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もう耐えきれなかった。
恵を、自分を保てる意思も世界も持ち合わせておらず、この辺りを境にもう限界だった。らしくなかった。らしくないなりにお願いされたんだ、やっていけていた。けれども限界だった。馬鹿みたいに明るい髪色の大学生になりたてのガキに恵が懐いて、さらになにかがすり減っていく感じがした。悪いやつじゃ無い。ガキにしては常識があって、赤子に髪をひっぱられようがにこにこしてかわいいかわいいとデレデレして、離されない手に仕方ないなぁと甘えた声出して世話を焼いてきた奴。あまりにもはなさない手に家に入れることになるのは誤算だったが、俺の飯もついでにでてくるし、恵の世話は勝手にやってるし、騒がず煩くなく、ある程度距離もある。ぬるま湯に浸かったような小さな世界だった。
ふと、もういいやと思った。
家に恵は買い取らせることが決まったし、あのゴミ溜めもマシだろう。もうこの小さい命に自分が手をかける必要性を感じなかった。この巻き込まれただけのガキも自分の時間とやらが必要になってきていつしか逃げ出すだろう。なんだ、簡単だ、捨て行くだけだ。となりにあいつがいたら変わっていたのかもしれないが、もういない。
1週間かそこらで仲良くなったガキに「長期仕事入ったから数日みとけ」と恵をまかした。このまま、このままもう帰らないでいよう。前のようになってしまえばいいだけの話だ。恵には家がむかえにいくのだから。久方ぶりに仲介者に声をかけ後ろ暗い仕事を何個かこなし、知らぬ女の元を練り歩き、すでに1週間は経っていた。頭の中にちらつく恵とガキの顔は時間がたつにつれて消えてゆき、普段より酒が進んだ。誤魔化してるのかもしれなかったがそれには見ないふりをした。やっと1週間、されど1週間。
仕事の話をするために待っていたために受けた電話からは間抜けなガキの声が聞こえた。ぶわっとガキの顔が浮かんで、無意識に眉間に力がはいる。
「あ、でた。なぁ甚爾さんさぁ誰かに恨みでもかってるの?」
「は?」
「いや、ずっとインターホンがなってるんだわ。出ない方がいいかんじ?」
「は……?」
ドッと汗が噴き出た。
まだあの家にいるならば、あの安いからと借りた事故物件にインターホンはない。戸を力強く叩くしかない。電話越しに微かにきこえてくるインターホンの音が一定の時間をかけて、間隔を空けて鳴っている。他にも嫌な声や音が聞こえてきているがインターホンを鳴らすそれが強すぎてガキには他がまったく聞こえないのだろう。
というか、恵をほって逃げなかったのか、とか、まだあの家にいて帰ってこない男を待っていたのか、とか…頭に巡った場違いな思考はかわいていく口腔内により声にならないまま胃に落ちる。
お気楽な声はこちらの返事を待たずにつらつらとながれてゆく。
「甚爾さんの知り合いならさ、今いませんよ〜って言って帰ってもらうことぐらいできるけどさ、こーんなずっと鳴ってるのは流石にキモいってかさぁ。心当たりない感じ?」
確実に呪霊だ。もしかしたら呪術師か呪詛師のあやつる低級な呪いやも知れぬが、そんなものの判断は電話越しではつかない。悪いものだとはわかる。
「ドアスコープのぞいて確認する?」
「やめろッ!」
「ギャッ?!?び、びっくりした、そんな大声出さんでくれ〜」
「そのまま部屋戻れ」
「?……はーい」
よくわかってないが家主の言うことをきくらしいガキはとっとっと軽い足音をたてながら歩く。玄関から離れたはずなのに変わらない音量でなりひびくインターホン。違和感かんじないのか、と声を出す前にガキの甘い声が静かに泣いていたらしい恵にかけられる。
「お、わだっあらららら、恵くんどうした〜泣いちゃったか、どっかいたいかなぁ?お腹すいたかぁ?よいしょっ抱っこしますよ〜」
恵はわかっているのか、いや、全ては理解はしていないがなにかいるのは解っているのだろう。ガキよりはわかっているのは確かだ。そういえば怖くて静かに泣いている恵は何度も見た。
「甚爾さん恵くんの泣き声きこえてたんだな、ごめんごめん恵くん任されてるのにさぁ。おっとっとっなぁにぃめぐみくぅん髪やっぱすきぃ?」
「ん」
「それは肯定かなぁああっだっいだだだだっひっぱっちゃってますっめぐみくっ」
息がどんどん荒く獣のようになっていく。なにを焦っている?なにを嫌がっている?なにを怖がっている?
「ん〜?窓?外が怖かったのかな?カラスでもいるのかぁ?」
コッ、と電話を置く小さい音
手が震える。
離れていくガキの声と恵のぐずる声
唇が戦慄く。
叫んでいるのに声にならずひたすらに荒くなる息
「窓から外見てみるよ、玄関にいる人もわかるだろうし」
やめろ
獣の悲鳴
「さーて誰かなぁ」
やめろ
血溜まりに伏すガキ2人
「お、なになに恵くんぎゅっとしてくれんの?かわい〜」
インターホンの音
やめろ
「カラスはいないから大丈夫だよぉ」
窓の開く音
やめろ
「はーい、どちら様ですかぁ」
肉のつぶれる音
獣の…………………
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「はー……ふー……………」
「え、おはよう。え、早、まだ飯炊けてないけど、えっはやくない?」
朝5時にもならない時計を見てこちらを見て炊飯器を見て、またこちらを見たガキは昨日のホットプレートの残骸が入った袋を縛っていた。
あれは夢だ。
現実は、恵がさらに泣き窓を開けることすらせず、文字通りとんでかえった俺が辺り一体にいた呪霊と術師を殺し2人の無事を確認して、しまった。ガキはインターホンが鳴り止んで恵が泣き止んで俺が返り血あびて帰ってきたことに一瞬不思議そうな顔したが、にっと笑って「おかえり」といった。呪霊も呪術も知らないただのガキ。仕事が終わって恵を心配して急いで帰ってきたと思ったらしいガキ。
ふらふらと出会ったときから幾分か歳をとったガキに近づくと、あまりにおぼつかなかったのかそっと手を差し出された。軽く指を引っ掛けると少し強めに握り返してくる。
「なんか、顔色イマイチだね。俺もうすぐバイトに出なきゃなんないからお世話できないけど、いける?」
「あぁ」
「いや、反応鈍いな?えー?は??これ色々とやばいだろ?うーん…えー??」
握った指をむにむにしながら俺の顔色と体温を確認する。いつもより小さい声と接触にくすぐったくて首を振ればガキのくせにため息を落とされてしまった。
「無理だね、無理っぽいね。はいはい甚爾さん水だけ飲んでもう一度寝ますよ〜」
「いらねぇ。………バイトは」
「行きますよ?はいはい飲まないなら寝るはいはい寝る」
ぐいぐい寝室に押されて戻り布団に入れられ、すっと軽く手を離される。
想像で夢でしかない血濡れのガキ2人。一歩遅ければそうなっていたはずの姿。いや、もしかしたらこの目前のガキだけ血に濡れ床に沈み沈黙し、恵はしっかりと胸元にかくされるように守られていたやも知れぬことがこれまで関わった時間でわかってしまう。今のガキは怪我ひとつせず気楽に生きている。知らないまま。
「津美紀ちゃんに言っときます。一応早くあがるようにしますし、あんまりにも辛いならどっちかに頼んで電話してください。どっちに頼るのも甚爾さんは嫌がるだろうけど、そんなこと俺は知りやしませんからね。わかりましたね?」
熱が出た恵のように風邪を隠していた津美紀のように、その辺の犬にするみたいに頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜるように撫でてガキは笑う。恵に似てるなぁ、じゃない。
反抗するように顔を勢いよく叩いてやったがやんわりとしか当たらなかったようで、振り上げた手を先程のように握られる。脈拍を確認されてる俺より冷たく細く、力を込めたらぽっきりいく柔い手。
「お前やっぱ髪前みたいにあかるくしろ」
「は〜???急すぎない???バイトやめさせられちゃうわ?もう20後半だしパッパラパーな髪色はできん」
「うるせ、買ってやるからなんか、あかるくしろ」
「わがまま〜〜??????てかそれならサロン行くわい!じゃ、バイト行ってきま〜す。寝てなよ!」
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