重く悲しい、鐘が鳴る。
 葬儀は粛々と行われた。空を飛ぶ鳥は、教会から墓場まで続く黒点に首を傾げる。参列は使用人だけではなかった。街の皆がゴルト伯爵と奥様を想って、喪に服した。

 誰も口を開かない。隣にいたシュネーは涙一つ流していなかった。ジルヴァの形見であるネックレスを胸元で握り締め、立ち尽くすだけ。それを見た人々は、幼いのにも関わらずなんと殊勝な、と泣いた。

 ブラウの耳に、静かな街に誰かの嗚咽と鳴き声が響く。心にぽっかりと穴が開くということは、こういうことなのかと他人事みたいに思ってしまう。
 ただただ、棺桶に入ったジルヴァは、もう二度と自分に笑いかけてはくれないのだと思うと頭を殴られる思いがした。穴を掘り、砂をかけ、埋まっていくそれを見ながら、ブラウはそっと目を閉じるのだった。


 屋敷に戻ってそれぞれの使用人が持ち場に戻る。そこで初めて、ブラウはシュネーが見当たらないことに気づいた。

「……お嬢様?」

 ブラウが辺りを見回してみると、背後でかたりと音が鳴る。人の気配に彼女だと感じ、音がした部屋へと歩を進めた。扉の前に立ってはっとする。そこは、ジルヴァの部屋だった。
 ……。
 中でシュネーがどういう表情をしているのか、どういう思いを抱えているかと考えると、ブラウの心は身につまされる思いがした。自然と眉間に皺が寄る。
 ――僕がこんなんじゃ、いけない。
 ふっと短い息を吐いて、ブラウはそっと扉を開いた。

「……失礼します。シュネーお嬢様?」

 部屋の中に確かにシュネーはいた。ジルヴァが寝ていたベッドは、伝染病が他に移らないようにするために一時撤去されていた。がらんと広くなった部屋の真ん中で、彼女は静かに本を読んでいる。ブラウは驚かせないようにゆっくりと近づいて、声をかけようとした。

「ブラウは悪役令嬢って知ってる?」

 口を開く前に、凛とした声に問いかけられる。ブラウは閉口して、その後ろ姿を見つめた。

「いえ……」
「今読んでる本にね、出て来るの。主人公の女の子の邪魔をするのよ。お金を使って、賢い頭と権力も使って、悪い仲間と一緒に悪いことをするの」

 どこから持ってきたのかわからないその本を読みながら、シュネーはぽつりぽつりと話し出す。

「でもね、結局最後にはその子たちのおかげで国の悩み事が全部解決しているの。みんな、強くてクールなひとたちだから。悪いひとたちなのに、不思議よね。……私も」

 そう言いかけて、シュネーは口を閉じた。ブラウはゆっくりとシュネーの前へと回り込んで、言葉を失った。

「私も……もう少し強くて、賢ければ……っ。お母様を守ってあげられたのかな……?」
「シュネー様……」

 大粒の涙が、シュネーの頬を滑り落ちる。ぱた、ぱたり、と本の一面が滲んだ。長いまつげの先から、早朝の葉から零れる朝露のように美しく、悲しい思いが溢れていく。

「そうすれば、お父様も悲しい思いをせずに、済んだのかもしれないのに。どうして、私は、何もできないのかな。どうすれば、お母様は死なずに済んだのかな……っ?」

 ブラウは思わず、その小さな体を抱きしめていた。
 震える肩を温めるように、自分の胸へ引き寄せていた。震えているのは彼も同じだった。シュネーの嗚咽が一層、大きくなる。少女はまだ、幼い。悲しくないはずがない。墓場で泣かなかったのは、父のためだったのだ、と今更気づいた。
 どうして、わかってあげられなかったんだろう。
 ブラウは心の奥底で悔いた。

 ジルヴァが亡くなり、父親であるゴルト伯爵が悲しみに暮れる今。彼女を支えられるのは自分だった。亡くなったジルヴァの代わりなど、できない。だからこそ、彼女の心の隙間を少しでも埋められるように、彼女の心を守りたいと強く思った。
 ブラウは唇を噛みしめた後、大きく息を吸い込んで、吐いた。

「シュネーお嬢様のせいではありません」

 はっきりと言った。

「そして誰のせいでもありません。奥様は伝染病にかかり、亡くなりました。その病はロートでさえも治すことはできませんでした」

 シュネーは黙って、ブラウの青い瞳を見つめていた。濡れた瞳の奥に、泣き虫の女の子が映る。少女は口をひとつに結んで頷いた。

「この死を無意味なものにしてはいけません。奥様はただ病に侵され命を終えたのではありません。シュネーお嬢様に大事なことを伝えようとしたのです。貴女は今、自分で自分に力がないと思った。だからこそ、学ぶのです。自分に足りなかったものは、何なのかを。そうすれば、奥様のような犠牲はもう二度とない。今度こそ、大切な人たちを守れる。伯爵様や僕たちと一緒に」

 そうでしょう? とブラウは困ったように微笑んだ。
 外はすでに暗くなっていた。見つめ合うブラウの背後に、大きな月が浮かんでいた。月の光に照らされて、銀色の髪が淡く光る。

 大切な人を失った穴は、そう簡単には塞がらない。大切なものを守る力をつけるには、突然の超人的な力に頼ることなどできない。毎日、自分に足りないものを探して、自分で身につけていくしかないのだ。
 シュネーはその気持ちを受け取るかのように真っ直ぐに青い目を見つめ、再び静かに頷く。幼いながらに、彼の言葉をそのまま受け入れる心が、彼女にはあったのだ。
 ブラウが彼女を守る誓いを立てた時のように、少女の胸の中に、彼女自身が誓いを立てた。

 もう一度、大切な人を守るんだ、と。


 ジルヴァが亡くなってから、半年。
 シュネーはあれだけ嫌がっていた勉強やマナーを習得するべく、シュヴァルツの授業を毎日欠かさず学んでいた。
 苦手には変わりないが、母親を失った事実は彼女を大きく変えていった。
 専属執事がやや心配になる時もあったが、それでも「疲れた」だの「地理学嫌い」だの言っている間は大丈夫だとも思った。彼女が時折見せる笑顔がある限り、自分にできることは同じだ。

 ホワイトブルク家が抱える領は秋を迎えた。窓から見える景色が、段々と街と同じ色に染められていく。空気はときどき冬の匂いもしていて、肌を掠める風がブラウの頭をすっきりとさせた。
 領では葡萄やベリー類、栗など果物の実りが多い。それらを出荷するのももちろん、加工してワインにもしている。他の領では見ない料理を名物にして、街を肥やしていた。

 伝染病はいまも各所で猛威を振るっているが、収穫は悪くない。と、支配人のリラに聞いている。シュネーの勉強が一息ついたら、何か美味しいものでもゲルプに作ってもらおう。ブラウはわずかに口元を結んだ。
 シュネーの元へ向かおうと振り返った時、少女から声をかけられる。

「えっと、ジャクソンさんー!」
「ブラウだ。」

 全くかすりもしない名前でブラウの名前を呼ぶのは、メイドのオランジュだった。人の名前や物事を忘れてしまう彼女は、同じ使用人の名前もときどき忘れてしまう。名前が出てこない方が相手に申し訳ないからと、思いつきで名前を呼ぶのだが。

「君は本当に……。忘れてしまうことには理解しているけど、もう少し近い名前で呼んでくれないか」
「あはは……ご、ごめんなさいっ! それより、ゲルプさんがシュネー様にマロンタルトを作ってくださったようなのです。一緒に持っていってあげてくださいませんか? ブロリーさん」
「今の一瞬で忘れることある?」
「……ブロッコリーさん?」
「わざとか? 惜しかったですか? みたいな顔で言っても間違えてるから。ブラウだから」

 再度の謝罪とともに、余った分は私達も食べていいそうなのです! と、オランジュが人の好さそうな顔をくしゃりと崩して笑う。何か美味しい物をシュネーにと思っていたところだったので、さすがはゲルプだ、とブラウは思った。
 料理人は季節の食材について敏感だ。街に出かける手間が省けたことを彼に感謝すべきだろう。見ればオランジュも、美味しいマロンタルトが待っていることにどことなく浮足立っている。

「……オランジュ。ゲルプの料理がおいしいのは僕も同じ気持ちだが、シュネーお嬢様がお先だからな。僕や他の使用人の分も残していてくれよ」
「わわわっ、わかっているのですっ!」

  さすがにシュネーより先に食べることも、他の人の分まで食べつくすつもりもないだろう。しかし、マロンタルトでいっぱいになった心の中を見透かされたようで、オランジュはどきりとしてしまう。オランジュの年齢はブラウより二つ年下、ゲルプはブラウの二つ年上だ。年の近い三人は、何かと接点も多く仲が良かった。少しの気の緩みは、ブラウの前だからだろう。
 ブラウは苦笑して、食堂へと向かった。

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