18歳、リコリス

 18歳、春。

 心配する両親をなんとか説得し、東京の大学に進学した。初めての一人暮らしで少し不安に思うところもあるけれど、ご飯はコンビニでも買えるし、なんとか生きていけるだろうと思う。
 というか、私自身も両親も一番不安に思っているのは、朝きちんと起きられるのか、単位を落とさずに又落としたとしても留年しない程度にやっていけるのかどうか、というところだ。
 まぁ、やってみなきゃ分からないんだから、考えるのはやめておこう。

 それにしても……待ち人が来ない。待ち合わせ場所間違ってないよね、と何度も現在地を確認して、更には駅員さんにまで確認した。そこに書いてんだろと言わんばかりに、めんどくさそうに答えられたので、やっぱり東京の人は地方民には冷たいなって思った。もう駅員さんのお世話にはなりたくない。

 仕方ないから電話しようと鞄から携帯を取り出すと、ちょうど待ち人から電話が入った。

「もしもし、こちら待ちぼうけしている苗字ですが〜」
『あー、すまん。ちょっと寝坊してさ……、代わり頼んであるから』
「え、誰にですか?」
『知ってるやつだよ、楽しみにしてろって』
「えー、もう……」
『悪かったって、引っ越し祝いにケーキ奢るから』

 後で合流するから先に好きなとこ連れてってもらっといて、という丸投げの発言に肩ががくりと落ちる。元主将のくせになんで時間守れないの、ありえない。まさか彼も都会の波にもまれてすっかり都会色に染まってしまったのだろうか……、たった一年で。

 それにしても東京に居る知人って誰のことだろうか。スガさん、旭さん辺りかな?
 分かりやすいところに出ておいた方がいいかな、なんて思いながら壁に寄りかかってそわそわしていると手に持ったままの携帯が再び着信を告げる。

「うそっ」

 表示されている名前に驚きのあまり声が出てしまった。
 二年前に番号を交換してから、私の方から電話をすることはあっても、今まで一度も向こうから電話が来たことはなかった。

 なのに、このタイミングで電話が来るなんて、まさか。

「も、もしもし!」
『あ、なまえちゃん? 今、君の後ろに居るんだけど』
「え!? って、誰も居ないし! 壁だし!」

 勢いよく振り返ったものの自分の後ろにあるのは壁だけ。壁に寄りかかっていたんだから、当たり前なのだが、軽くパニックで恥ずかしいことをしてしまった。

『悪い悪い、左だよ。左』
「えー、本当かなぁ……」

 疑いながらも左を向けば、そこには確かに電話の主がニヤニヤと意地悪な顔で笑いながら遠目に私を見ていた。

「もう、酷いですよ」
「せっかく久しぶりに会うから普通に声かけたら面白くねぇかなって」
「私は面白さは求めてないですよ、恥ずかしかったんですからね?」
「まぁまぁ、いいじゃん」
「久しぶりですね、黒尾さん」
「おう、一年? 一年半振りとかだよな」

 二年前の練習試合で初めて会って、私はこの人に一目惚れをした。
 
 練習試合後、高まる気持ちをそのままに勢いで声をかけてLINEを教えてもらって、あの頃は本当に自分の気持ちに正直にドンドン突き進んでいってた。

「こっち進学すんなら教えてくれたら良かったのに」
「いやぁ……だから何だって思われるかなって」
「ははっ、LINE教えてください! ってすごい勢いで聞いたくせによく言うわ」
「わぁ〜! もう忘れてください、本当に恥ずかしい……」

 聞いてくれたから仲良くなれたのに、なんて笑って言うから本当にずるいなぁと思う。

 この人は今でも私が初恋を拗らせているなんて思っていないんだろうな。最近は全然連絡を取っていなかったし、このまま忘れてしまった方が楽なんじゃないか、とか考えていたし。

「で、澤村の代打で来たんだけど俺あんまり時間なくてさ。悪いな」
「あ、そうなんですか? なんか、わざわざすみません。大地さんのせいで」
「久々に会えたからいいよ。んで、代わりに暇人呼んであるから。そいつ、こき使ってやってよ」

 久々に会えたからとか、別にそんなこと何も特に思ってないんでしょって思ったけど、嘘だとしてもそんな風に言ってくれることが嬉しくて、顔が緩んでしまう。

 元気そうだなと言いながら私の頭に手を乗せる黒尾さんはさっきとは違う、優しい笑顔をしていて、ドキドキと高鳴る胸を押さえて、黒尾さんも元気そうですねと返すのがやっとだった。
 
「黒尾さーん!」
「お、リエーフ。急に悪い」
「全然いいッスよ。なまえさん、久しぶり!」
「暇人ってリエーフだったんだ、久しぶりだね〜」
「暇じゃないッス! 俺、一応三年生だから!」

 今日は体育館の補修のお陰で部活休みなだけッスよ! リエーフがあんまり必死に説明するもんだから笑ってしまった。黒尾さんが呼ぶってことはそういうことだって分かってるよと言っても何だか納得できないというような顔をしている。
 リエーフには悪いけど、思いきり笑ったお陰で緊張がほぐれた。

「なまえさん、どこ行きたい? 黒尾さんどうせもう居なくなるから俺が行きたいとこ連れてく!」
「どうせって、まぁそうだけど」
「予定あるのにわざわざありがとうございました」
「おう、いいよ。結局俺もリエーフ呼んだだけだしね」
「黒尾さんは、これから彼女とデートなんスよね? 羨ましいな〜」

 リエーフの口から出た彼女という単語に反応して、思わず黒尾さんの顔を見てしまった。でも黒尾さんは私の方は見てなくて、リエーフに向かって「いいだろ〜」と返していた。

 本当に、彼女いるんだ。

「……リエーフは、今から私とデートでしょ? 不満なの?」
「全然ッス! 手、繋いで歩きましょうか?」

 いいね、なんて言いながら、差し出された手を握り返すと、お前ら思ってた以上に仲良かったんだな、と黒尾さんが笑った。
 さっきまでは嬉しかった笑顔が、今はまるで凶器だ。

「また今度ゆっくり遊ぼうな」
「彼女に嫉妬されない程度になら」

 黒尾さんを見送った後、すぐには言葉が出てこなかった。そんな私を見て、リエーフは何か言いたげにそわそわしている。

「何か言いたそうだね。リエーフくん」
「あの、なまえさん……黒尾さんのこと、まだ好きだった……?」
「まだ……、そう、まだ好きだった……。バカみたいだよね」
「……大丈夫ッスか?」
「大丈夫、だもん……」

 まだ好きだった?
 リエーフが何気なく投げかけた疑問は私の胸に重く圧し掛かった。かろうじて吐き出した大丈夫もまるで説得力のない震えた声になった。喉は誰かに掴まれているように苦しい。必死に止めようとしたけれど、涙がこぼれた。

 神様は上げてから落とすまでが早すぎるよ、本当に。
 大地さん、黒尾さんに彼女いるの知らなかったから楽しみにしてろって言って、呼んでくれたんだろうなぁ……。

「ファミレス行こう」
「うん」

 ごめんね、リエーフ。小さい声で謝ったら、俺は全然いいッスよと元気な返事が聞こえた。さっき冗談で繋いだ手はそのまま。私の手を引いてリエーフは歩いていった。



「私、なんでこんなにあの人のこと好きなんだろうって、自分でも思うの」

 黒尾さんに出会ってからの二年間。ちょこちょこ連絡は取っていた。でも、黒尾さんの方から何かを送ってくることなんて、当然ながらほとんどなくて、いつも私からどうでもいい事を送ったりして。
 私より一年早く高校を卒業してしまった黒尾さんに何とかして会いたくて、合宿でそっちに行くから黒尾さんも遊びに来てくださいよ、なんて言ったりして。あの頃は本当に必死だった。

 物珍しさから応援してくれていた友人も一年が過ぎた頃には「まだ続けてるの?」と言うようになった。
「なんで会えない人のこと好きだとか言えるの?」
「想い続けて意味あるの?」
「もう、やめなよ」
 友達の言葉はどれも尤もな意見ばかりで、反論する余地はなかった。初めて会った日を含めても、私が黒尾さんに会えたのは春高前の合宿とその翌年の夏合宿に黒尾さんが遊びに来てくれた時だけ。

 一途と言っていいのか、ただの意地なのか分からないけれど、私は黒尾さんのことが本当に好きだった。自分でもどうしてこんなに黒尾さんを好きだと思ってしまうのか分からないくらいに。

 正直、もういいやと思った時期もあった。黒尾さんは私のことを面白い子くらいにしか思っていないのは分かっていたし、会えもしない人に対して、何をどう頑張ればいいのか分からなくなったから。
 そうやって連絡を取ることも少しずつ無くなっていった。だけど、進路調査を書く時に東京に行きたいと思った。
 今日、1年ぶりに会えて、やっぱり好きだと思ってしまった。

「バカみたいだよね。一目惚れして、宮城から東京まで出てきて。なんで好きなんだろう」

 いつも賑やかで落ち着きのない印象だったリエーフは、とても真剣な面持ちで私の話を黙って聞いてくれて、バカみたいだよねと言った私の言葉に静かに首を横に振ってくれた。心の中のモヤモヤが少し晴れていくようだった。

 もう泣きたくなるような気持ちはなく、むしろ嵐が通り過ぎた後のように心の中が静かだった。リエーフが私のことを否定せずに話を聞いて、一緒に居てくれたからかもしれない。

「リエーフ、ケーキ食べよっか! 私、今日はすごく甘いもの食べたかったの」
「ん、いいッスね! 東京来たお祝いに俺が奢ります!」
「年下に奢られるのは何か申し訳ないなぁ」
「でも、俺も一応男だから! ここは大人しく奢られて下さいッス」

 ね、と笑うリエーフは本当にきれいな顔をしていた。

 大地さんが合流した頃には、ケーキを食べすぎた苦しさと甘ったるさに二人でお腹を抱えていて、電話で約束していた引っ越し祝いのケーキはまた後日ということになった。

 黒尾に会えてどうだった?
 と聞かれて、「彼女とデートだから、さっさと居なくなりましたよ」と言うと、面白いくらいに焦った顔をして謝りだしたから、リエーフと顔を見合せて笑ってしまった。



「送ってもらって、ありがとうございました」
「今日はなんか色々と悪かったな。灰羽もありがとうな」
「会った時も言いましたけど、もういいですからね。あと、お父さんみたいですよ」
「確かに! それと、俺もなまえさんと澤村さんと会えて楽しかったッス!」
「私もお父さんと弟とお出かけで来て楽しかったよ」
「お父さんて……」
「俺、弟ッスか……」
「んじゃ、片付け頑張れよ」
「はい。片付いたらケーキ買ってきてくださいね! リエーフも来てね」
「もちろん!」

 二人が角を曲がるまで見送ってから家の中に入った。さっきまで三人で色んなことを絶え間なく話していたから一人で部屋に入ると、耳の中にはまだたくさんの音が残っているようにざわざわとしている。
 午前中に東京に着いてから、あっという間の一日だった。なんだか、ものすごく疲れた気がする。主に胃袋が。これからまだ業者の人が来るのかと思うと気が重い。

 まぁ、両親が家具付きの賃貸にしてくれたお陰で自分の荷物はそんな送っていないから大丈夫だけど。寝転んじゃおうかな〜なんて思っていると、ピンポンとチャイムが鳴った。

「はーい」

 業者さんもう来たのか、帰ってきたのぎりぎりだったな。今開けますと言いながらドアを開けると、立っていたのはリエーフだった。



リコリス
   再会、あきらめ

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モドル
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