今日も桜田さんに会えなかった……と肩を落として涙目になった誉は、誰もいなくなったアマリリスの戸締りをしていた。吉川に「ケニアの人が来たぞ」と告げられてから早二週間。夏の暑さも大分和らぎ、夕方の風は秋の匂いがほんの少し混じっている。道端には穂が開いていないススキが徐々に顔を見せ始めているのを見て、過ごしやすくなったなぁと金髪を風に揺られながら誉は思った。この時間もまだ明るくて、ライトは点けるけど掃除もしやすい。誉は散りだした紅葉を塵取りにさっさとかき集めながら早く終わってしまおう、と急いだ。ビーンズショップはまだあと一時間は営業するが、ほとんどの人はカフェを利用する人達ばかりなのでギリギリに来る人も少ない。要するに、あとはのんびり店番をして終わりなのだ。
(自分が居ない日も来られたのを見ていないって聞いてるから、やっぱりお忙しいのかなぁ……)
 せっかく名前を知れたのに、これでは前にも後ろにも関係性が進めない。そういったもどかしさももちろんだが、
「会いたいなぁ」
 アマリリスで瞳子に会えないのはさみしい。
 アマリリスでしか会えない関係性なのに、ここで会えなければ、どこでも会えない。それ以上の関係性を持ち合わせていないから。
 せめて、ここに用がなくてもいい。先日のように熱中症になってしまうのは嫌だが、通り過ぎる背中だけでも見られたら、誉は一日ハッピーなのだ。けれど、そう思う事すら、自分には許されないのではないかと時々思ってしまう。だって、自分は女性で、瞳子も女性だから。こんな気持ちを抱いていることを知られたら、気持ち悪がられるかもしれない。もうアマリリスにも来てもらえないかもしれない。そう思うと、誉は秋の夕日を背に、下を向いてしまいそうになるのだ。
「ああ、もうやめやめ。こんな鬱々としてたら背中曲がる……うわっ」
 年寄りになった自分を想像し、かき集めた葉の山を運ぼうと立ち上がった時、ざあっと大きな風が吹いた。せっかく拾った葉は、巻き上がるように上へと散って――散り落ちた先に、暗がりに佇む桜田瞳子がそこにいた。
「……え? あっ、桜田さん!?」
「こんばんは。ええと、待崎さん……でしたよね」
 瞳子はジョギングの途中だったのか、ジャージと短パン、蛍光色のランニングシューズで誉に歩み寄る。瞳子の姿に思わず名前を叫んでしまったことに気づき、誉はやっべと顔を手で覆い顔を逸らした。
「お仕事、今終わりですか?」
「は、はい。桜田さん……は、ジョギングですか?」
 名前を呼ぶところで思わず小声になってしまった。次に会ったら名前を呼ぼうと息巻いていた自分が恥ずかしい。そういうところがヘタレなんだ、と言う吉川や都花の顔が浮かぶ。瞳子は申し訳なさそうに耳に髪をかけながら頭を下げた。
「ええ。あの……なかなかお会いできなくて、お礼を言うのが大変遅くなってしまいましたが……。先日は本当にありがとうございました。あの時、待崎さんがお声をかけて頂かなかったら、無理して家まで帰っていたかもしれません」
「いえいえいえっ! そんな、自分は全然……」
 両手を前でブンブンと振って誉は言った。自分は目の前で人が倒れたから、しかも瞳子だったから、慌てて駆け寄ってしまっただけで。またこうして、ジョギングもできるほど元気になってくれたなら良かったと思う。けれど、改めて当の本人にお礼を言われて、誉は何だか照れくさくなってしまう。
 そんな慌てぶりに、瞳子は目を細めてくすりと微笑した。もう少し日が明るければ、その笑顔をしっかりと見れたかもしれない。誉は頭を掻きながら困ったように笑った。
「そういえば、最近全然お会いしませんでしたが、お忙しいんですか?」
 今なら聞けるかもしれない。そう思って、誉は最近、瞳子が店に来ない理由を聞いた。会えない時間にモヤモヤするのも嫌だから、すっぱり聞いてしまう。瞳子が答えに困ったらどうしようと言った後に思ったが、そんな心配をしなくとも彼女はすんなり答えてくれた。
「はい。実は仕事が立て込んでいまして……もう少ししたら落ち着きそうなので。その時はまた、こちらにコーヒーを頂きに来ますね」
 やっぱり忙しかったのか。
 休みの日に瞳子の姿を見なかったことも、この時間にジョギングをしているのも、瞳子が時間を捻出することが難しくなっているからだろうと誉は思った。一息つく時間が無い。そう思うと、誉は瞳子の事が心配になった。
(何か自分に出来ることないのかな……)
 やっと知り合いにまで進化できた、しがないカフェ店員にでもできること。誉はいくらか黙っていたが、何かを思い出したように声を上げた。
「待崎さん……? どうかされましたか?」
「桜田さん、お時間ありますかね? ちょっとだけ待っててください!」
 誉は駆け出してビーンズショップに飛び込んだ。瞳子の前では、自分はいつも走っているような気がする。じっとして居られない子供のようだ。
 ビーンズショップのレジ奥に、賞味期限が近い商品を入れている箱がある。誉はその中から飲み切り用のドリップコーヒーの袋を何枚か持ち出し、瞳子の元に駆け寄った。
「桜田さん、これ、良かったら」
「え……わ、悪いです。先日もお世話になったのに。しかも商品を無料で頂くわけには」
「大丈夫です。っていうのも、言いづらいんですけどこれは賞味期限がもうすぐ切れちゃうやつなんで。社員販売してるやつなんです。自分からプレゼントって事で」
「……いいんでしょうか」
 瞳子は眉を下げて目の前のコーヒーの袋と誉を交互に見つめた。
「もちろん。ちゃんとコーヒーメーカーで入れたやつで、賞味期限切れてないやつに比べたら風味は劣るかもしれませんけど。お忙しい分、お家で良かったら召し上がって下さい。……お仕事頑張っていらっしゃるみたいだから、自分からのご褒美です、なんて」
 そう破顔して、誉は頭をかいた。下心がないと言えば嘘になる。でも少しでも、彼女の心が休まるなら。誉はそう思った。
 瞳子はいくらか迷ったが、熱中症の時に誉の手を取った時よりかは迷わずコーヒーを受け取った。優しい笑みだった。
「……ありがとうございます。大事に頂きます」
「その代わり……って言ったら変なんですけど」
「はい?」
 誉は頬を掻きながら、視線を逸らせて。
「……また、店に来て下さい」
と、言った。
 瞳子はくしゃりと笑って、誉に約束をした。
「はい。ぜひ」

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