翌日の朝。
 出発したブラウ達は馬車を借り、揺られて五時間経ってようやくゲルプがいるかもしれない「シャオ」の街に着いた。

 五時間ほどで馬車に酔う事はなかったが、オランジュがいた街「ガスト」からの途中、整備されていない道が多くかなりお尻が痛いのが辛かった。ブラウは片手で腰をさすりながら、シャオの街を囲う高い壁を見上げた。

「はわー……っ、大きいですねえ。私、こんなに高い外壁を見たことがないのですっ」

 オランジュが口をぽかんと開けたまま言った。シャオの街の外壁は十メートルを越える厚い石壁で、一番上には返しのような刃が光っているのが見える。これだけの高い外壁なら賊や他領の侵略が来ても、門を攻撃されない限りは突破されないだろう。
 逆にいえば、

「まるで監獄みたいね」

 ブラウの隣で、彼が思った言葉をシュネーが呟いた。
 ブラウが観光で隣町からやって来た事を門番に告げると、門番は訝しげな目をしたが通してくれた。側から見たら顔の整った男が一人と女が二人、どういう関係なのか疑問を持たれた事だろう。荷物チェックと書類の記入だけですんなり通されたのは、荷物が少なかったかららしい。

 街の第一印象は「入り組んでいる」だった。
 鉄の重厚な扉の向こうには、石畳で出来た背の高い家が何棟も重ねて建てられていた。
 横にではなく、縦に。どういう風に建造されているのかはわからないが、多くて五階建ての民家を見たブラウは、蟻の石塚を思い出していた。階層のある建物が何棟も四方に建てられ、メイン通りは人が所狭しと往来している。

「これは……何人かが集まって暮らしているんでしょうか?」
「そうみたいね。人口が多いんでしょう、あの壁を壊すわけにはいかないし、街の土地を広げるより高さを出した建物を作った結果、こうなったんじゃないかしら」

 シュネーが周りをきょろきょろさせながらオランジュの疑問に答えている。
 建造された集合民家はどうやって造られたのか、どうやって均衡を保っているのかわからないほど真っ直ぐに建っている。門からのメイン通りは広くとられているが、家と家の間は狭い。その間を住人が洗濯物を吊るしたり、井戸婆会議をしている様子がわかる。
 店は民家の一階に設営されているところが多く、店舗の前で呼び声をしている店員を多く見かけた。

「ひとまず今晩泊まる宿を借りておきますか? それとも、前回のように一部屋借りるようにしましょうか?……って、シロ様?」

 ブラウはシュネーに指示を仰ごうとしたがその姿はなく。声に気づいて振り返ると、少し離れた屋台で買い物をしているシュネーとオランジュの姿があった。

「いつの間に……」
「ブラウ! こっちの豚焼き、美味しそうよ!」
「ブラウさんは塩レモンダレと甘辛タレ、どちらがよろしいですか〜?」

 きゃっきゃとはしゃぐ乙女二人にため息をついたブラウだったが、その向こうにいた人物にはっと目を見開いた。
 店の片隅からお世辞にも裕福には見えない格好をした少年が、じとりとシュネーとオランジュを見ている。周りの民家をよくよく見ると、家々の隙間を行き交う人々は皆、薄汚く暗い顔をした人達ばかりだ。

 長年の経験で嫌な予感のしたブラウは走り出したが、遅かった。シュネーがお金を財布から取り出そうとした瞬間、一人の少年がシュネーに強くぶつかると、慣れた手つきでもう一人の少年がシュネーの財布を奪い取った。

「――あっ! ちょっと、待ちなさい!」

 シュネーが慌てて少年の手を掴もうとしたが空を切る。ブラウは顔を顰めて舌打ちをすると、財布を持った方の黒い髪の少年を追いかけた。
 少年は人混みの中へ紛れ込む。葉を隠すなら森の中といわんばかりに、小さな子供の姿は人混みの中へと消えてしまった。

「逃がさない」

 ブラウは完全に見失わないように、跳躍して石壁を蹴りその黒い髪を追っていく。後ろを振り返ってブラウを見た少年は飛び上がって慌てて逃げた。よほど撒けると自信があったのか、追いかけてくるとは思わなかったのだろう。身体能力の高さに驚いた人々は、何かのイベントだと勘違いしたのか手を叩いて喜んでいる。

 下級層で生きていた頃の経歴なら、ブラウだって持っている。けれど相手には地の利があるので早々に捕まえなければ逃げ切られてしまう。ブラウが走るスピードを上げた時、少年はブラウとの距離を少しでも空けようと、細い路地へとくっと曲がった。

 走っていく少年の跡をブラウが全速力で追いかけていく。その背中に聞こえるように声をかけた。

「悪いけど、その財布を返してくれないか! 大事な人のものなんだ!」

 少年は何も言わずにひたすら逃げていく。突き当たりが見えてきた時、少年は壁の隙間に滑り込んだ。抜け穴を作っていたのだろう。ブラウは大人の男でも登るのが難しそうな高い壁を左、右と蹴って、壁を飛び越えるように宙を舞った。その下には、壁をようやくすり抜けた黒髪の少年が、来た道を振り返っているところが見える。

 ブラウは前を向いた少年の目の前に着地して、手のひらを見せた。

「あ……っ」

 まさか、壁を乗り越えてくるとは思わなかったのだろう。少年は悔しそうな顔をして、ぎゅっとシュネーの財布を胸に抱き締める。
 それを諌めるように、ブラウが言った。

「さあ、もう鬼ごっこは終わりだよ。返して欲しい」
「…………っ」

 少年は口をへの字に曲げ隙を窺うように後退りをしている。両者しばらく見つめ合っていたが、少年はブラウの方をめがけて手に握っていたのだろう、砂を思い切りかけた。ブラウが油断したその隙に、彼の隣をすり抜けて逃げていく。

「っ、待っ……っ」

 待て、と言おうとして少年の悲鳴が聞こえた。逃げた方向を見ると少年の体は宙に浮き、それに連なって地面に長い影が伸びている。そこに居たのは、

「よお、ブラウ。久しぶりだな」
「ゲルプ……」

 シュネー達と一緒に探しに来た、かつての仲間のゲルプだった。

 探していた本人とこんなにも早く出会えると思わず、ブラウは面喰らってしまった。当の本人はお構いなく、黒髪の少年の首根っこを捕まえてにんまりと笑っている。

「ホイ、こいつからは何も取るな、さっきの財布は返してやれ」
「ええっ、でも、俺がせっかく……!」
「いーから。後で飯やるから返せ」

 少年の名前はホイというらしい。面識があったのか、会話からゲルプが面倒を見てやっているような間柄なのだろうとブラウは察した。ホワイトブルク家の屋敷で一緒に働いていた時も、歳上のゲルプが何かと気をかけてくれていた事を思い出していた。

 ホイはゲルプに財布を返すよう指示され反抗的な態度を取ったが、お腹が空いていたのだろう。後で飯をやるとのゲルプの言葉にしぶしぶと財布を差し出すと、どこかに消えて行ってしまった。

「ほらよ」

 ゲルプがこちらに投げた財布を慌てて受け取り、ブラウは改めてゲルプを見た。
 黄色の短髪、長身でひょろ長に見えるが服の下は精悍な体つきをしているのがわかる。着こなしからどこかやる気の見えないだらしなさを感じる雰囲気をまとった彼は、紛れもなく自分の知っているゲルプ本人だった。

「ありがとう、助かった」
「五年も経ったっていうのに、お前はあんまり変わらねェなァ」

 それはお前もだ、とブラウは思った。

「ゲルプこそ……今も見えていないのか? その目……」

 尋ねたと同時に暗がりの中に一筋の光が差し込み、ゲルプの顔を照らし出した。瞳を覆われたサングラスで、彼の目から表情は読めない。口元を三日月のようにしてニッと笑ったゲルプは思ったよりも快活に言った。

「ああ、なーんにも! うっすら光がぼやけて見えるだけだ。見えるっていう表現が合っているのかさえわかんねェけどな。で? どうした弟。こんなしみったれた街に来るなんて、何かあったのか?」

 ボリボリと頭を掻きながら欠伸をするゲルプに、ブラウは「そうだった」と思い出して彼に向き直った。彼を探す手間が省けたのだ。明快に説明し、シュネー様のもとに来てもらわなければ。

「ゲルプ、実は僕はシュネー様とオランジュと共にこの街に来たんだ。お前を探すために」
「……あ?」
「今お嬢様はホワイトブルク家に勤めていた使用人、七人全てを探している。僕はその手伝いをするために再びシュネー様と行動を共にしているんだ。……詳細は、後からシュネー様と合流した際に説明する。だからゲルプ、お前も……ゲルプ?」
「…………」

 反応がなくなって、ブラウは首を傾げながら尋ねた。腕を組んだまま押し黙っていた彼は、やがてはっきりとこう言った。

「嫌だね」
「……は?」
「俺は帰らない。ブラウ、お前からお嬢にもそう伝えておいてくれや」
「な……っ!? どうして……!」
「悪いな」

 そう言って、ゲルプは踵を返して去っていく。まさか一緒についてきてくれないとは微塵も心になかったブラウは慌てて彼を引き止めようとその名を呼んだ。けれど彼の名前を口にしたその時には、すでに彼の姿はそこにはなかった。

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