋ねた。オランジュはこっくりと頷くと、静かに立ち上がる。そして単純な疑問を二人に投げかけた。

「どうしてお二人がここに?」

 きょとんと首を傾げたオランジュに、大人二人は気まずそうに顔を合わせるしかなかった。ええと、と家庭教師が言い訳を口にしようとすると、少女はぱあっと笑顔を向ける。

「もしかして、お二人もおつかいですか!?」
「そうだよ……」

 グリューンは全身の力が抜ける思いで、呟いた。

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