辺りが夕暮れで紫に染まっていく。
 子供達ははしゃぎながら家路へと向かい、そろそろ街の門が閉められるだろうという時間。とある仕立て屋から二人の男女が現れた。
 婚約者と偽り、ウエディングドレスを店に作らせているシロとブラウだった。
 続いて店から顔を出したのは、シロに振り回されてここ数日で疲れが見える店主と、お針子のオランジュだ。

「それじゃ、明日もよろしくね」

 薄暗い中に浮かび上がるシロの表情は艶やかで、ぞっとするほど美しい。毎日のように店に通い、やっとドレスのデザインを決めることができたが、店主にとってその気疲れと疲労は果てしないものだろう。
 かわいそうに。
 ブラウは使用人として、やや店主に同情の思いを抱いた。

 別れの挨拶を終えてシロとブラウは店を後にする。借りている家に帰ると、シロは早々にソファーにどっかとダイブして、さも疲れたかのような声でブラウに夕ご飯の催促を始めた。

「ブラウー、私、今日は牛肉の甘辛ソテーが食べたああい」

 ブラウは自分の名前が呼ばれる前から調理場へと向かっていた。シロが家の外と中で態度が変わるのは昔から変わらない。甘えられるのは悪い気分ではないが、せめてもう少し、今盛大に乱れているワンピースの裾をなんとか正して欲しい。

「そんなものはありませんよ」

 主人を冷たく突き放しながら、ブラウは調味料に漬け込んでいたゆで卵を取り出し調理を始めていた。牛肉なんてものはないが、付け合わせはチーズと葉物の野菜くらい、あとは安物のパンならある。ホワイトブルク家のコックほどの腕前はなくとも、一般的な家庭料理なら彼にも簡単に作ることはできた。

 鍋に水を入れ、調味料とカットした根菜類を入れる。沸騰させたら火を弱めて、あとは野菜に火が通るまで煮込めばいい。その間、パンの隙間に葉野菜、チーズ、漬けていたゆで卵をスライスして挟めばサンドイッチの出来上がりだ。

 お嬢様、と呼びかけようと振り向いて、急いで反対方向に向き直した。ワンピースの裾はさらに広がり、白い太腿が露出していたからだ。
 至って冷静に努めて、ブラウはシロへ呼びかける。

「……シロ様。みっともないのでソファーへはきちんと座ってください」
「え〜……」
「え〜じゃありません。僕は前を向いていますから、その間にきちんと座ってください。そうでないといつまでも夕ご飯が食べられませんからね」
「わかったわよ……」

 むむう、とシロが自分の背後でごそごそと動き回る音がする。やれやれと心を撫で下ろしたブラウに、シロが「もういいわよ」というのでブラウもサンドイッチを乗せた皿を持って、もう一度シロの方へと振り向いた。
 しかし、振り返った先にいたシロを見て、ブラウは盛大に噴いた。

「ちょっと! なんで膝を立ててるんですか! きちんと座って下さいと言ったでしょうに」

 寝転がっていた様は確かに正された。が、足を折りたたみ膝を立てているせいで、太腿が余計にあらわになっている。

「ブラウも見たいかなと思って」
「思っていません!!」

 思っていたより大きな声が出たブラウはごほん、と声を立て直す。シロは専属使用人の強制執行により、ソファーに正しく座り直された。

「これから、どう動かれるおつもりですか?」

 ブラウは共に食事をしながら、静かに食事をするシロへ投げかける。
 ほぼ毎日のようにオランジュがいる仕立て屋に通い、するはずのない結婚式のためにウエディングドレスを作らせている。一か月後に結婚するから、とドレスを作らせている。その一か月の期限まであと二週間。ブラウはその二週間後にシロが何らかの行動を取るのだろうと思っているが、当の本人からは何も指示がない。

「オランジュをあの店から引き抜くつもりなのは理解していますが」

 主人はこの街に来た時に言った。
 私は継母のオリーブに復讐がしたい。そのために散り散りになった使用人、七人を集める必要があるのだと。その必要な使用人の一人目が今、この街にいるオランジュなのだ。
 シロは小さな口でサンドイッチにはむりと大きく食いついた。五年の間に食事のマナーなど消え失せたかのように、パンの隙間からは野菜がぼろぼろと零れ落ちる。

「そろそろ僕にもご説明を頂きたいと思っています」

 ブラウが食事を終え、ナイフとフォークを皿の右端に寄せる。黙っているのは終わりだとでも言うように。真っすぐに見つめるブラウに、シロは黙って視線を彼に合わせた。

「いずれわかるわ」

 シロは言う。口端についたソースを舌でぬぐい取りながら。

「もちろんオランジュをあの店から連れ出すのは間違っていない……でもまだ。まだダメね。だってあの子、私たちの事をすっかり忘れてる」
「ですが……」

 ブラウはやや反論するように言った。

「シロ様の仰る復讐に期限がないとも聞いていません。オランジュを問答無用で連れて行き、その途中で思い出してもらえればそれでよいのでは?」

 シロは首を振って答える。

「それだと誘拐でしょう。それに私たちが彼女の記憶を引き出して、思い出してもらうには時間がかかる。できるなら自力で思い出してくれないと。そうでないと……」
「……そうでないと?」
「……寂しいわ」

 シロは珍しく眉尻を下げて笑った。いつの間にか、彼女も食事を終えている。食器を重ねて流し場へと運びながら、ブラウは短く「わかりました」と答えた。

「僕はこれから何をすればよろしいですか」

 その言葉の裏には、シロへの忠誠心が垣間見える。

「二週間以内に、この街の問屋で扱っている布や糸など、縫製に使いそうなものは全部買い占めておいてちょうだい」
「布ですか?」
「ええ。特に白は。あと明日、私のお金を使って屈強な男を二人ほど雇っておいて。ボディーガードとして扱うから、見てくれはなんでもいいわ。強そうで威圧感があればそれで」
「ボディーガードですか……」

 布と糸、ボディーガードの関連性について考えていたブラウに、シロはいたずらな笑みを浮かべて彼の顔を覗き込んだ。

「僕がいるのにボディーガードなんて雇わないでよ! ……とか、思っちゃった?」
「……な」

 さっと顔を赤くして「思ってません!!」と反論するブラウを、けらけらとおかしそうにシロは笑う。年下にからかわれたのだとわかると、ブラウはすぐに冷静さを装ってそっぽを向いた。

「安心して。私の傍に居て欲しいのはブラウだけよ。新たに雇う臨時のボディーガードさんたちには……ちょっとだけ、店に圧力をかけるための演技をしてもらうだけだから」
「また前回のように物騒な事にはなりませんよね?」

 ブラウが心配そうに眉を寄せ、腕を組みながら訪ねる。主人は立ち上がると艶やかな唇を弧に描き、窓の手すりにゆっくりと腰かけた。
 「大丈夫よ」と自信満々に答える彼女は、夜空に浮かぶ月に照らされて妖しく微笑むのだった。

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