貴方は私が食べるのを見るのが好きだという。
生きていること、生きたいということを見せつけられているようで堪らなく好きなのだと。
でも私も、貴方が食べているのを見るのが好き。
その大きめの口元が開くのが好き。
それが自分に触れることを想像してしまうから。
暖かで柔らかなその唇が好き。
ねっとりと湿ったその舌の感触が好き。
けれど、一番はそんな煽情的な理由じゃない。
貴方が何かを口にして「美味しい」と笑う度、あの時の私の選択は間違っていなかったのだと思わせてくれる。
私はあの日……エジプトでのあの日。
貴方の運命を狂わせてしまったのかもしれない。
勿論、今日も貴方と会って笑い合えているこの人生を、無かったことにしたいなどとは絶対に思わない。
しかし、完全に終わりかけていた生命を無理矢理に繋いでしまったことを、不安に思わないわけでもない。
そこで死ぬはずだったという事は、それに何か意味があったのかもしれない。そのせいで、彼の人生を大きく狂わせたのかも。
私の知らないところで、彼が大きな不幸を抱え込んでいるのかもしれない。
旅の後、空白の期間を経て再会したあの日に言った「僕は君に生かされている」という言葉が、いつまでも彼自身の心を離れないでいるのかもしれない。
彼の運命や心境ついて考えれば考えるほど、私のした事が良かったのか悪かったのか、不安で押し潰されそうになる。
「いつ来ても、ここのステーキは美味しいな。ななし、またこうやって君とここに来れて嬉しいよ」
けれど、何かを食べて美味しいと思ったり、またおなじものを食べたいと思ったりするのは、生きていなければ不可能なことである。
あのエジプト後に起こった出来事や、自分の未来について語る彼は、今を生きる事を受け入れているのだ。
私は今日も、彼の人生の一部になれた。
明日もその次の日も、この先ずっと、少しでもいいから彼の中の思い出として私が残ればいいのに。
食べるという行為から、花京院典明の運命を想う。