ホームルーム

 その日のホームルームは、いつもと様子が違っていた。
 いつもなら教師が言っても落ち着かないざわめきが、今日はしんと張りつめた空気に覆われている。

 一番前の席にいた矢野ありさは、その緊張感に吐きそうだった。何も悪いことをしていないけれど、そわそわしながら俯いてしまう。まるでパトカーとすれ違う初心者ドライバーのように。

 ホームルームは、いわば学級の公開処刑だ。その日のできごとを挙手制で報告し合い、裁きを皆で行う学校の闇。学校生活を送る中でルールを破ったり、悪い事を行ったものは「見ていた誰か」によって、この時間に裁判官へ告げ口をされるのだ。

「では、今からホームルームを行います」

 進行役であり学級委員長の野口が言った。
 野口は真面目を絵に描いたような少年で、成績はいつも優秀。知識で彼に敵う小学生はいない。憐れなことに、厳しい家庭教育のためか頭には若白髪が目立っていた。

「まず初めに。今日の頑張ったで賞を決めたいと思います。この人だと思う方は挙手をお願いします」

 頑張ったで賞。とは、その日中に善業を行ったもの、あるいは授業でいつもより活躍していた人間に送られる栄誉ある賞だ。ありさはその賞を取ったことが一度だけある。
 その日はたまたま早起きをしたおかげで、教室の花瓶の花を変えることができたのだ。それを見ていたミニバス部員のクラスメイトに報告されて、照れ臭くなったことを覚えている。

 今日の頑張ったで賞は、落ちていたゴミを拾った鈴木に決まった。鈴木は席を立つと得意げに頭をかいてぐへへと笑っている。いつもは廊下で走っているか、逆立ちで窓ガラスを割るかしか能がないクソガキ(男子)だというのに。

 鈴木に拍手が送られた後、緩んだ空気が一変したのだ。頑張ったで賞の後は、罪人を裁く時間。「みんなのできごと」の時間である。野口は眼鏡を親指でくいっとあげると、先生に目配せをして頷いた。

「今から皆さんにアンケートを配ります。終わったら先生が順番に回収しますので、書いたら裏を向けてそのまま待ってください。絶対に他の人の回答を覗かないでください」

 皆がざわついた。
 アンケートなら今までもしてきた。交通アンケート。お小遣いの調査。勉強時間のアンケート。しかし、今日のアンケートはいつもと様子が違う。ありさは安物の用紙に印刷されたプリントを後ろの人に回しながら、不思議に思った。

 ――やけに神経質すぎない?

 2Bの鉛筆を持ち出して、配られた用紙の第一問目の質問に目を通し、ありさは驚愕で目を見開いた。

『問1 あなたは万引きしたことがありますか』

 万引き。
 その三文字に心臓がどくんと跳ね上がる。
 頭の中に浮かんだのは、教室の一番後ろ、ベランダ側のすみっこの席の水沢由香のこと。由香はありさと小学一年生の時から同じクラスで、とても大人しく優しい女の子だ。由香の存在を斜め後ろに感じながら、ありさは「いいえ」に丸をつける。
 万引き? 万引きだって。したことある?
 教室のざわめきが一層大きくなった。野口と担任の先生の注意が飛んで、再び静かになる。ありさは唇を噛みながら用紙を睨んだ。

 先日の塾の帰り。買い食いは親にも止められていたが、高校生の姉からこっそりもらったお小遣いがあった。成長期のありさは、そのはした金でからあげを買おうとレジに並んだ時に見てしまったのだ。由香が文房具売り場にあったボールペンを鞄に入れたところを。
 ありさはびっくりして由香に声をかけた。由香ちゃん、何してるの。肩を震わせた由香は、ボールペンを売り場に戻して店を出て行った。それきり彼女とは気まずくて、話をしていない。

 教室の中で、カリカリと紙に尖ったもので引っかく音があちこちから聞こえて来る。みんな、アンケートに答えているのだ。その中で、由香はこのアンケートにどう感じて、何と答えているのだろうか。次の質問にありさの鼓動は早まり、額に汗が浮かんだ。

『問2 あなたは万引きをしている友達に、注意をしたことがありますか』
『問3 それは、どんな時ですか』

 鉛筆を持つ指先が震える。この問いに答えたら、色々なことがどうなってしまうのか。ありさは恐怖に打ち震えた。
 ありさの字は特徴的ですぐわかる。丸っこくて、握力が強いから字が濃くなる。友達にも「ありさちゃんの字は、ありさちゃんの字ってすぐわかるから面白い」と今朝言われたばかりだった。もし、この回答に「はい」と答えたならば。矢野ありさの字だと解明した先生に職員室に呼ばれたりはしないだろうか。呼ばれたあげく、先生にこの注意した友達はどこの誰なのか、教えて欲しいと言われたら。ありさは由香の罪を先生に報告しなければならないのだろうか。
 友達を売る真似などできない。しかし、由香がしてしまった罪を自分の中で抱えきれるほど、ありさは心臓が強くなかった。

「あっ」

 からん、からん。
 握っていた手が汗でぬるぬるになってしまって、鉛筆がすっぽ抜けた。ありさの鉛筆は大きな音を立てて、床に転がってしまう。
 一斉に、クラスのみんながありさを見つめた。


即興小説トレーニングのお題
お題:許されざる沈黙 必須要素:ボールペン 制限時間:1時間

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