「あ゛」

真希が呪具を下げ、休憩をとるため恵に声をかけようと振り返って鈍い声が出る。
真希の眼鏡の視界には息を上げてしまっている恵とそれと対当していたかわりないパンダと、少し離れた木陰に見知った顔がいた。野薔薇と棘は任務帰りで今から合流するらしいので、彼らでないことはわかっているが、あの見知った顔が彼らであればいいのに、とは思わないでもない。見知った顔はこちらなど知らぬままぼんやりと、にこりともせず(それはいつものことだけれど)、誰かを待っているらしかった。ちょっと機嫌悪そうだな、と距離があるはずなのにわかってしまう。そこまで仲良くしていた覚えもないのに、よくよく観察する癖が抜けないのも考えものだな、とため息をつく。
真希の視線に気づいたパンダと恵がそちらを向いて、気にしながらも真希に近づいてきた。

「知り合いか?」
「あー、まぁ、家にいたときの」
「特別一級術師のAAAさん、じゃありませんか?」
「恵、会ったことあんのか」
「一度だけ。任務先で引き継ぎをしたことがあります。」

そりゃ災難だな、と真希は笑う。
天災か人災か、害はないはずなのにじわりと滲み出るような嫌な感じにはなれない。それを思い出したのか恵の顔も少し歪んだ。別になにをされたわけでもなかったのに、纏わりつくなにかを察してしまったのか玉犬も警戒していたのも一緒になって思い出される。ついでに彼を苗字で呼ぶと、彼の家の「ばば」と呼ばれている彼の祖母のことを呪術師界隈では指すらしく、反応をもらえないので恵も仕方なく彼を名前で呼んでいる。不本意ではあるが。
見ちまったしなぁ、と真希は仕方がなく呪具を恵に持たせて彼に近づく。もちろんしたくはないけれど、機嫌の悪そうなアレを放っておけるほど浅い仲ではない。

「よぉ」

真希の気配が近づくとAAAは珍しく目を丸くさせ、気軽な声に返事をするかのようにひとつ頷く。
かっちり着込まれた黒シャツと黒スキニーパンツに見合う身長に顔面なのに、やはり隠しきれていない嫌な感じに真希は顔を歪める。その辺の女が喜びそうな顔をしている(実際、そちらにはモテているらしい。興味のない真希の耳に入るほど有名だ。)のに、その辺の女いわば非術師に靡くような男ではなく、呪術師界隈の女からも不穏さとやばさに良さは相殺され、それでも顔は良いので鑑賞物扱いを受けている。AAAも受け入れながらも、呪術師界隈の女のケツを追いかける男ではない。
そして、相変わらず、消毒のツンとした匂いと肉の焼けた酷く嫌な匂いが少しして、それらを取り繕う香水の香りに真希の顔は更に歪む。真希の体質故鼻が良く、香ってしまい混ざり合うそれを理解してくれる人はほぼいない。

「なに?フィジカルギフテッドじゃないか。…そうか、お前、東京校だったか」
「その呼び方やめろよ」
「フィジカルギフテッドはフィジカルギフテッドだろう?うん?片割れが京都だからお前もそちらにいるものだとばかり…」

本当に驚き想定外だったらしいAAAに、真希はため息混じりに口を開く。

「家からなにも聞いてないのか」
「僕は禪院家とはそこまで仲良くないが?」
「そーかよ」

嘘つけ、と吐いて捨てるように言いたかったが、彼が言うならばそうなのだろう。家から聞かなかったのなら奴から聞いたのでは?とも言いかけて、そんな話題は出ないか、と思考を打ち切る。彼はその辺の有象無象、この場で言うならば真希に面倒な嘘や取り繕う嘘をつくような優しくて良い人ではない。軽口や呼び捨てなどを真希がしても気にしないし、なんなら窓や補助監督がそうしたって気にやしない奴だ。その辺は楽だとも感じながら、身内にいるあの金髪の男のような、彼のたったひとりの「トクベツ」とやらになれば変わってくるだろうが、真希が彼の内側に入れる日など死んでも来ないしこちらから願い下げだ。天変地異が起こったってありはしない世界。
自分でありもしない世界を想像して吐き気を催し、歪む顔をそのままに会話をしようと口を開く。

「高専、それもこっちにいるなんて、珍しいな。ここに2年目になるけどお前を見たことなかった」
「まぁ、普段はあっちしか行かないしな?まず高専なんて僕は用事ない」

そうだろうな、と言いかけて、息が詰まる。

「…………誰待ちだ」

空気がぴりりとした。
AAAは禪院家の人間や上の連中に付き合わされている姿をよくみる。それは彼のどこか感じる嫌な雰囲気が気にならなくなり、うわべだけの優しさや気づかいにハマってしまった奴らがよくやる手法で、横に置くだけで周りへの抑制、自慢になり、誰と対当しても悪い雰囲気にならなくてすむからだ。もちろんそれはAAAがはった巧妙な罠のひとつであり、住み良い世界にしている策だけれど、それを有象無象たちに気づかせるAAAではない。真希は彼に近づきすぎたために気づいてしまい知っているが、大体は知らないのだ。
昔から禪院家に出入りしている彼の蜘蛛の巣に捕まっている奴らは少なくなく、真希は会いたくない顔に会わなくてはならなくなってしまうかもしれないことに奥歯を強く噛む。話かけなければよかった。先程、腕時計を見ていたのはその誰かが来る時間を見越してだろう。本当に話かけなければよかった。苦い苦い顔になる真希とは反対に、AAAはにやりと笑う。そんな顔、有象無象の前ではしないくせに知ってしまった真希の前では遠慮なく晒してくる。「トクベツ」の前ではとろけているくせに、と思ったがあれは事故で見てしまっただけなので忘れるべきだ、と内心だれかか叫んでいる。

「はははは」

にやりとしていた顔をしたまま、声高らかに笑うAAAの目の奥が暗闇のような色をしているのに気づいて、真希の張っていた気が少し緩む。前に会った、といっても2年前が最後だけれど、そのときと色が違う。前は奥にあった色は赤みがあった、気がする。どうしてそこまで覚えているのか、といわれたら、観察してしまう真希はこの男よくこうなるのを知っているからだ。としかいえない。

「おい、お前、目」
「ん?嗚呼、この前の百鬼夜行でさ。京都校にちょうど用事があって、まさか僕も参加させられてねぇ?」

タイミングが悪かった。らしい。私用ぐらいの最低限しか家から出ない奴が、あの百鬼夜行に混ざっていたというのだから笑いものだ。それはそれは目撃できたらさぞ爆笑ものの絵面として数年は語り継いだだろうと真希は嫌々祓っていそうな姿を脳裏に描く。それだけでも面白い。

「非術師を殺すために放たれた呪霊なんざほっときゃいいんだ。ってのに、なぁ?」
「クズか」
「クズの基準なんざ知らないね」
「そうかよクズ」
「さて、お家の人の話はよかったのか?」
「…………」
「そう怖い顔すんなよ、フィジカルギフテッド。なぁに、今日は僕の用事だ、今待ってるのは運転手。はははは、言ったろ?僕は禪院家とはそこまで仲良くない、って」
「クソッ」

苛立ちと気恥ずかしさと嫌悪に真希は遠慮なくAAAの脛を蹴り飛ばす。痛くも痒くもないらしく怒りもせず、笑みを浮かべているこの男のこういったところが嫌いだ。いや、嫌いなところなんてあげていったらきりがないのだけれど。


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