届かぬことも悲恋

興奮と謀略そして砂埃に塗れ、レースはゴールを迎えた。私たちは次のレースが開催されるまでの束の間に、参加者のキャンプ地から少しだけ離れたところにテントを張って休息をとっていた。

今は夜。
他の2人は寝静まってしまっただろうか。
私はなんだか眠れなくて、テントの前に垂らした小さな明かりで本を読んでいた。

その本の名は…

「お〜ロミオ!バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない〜!」

ちょうど次のページへ移ろうと指をかけた時、後ろから妙に演技くさい声で劇中の台詞を発するのが聴こえた。

「ジャイロ!」

声のした方を見ると、ジャイロがおどけた表情でテントから出てくるところだった。
いつもの帽子を脱いだその姿は、何度も見たはずなのにまだ見慣れなくて。何だか恥ずかしい気持ちにさせる。

「シェイクスピアか。ななしも飽きないな」

少し周りを見渡した後、ジャイロは私の対面に腰掛けた。その勢いが良かったものだから、本の文字を照らしていたライトが少し揺れる。

「そんなに悲恋ばかり読んで面白いか?」

大股を開いて座ったジャイロは、自身の右膝に肘をつき、その手で右頬を支えながら気だるげにそう聞いた。

私はこのレースに何冊か本を持ってきた。ジャイロ達と同行することになった時は、ちょうど『ラ・トラヴィアータ』の原作小説を読み始めていた。
主人公が身の上を告白するという冒頭部分から涙ぐんでしまい、それを見つけたジョニィをひどく動揺させてしまったのはそう昔の話ではない。

「面白いわ。特にロミオとジュリエットのような…純粋に愛し合っている話は」

そう言うと、ジャイロはとても嫌そうな顔をした。
触れたくないもの、見たくないものを見てしまったように顔を歪めた。

「純粋?純粋かぁ?」
「家柄も何もかもを越えて愛し合うのは純粋でないかしら」

この多くの人が純粋な悲劇だと信じて疑わない名作を、何故そう思うのか。
私には検討がつかなかった。

「本当に愛しているなら、恋人が死ぬような事態はまねかない。俺だったら、バルコニーの時点でどうにか攫っていくね」

その瞳は、まっすぐにこちらを捉えていた。
私はその視線に耐えられず、顔の半分を本で隠した。
言葉を発しなくなった後も、ジャイロのその視線は逸れることが無かった。

ジャイロの言ったことは最もだと思う。
けれど、バルコニーの時にジュリエットと駆け落ちせず、自分を死んだように演出せざるを得なかったロミオの気持ちも、私には何となくわかってしまう。
シェイクスピアは悲劇を演出するためにそうしたのだろうが、家柄故に結ばれない……それは私にとっては本の中だけの出来事ではないのだ。

見つめるジャイロの瞳に、私は気づけばあの言葉を投げかけそうになっていた。

「ねぇジャイロ……」
「ん?どうしたななし」



……ジャイロ。どうしてあなたは、ジャイロなの。


続きを発することが出来なかった私の弱い心は、もしかしたら見抜かれていたのかもしれない。

急に黙りこくった私を見て、ジャイロはいつもの愉快な笑い声を出したからだ。

*届かぬことも悲恋*