「僕は好きでもない女性にここまで迫らない」


時が、止まった、ような気がした。


「…え?」

理解が追い付かない。頭がはたらかない。言葉が認識できない。目の前で真面目な顔をしている彼は、はたして私に、今、何を伝えたのか。


「貴方がイギリスに行っている間、色々な事件が起きました。シェリーが消えたり、謎の少年が現れたり、キールの事故や赤井の…」
「…はぁ、」
「でもね、僕にとってはそんなのどうでもよかったんです。貴方のことが気がかりで」
「…はぁ、」
「アメリカの次はイギリス。君は僕の手をするりと抜けていく。…自覚しましたよ。貴方を公安に推薦していたのは、何も貴方の能力だけが理由ではないと」
「…はぁ、」
「……あの、ちょっと、聞いてます?」


安室が少し怒ったように、はたまた不貞腐れたように私の顔を覗き込んでくる。だが、私にとってそんなのは眼中になかった。安室はどうやら私に惚れているらしい。いつ、どのタイミングで、何故惚れたのかは分からないが、私は「彼の想い」よりも「得体の知れない恐怖」に動揺していた。


いや、確かに人生を謳歌すると言った。
誰が飛ばし、何故飛ばされたのかも分からないこの世界。何故私という人間が存在しているのかさえ、きっと誰にも分からない。ならば好き勝手生きればいいじゃないか、と、確かにそう言った。


言ったのだが、

原作の登場人物に、しかも準レギュラー級のダークホースともとれる男に恋愛感情を持たれるなんて考えもしなかった。そして、ここでようやく気付く。私がこの世界で唯一恐れていたことに。自由奔放に型破りに生きると誓った私が、どうしても捨てきれなかったものに。


恐れていたこと。

それは、原作離れすることでもない。
原作に私という異端が紛れ込むことでもない。

物語の登場人物であった誰かに恋愛感情を持たれることだ。


それは何故か。


その想いを受け入れてしまえば、元の世界の自分が消失する、そんな気がするからである。

それは即ち、虚像を残し、実像を消去することに他ならない。
私の存在意義が消えてしまうような、本来の姿を否定されているような、そんな途方もない感覚に陥ってしまう。そうすれば、私はもう人生謳歌どころではない。


捨てきれなかったのだ。過去の私を。本当の世界に存在していたはずの、本来の私を。


虚像を残し実像をなかったことにする。
それは何としてでも、避けたい。


だから

「悪いけど、私を好きにならないで」


口から出た声は、自分でも驚くほどに冷たい声だった。