自供


 部屋の入口で真っ青な顔をして呆然と立ちすくむ私に近づいた杏寿郎様は、とても悲しそうな表情を湛えていた。それを目の当たりにした私は、海よりも深い後悔と身体を引き裂かれてしまいそうなほどの苦しみに襲われる。
「…君の日記を勝手に読んだことは謝る」
「っ…あの、私」
「言い訳は聞きたくない。俺が知りたいことは二つ。君が誰で、何のためにこんなことをしたかということだ」
 壁際に私を追い詰めた杏寿郎様は、顔の横に手を突き低い声で言った。杏寿郎様の瞳は切れ味の良い刃物のように鋭くて、こんなに彼を怖いと思ったのは初めてだった。そのくらい、私は杏寿郎様を怒らせたのだ。傷つけたのだ。
「…私っ、私は……杏寿郎様の仰る通り、麗華様ではありません。大河内家のような華族に生まれたわけでもなければ、裕福な家の生まれでもない。…私は、大河内家に頼まれて、ずっと彼女の替玉を演じておりました」
 あの日記を読まれてしまったのだ。もう杏寿郎様に隠し事をすることは無意味だ。私は白状するほかなかった。震えた唇が、決して知られてはいけなかった人に向かって、真実を紡いでいく。
「お金のためです。私は…お金が欲しかった。…杏寿郎様の質問に端的に答えるのであれば…そういうことです」
 私の言葉に、杏寿郎様の顔が徐々に曇っていくのが分かる。そんな彼の表情を見た私の胸も、潰れてしまいそうに痛みを増していく。杏寿郎様のことをこんなにもお慕いしているのに、どうして私は本当の気持ちを伝えることが許されないのだろう。心の中で泣き叫ぶ。しかしこれは、仕方のないことだった。この話を受けた時点で、私が彼を慕うことなど許されなかった。
「君は…金のためであれば人を騙しても平気なのか?心は痛まないか?金のためであれば何でもするのか?……好きでもない男と、床を共にすることも出来るのか?」
 杏寿郎様の口調は冷静だった。しかし、そこには怒りや混乱や悲しみが滲んでいるのが分かった。彼の大きな瞳は赤く潤んでおり、胸が詰まって涙が突き上げてくる。
 もしここで、私が杏寿郎様に本当の気持ちを、心からお慕いしていることを正直に伝えれば、彼は私を選んでくれるのだろうか。今まで何度もそうしてくれたように守ってくれるのだろうか。でも、そしたら大河内家はどうなる?麗華様は?母の治療費は?私の家族は?
 目を見開いて必死に涙が零れるのを堪えながら、私は身を切る思いでゆっくりと口を開いた。
「そうです。…私は、お金のためなら人を騙すことなど何とも思いません。だって…自分が一番可愛いですから。そのためなら、平気で嘘もつきましたし、貴方と寝ることも苦ではありませんでした」
「…っ、本気で……言っているのか」
 喉から絞り出したような杏寿郎様の苦しそうな声に、全てを話してしまいたかった。どうして私は嘘を吐いてまで、杏寿郎様を苦しめなければいけないのだろうか。
「杏寿郎様に真実がばれてしまった以上…私に嘘を吐く理由なんて…」
 言いながら涙が零れそうになり、必死に唇を噛み締めそれを食い止める。
「そうか…君の気持ちは分かった。今すぐ出て行けとは言わない。ただ…今は目の前から消えてくれ。…俺は君に、何をするか分からない」
 私の顔の横に突いていた手をゆっくり降ろすと、杏寿郎様は頬に一筋の涙を溢しながら力なく言った。釣られるように零れた涙を手の甲で直ぐに拭って、私は杏寿郎様の元を離れ、気づかれぬようそっと煉獄家を後にした。
 
「おい、煉獄。お前の嫁…あの女、大河内家の令嬢じゃねーぞ」
 同じ鬼殺隊の柱である宇髄から、そう話を聞かされたのは、彼に街で会って暫くしてからのことだった。根も葉もない噂に最初は宇髄の話を笑い飛ばしたが、彼は「冗談なんかじゃねぇ」と神妙な面持ちで俺に言った。
「俺様の情報網をなめんじゃねーよ。いいか、お前の今の嫁は、正真正銘大河内麗華の替玉だ。どこのどいつかまでは分からねーが、どうやら、大河内家のお嬢様は駆け落ちしたって話だ。そんで大河内家の当主が体裁を守るために、自分の娘によく似た女を探し出して、本物が見つかるまでの間、娘の振りをさせてるらしい」
 宇髄の言葉に、心臓が嫌な音を立てて身体を打ちつけた。麗華が替玉だと?そんな話は到底信じられそうになかった。しかし、元々忍である宇髄の話だ。全くの嘘とも思えない。本当に、麗華が?
 初めて彼女を見た時、可愛らしい女性だと思った。俺は煉獄家に生まれた時点で、生涯の伴侶を選べないことは決まっていた。代々鬼狩りを生業とする由緒ある家だ。その血を絶やさないために、優秀な子孫を残していくために、歴代の煉獄家の長男達も皆、人ではなく家柄で決められた女性を娶ったと聞いていた。
 正直理解し難かった。かといって、心に決めた人がいたわけでもない。俺は、例え家同士が決めた縁組だとしても、妻となる人を愛そうと心に決めていた。
 煉獄家の家柄、良家の令嬢と交流する機会も少なくなかった。彼女達は皆楚々として、隙がなく、完璧だ。だからこそ麗華に会った時、令嬢らしくない素朴な印象を受け、今までに経験したことのない胸の温かさを感じた。今思えば、あの日から俺は彼女に心奪われてしまっていたのかもしれない。
 夫婦になって生活を共にし麗華を知るうちに、益々彼女を愛しいと思う気持ちが育っていった。穏やかで優しい、けれども芯のある彼女に惹かれないという方が、無理な話だった。
 初めて身体を重ねてからは、自分の理性が制御出来ずに不甲斐なく思う場面が幾度もあった。しかし麗華は嫌な顔一つせず、俺のことを受け止め必死に答えてくれた。いつの間にか俺には、彼女が無くてはならない存在になってしまっていた。
「心配してくれてありがとう。…宇髄のことは信頼しているが…やはり俺は自分の耳で聞いていない噂を信じるわけにはいかない!」
「…そうかよ。ま、別に煉獄に危害を加えようってわけじゃなさそうだから、俺は何もしねーけどよ。せいぜい自分の目と耳で確かめろ。…けど、演技だとしたら相当のもんだよな」
「…どういうことだ?」
「どう考えてもお前に惚れてるって顔。あれが演技だったら驚きだよ」
「宇髄…麗華が偽物であるという前提で話を進めるのは止めてくれないか」
「はは、悪ぃ」
 柱である俺達が顔を合わせる機会はそうない。宇髄とのやり取りはそれ以降なかった。しかし強がってはみたものの、一度そういう話を聞かされてしまうと、麗華の行動が気になった。
 外で食事をした時、大河内家の令嬢であれば来慣れていそうな料亭で麗華は居心地悪そうにしていた。一方で馴染みのなさそうな街の茶屋では嬉しそうに笑っていた。その時は全く気にはならなかったが、考えてみると少し不自然だったかもしれない。
 最近では、麗華という名を呼ぶと、彼女は一瞬辛そうな顔をする。情事の最中その名を口にしようとすれば、まるで封じるように俺に口付けた。
 だがそれも長い任務に出るうちに、頭の隅に追いやられてしまった。やはりそんなことはあり得ないと思っていたのだろう。
 そして俺は、今日任務から帰還した。既にハナさんは帰宅していたが、この時間であればいつもは麗華が出迎えてくれるはずだった。しかし煉獄家はまるで家人を失ったかのようにしんと静まりかえっており、嫌な予感がした。
 気配はまるでなかったが、もしかして、鬼が出たのか?
 慌てて麗華の自室に向かう。彼女の姿はなかったが、代わりに抜け殻の布団と、文机に置きっ放しになった日記帳が目に入った。何故だか息苦しいほどの不安に襲われた。麗華が毎日欠かさず日記をつけていることは知っていた。それを抽斗にわざわざ鍵をかけて閉まっていることも。麗華には悪いと思いつつ、好奇心に勝てなかった俺は、日記を手にとっていた。そして、そこに記されていた事実に、目の前が真っ暗になった。

 麗華がいなくなった部屋の畳に崩れるように腰を降ろし、手で額を覆った。彼女が替玉なんて話は、やはり信じられなかった。しかし、手中にある麗華の日記も、先ほどの彼女の言葉も、それが真実であると証明した。
――私は、お金のためなら人を騙すことなど何とも思いません。だって…自分が一番可愛いですから。そのためなら、平気で嘘もつきましたし、貴方と寝ることも苦ではありませんでした
 麗華は俺の目を真っ直ぐ見ながらそう言った。彼女にはとても不似合いな言葉に思えたが、私利私欲のために自分が利用されていたのかと思うと、騙されていたのかと思うと、悔しいというよりも、悲しかった。俺が麗華と過ごした時間は、全て嘘だったのだろうか。花の咲いたような笑顔も、蕩けるような甘い声も、彼女の気持ちなど一匙も入っていなかったのだろうか。
 まるでその答えを探すように、もう一度日記を捲る。すると、日記の間から一枚の文が滑り落ちた。他人に宛てられた文を読むこともまた、褒められたものではない。しかし和紙に綴られた文字を目にした瞬間、俺は部屋を飛び出していた。
 名前。彼女の本当の名を、口にしながら。 

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