ゴオゴオと燃え盛る母屋を背に医者が俺の手当てをしている。
頭のどこかでそれの有難さを噛み締めながら、目の前の命の火が消えそうな男のことでいっぱいだ。
震える手を握ってやりたいのに、自分の手が血だらけで焼け爛れているのがみえて彼を掴めずそっと肩に手を添えるだけ。
男、否、陽照さんはヒューヒューと息をこぼしながらゆるく笑って見せる。
なぜ、この状態で笑えるのだろう。
もたげた疑問はハッとした思考にかききえる。もう数秒したら死ぬかもしれないというのに、こちらを気遣う笑みだとわかってしまったのだ。
なんて強い人。なんて健気で優しい人。
それに気づいた俺は鼻の奥がツンとして、医者が耐えきれずぐふぅと泣いた。
「ありがとう、きみを、うば、てしまう、け、れ…………わたし、の、ねがいを、う、けいれて、くれ、て」
返事は、声は出ない。火で口の中まで焼け爛れた俺は喉も等しくやられたらしく、医者がいうには数年は話しにくく、これからずっとつぶれひしゃげた声しか出ないらしい。
人間、忘れていくのは声からだと聞いたことがあったので、あぁもしや自分の声をこの先生き続けられたなら忘れることになるのか、と思ってしまった。
どうにか返事をするために頷いて見せれば、たぶんもう半分も見えなくなっているであろう視界でも捉えることができたらしく、彼は、ふ、と小さく息を吐く。
「わたしの、ちい、も……なも、や、かいであろ…が……どうか、た、む」
皮膚も面も焼けて爛れて、もう俺だとわかるものがなにもなくなっているのに頭の中でひどく冷静な俺がいる。
そうだ。目前の陽照が死んで、そして、俺が陽照になるのだ。そう、目の前瀕死の彼が望んでいる。
たぶん、彼にとって俺は都合が良いそこにいた人、であろう。
腹を母の雇った暗の者からさされ、屋敷を焼かれ死を待つのみだった彼の前に身元も何もわからない男が焼け爛れて落ちていた。
それが俺だ。家で寝ていたはずなのに熱さで目を覚まし、火事だ!と気がついたら既に火の中にいて焼かれ悶え苦しんでいた。その時、床が抜け、気がつけば時代もなにもかも違う火の海の彼の目前へと落ちてきた俺。
そして、陽照はこれ幸いと言わんばかりに自分が成せないことを託してきたのだ。
「名を残してほしい」と。
彼がどうして名を残したいのかはわからないが、死ぬというのにぎらつく目は必死で、俺は頷いていた。
不満はない、不平もない。
ただ、不思議だな、と思っただけ。
あんな目をした人間に出会うのは初めてで怖かったのかもしれないと、冷静な自分が外から見ている。
意外と頭が冷えていて、突拍子もなくわけがわからないままに無理難題を押し付けられているのがわかっているのに「やってみます」となっている。
もしかしたら冷えているのではなく、焼かれて燃えたぎっているのかもしれない。わからないけど。そうでありそうな気はする。
「わが、な、は、陽照………どうか、わ、が、な………われら、を…………………」
なぜ残したいのか、きこうにも声は出ない。
こく、こく、と頷いてみせて、安心させるように肩を数度撫でた。安心、してくれただろうか。
確認する間もなく、息を止めてしまった陽照は、今この瞬間名もなき男になってしまったのだ。うすらとあいた目と口からまだ輝きや声があふれ出しそうでなにもないのに自分の喉を締め付ける。
「……」
今から俺が………いや、我が名が陽照となるのか?あぁ、なんだかよくわからない夢だ。
男の目を閉じさせ、手を前で組ませ、はた、と爛れている手で彼の綺麗な皮膚に触ってしまったことに気づいて頭が冷えていく。
やはり、熱されて熱くなっていたのか。
わかったところで、約束を違える気はなかった。
「よろしいのですか」
医者が後ろから心配と不安と嫌悪と悲しみを混ぜた声でこちらを伺う。
素人目ではあるものの、火傷と爛れの的確な処置からみて腕の立つであろう医者は名が無くなった男の主治医かなにかだろうか。
首だけ振り返り、燃える火のあかりでよくみるとだいぶ年嵩のいった老人であることがわかった。彼の後ろにいる気絶し伏せている数人はまだぴくりともしない。もしかして死んでいるのだろうか。
返事の代わりに薄く笑うと顔の皮膚が引き攣るのがわかる。
うまく処置されたのかじくじくした痛みとまだ焼かれているような熱があるが血はでていないようだ。
「…………」
「…わかりました。はやく本格的な治療を」
身体は血だらけで焼け爛れてもうどうして生きているのかもわからないけれど、名を無くした男との約束をやはり違える気は起きなかった。
成り代わった死体をおいておくわけにもいかず、燃え盛る母屋に押し込むしかない。医者が泣きながらそう言うので、知り合いにさせるのは可哀想に思えて俺がやった。
人を燃やしている、殺している、というのに涙もでないのは焼けてしまったからなのか?
涙もないような化け物になったというのか?
轟々と、炎が男の死体を焼くのをじっと眺めながら医者が呼んだらしい部下たちがわあわあ言いながら俺の治療を始めたので、鼻から火の粉を吸う勢いで空気を取り入れた。
あれは、もしや、俺の名を、哲治を奪っていったのだと、いうのだろうか。