氷菓よりも甘い


「わぁ…美味しそう」
 店員が運んで来た、黒い漆塗りの椀に盛られた山のようなかき氷を目の前に、私は思わず感嘆の声を漏らす。
 杏寿郎様が連れて来てくれたのは、街中にあるかき氷屋だった。春といっても今日のように陽射しが強く暑いくらいの日には、削り立ての氷は大層美味しく感じるに違いない。口の中に唾液が滲み、先ほどは皆無だった食欲が唐突に湧いてくる。温かさを含んだ柔らかな風に揺れる店先に掛けられた「氷」の暖簾が、一層食欲を掻き立てた。
「うむ。君は、俺に抹茶の甘味が好きだと話してくれただろう。この店は抹茶の質にこだわっていてな。抹茶の甘味を売りにしているのだが、宇治抹茶のかき氷が絶品なのだ」
「あ、抹茶の…」
 抹茶の甘味は麗華様が好きなものだった。だって私は、宇治抹茶なんて高級品を口にししたことはない。正直どんな味かも分からない。でも、氷は大好きだ。故に、淡雪のようにふわふわに削られた氷を見るだけで胸が弾んだ。かき氷には白玉や餡子も添えられており、濃い緑色の液体がたっぷりとかかっている。
「溶けないうちに食べたほうがいい。今日は暑いから、早く食べないと直ぐ水になってしまうな」
「は、はい。いただきます」
 手を合わせてから椀を持ち上げ、竹の匙で氷を掬う。しゃりっという軽快な音がして、食べる前から涼しくなったような気がした。口に含むと、途端に広がっていく冷たさと、甘さと、ほろ苦さ。最後に抹茶の良い香りが鼻から抜けていく。美味しくて、一口目から笑顔になった。頭の後ろがきんとするのも、かき氷の醍醐味だ。
「どうだ、麗華?」
 私がかき氷を口に入れる様子を隣で眺めていた杏寿郎様が、微笑みながら問うてくる。
「びっくりするほど…美味しいです」
「ふっ、それは良かった」
 杏寿郎様は安堵したように言うと、漸く自身の氷に口を付ける。「美味い!」という大きな声が街中に響いて、通りを歩いていた人々が驚いた様子で私達を振り返ったものだから、思わず吹き出してしまう。
「あはは、杏寿郎様、声が大きすぎです」
「む、申し訳ない。だが、美味いものは美味いのだ」
「ふふ、そうですね。美味しい物が食べられるって幸せですね。私も食事を美味しそうに食べる人を見ると幸せな気持ちになります」
 もう一口、氷を掬った匙を口に含む。また、砂糖の幸せな甘さが口内に広がる。思わず落ちそうになる頬に手をあて笑みを深めると、横顔に杏寿郎様の視線が注がれているのを感じてはっとする。ひょっとすると、華族のお嬢様はかき氷で喜んだり興奮したりしないのかもしれない。怪しまれてしまっただろうか。
「君がこんな風に笑ったのを見るのは初めてだな」
「え?」
「…正直、麗華を街中の店に案内するのもどうかと思ったのだ。きっと君の家では、こういった大衆向けの店には来ないだろうから、嫌がられるかもしれんと思ったが」
「そ、そんなことないです」
「ああ。それはもう、よく分かった。麗華のそんなに可愛らしい笑顔を見られるなら、俺は毎日でも君をこの店に連れて来てしまいそうだ」
「っ…」
 私の不安とは裏腹に、杏寿郎様はこのかき氷よりも甘いのではないかと思う言葉を紡いで、再び自身の氷を口にした。美しい輪郭の横顔がほんのり赤く染まっていることに気がついて、こちらまで気恥しくなった。同時に、杏寿郎様の言葉は私ではなく、麗華様に向けられているものなのだと思うと、微かな淋しさを感じた。

 かき氷を食べ終えて店を出る頃には、西の空の端が曙色に染まり始めていた。今日はもう任務に出る予定はないという杏寿郎様と、目的もなくぶらぶらと街を散歩した。男性と二人で肩を並べて出かけた経験などなく、最初のうちは勝手が分からずぎこちない態度をとってしまったけれど、彼が優しく手を引いてくれ、家族のことや鬼殺隊のこと、様々な話をして楽しませてくれたおかげで、私の緊張は解れていった。
「よぉ、煉獄じゃねーか」
 そろそろ帰ろうか、と杏寿郎様と顔を見合わせていた時、背後で声が揺らいだ。声の方に視線を向けると、上背のある杏寿郎様よりさらに背丈のある大きな男性がニンマリとした笑みを口角に湛えて私達に歩み寄ってくる所だった。
「宇髄!」
「今日は非番か?」
「うむ。今日任務から戻ったのだ。君は確か…」
「ああ。例の場所を探ってるところだ。それより…」
 作り物のように整った顔をした男性は、杏寿郎様から私へ興味深そうに視線を移した。話の内容から推察するに、杏寿郎様の同僚なのかもしれない。
「初めまして。麗華と申します」
 私は慌てて頭を下げ、仮の名を告げる。また一人、嘘を吐かなければならない人が増えた。こうしてあと何人を騙せばいいのだろうか。先ほどまでの楽しい気持ちが、ゆっくりと萎んでいく。
「ああ、俺は宇髄だ。…ふーん。確か大河内家の御令嬢だろ?大河内家と聞けば、この辺りで知らない奴はそういねぇだろ。煉獄家の坊ちゃんが嫁に迎える家柄に相応しいな」
 宇髄様は顎に手を置いて、品定めするように私を見た。綺麗な顔をのせいなのか、鋭く光った切れ長の目にはなんとも言えぬ威圧感があった。少しでもボロが出たら、麗華様の偽物であることなど、容易に見抜かれてしまいそうだ。
「なんか案外お嬢っぽくねぇのな。正真正銘のお嬢っつーのは、佇まいから違うって聞くだろ」
 背筋を刃物で撫でられたようにひやりとする。やはり、見る人が見れば分かってしまうのではないか。
「宇髄!そういう言い方は彼女に失礼だろう。それに麗華は、名家の名に恥じないくらい綺麗な心の持ち主なのだ。君も話してみれば——」
「おいおい煉獄、そんなむきになんなよ。俺は褒めてんだぜ。お前の嫁みたいな方が、俺は好みだな」
 疑われているとばかり思っていたので、予想外の賞賛の言葉に呆気にとられてしまう。すると宇髄様は苦笑して、私の頭にぽんと大きな掌を乗せた。
「煉獄のこと、宜しく頼むな。こいつはいい奴なんだが、真面目すぎる。腹ん中では色々考えてるんだわ。…支えに、なってやってくれ」
「は…はい」
 満足そうに微笑んだ宇髄様は、私の頭に乗せた手で髪をくしゃりとしてくる。すると、その手を掴み私から遠ざけるもう一つの逞しい腕。こちらは、杏寿郎様のものだ。
「もういいだろう」
 虫の居所が悪そうな声が鼓膜に流れ込んでくる。隣の杏寿郎様を見上げれば、眉の間に不機嫌さを漂わせているのが分かる。杏寿郎様と過ごした日は数えるほどしかないが、私が初めて見る彼だった。
「ふっ、新婚だもんな。邪魔して悪かったよ」
 ちっとも悪びれた様子もなく言って、揶揄うような笑みを浮かべた宇髄様は、「珍しいもんが見れた」と踵を返して去っていく。その大きな背中が街の人込みに紛れて見えなくなるまで見送ってから、私と杏寿郎様はゆっくりと顔を見合わせて、気まずさを誤魔化すような笑みを作った。
「か、返りましょうか」
「ああ…そうだな。もう日も暮れる」
 杏寿郎様が、私の手を絡めるように握り直した。先ほどよりもずっと汗ばんでいる手は、彼と私、どちらのものだったのだろうか。

 その日の夜は、祝言の日以来、杏寿郎様と共に床に就いた。夫婦なのだから一緒に就寝するのは普通なのかもしれないが、躊躇なく布団に入ってきた杏寿郎様に、鼓動が早くなるのが分かった。ひょっとすると、初夜に出来なかった男女の営みをするのだろうか。抵抗はないが、緊張で全身に岩のような頑固な力が篭る。
 するとそんな私の様子を察したのか、一緒の布団に包まっていた杏寿郎様が唇を綻ばせ、緊張を解きほぐすように髪を優しく撫でてくれる。
「麗華、そんなに怯えた顔をするな」
「お、怯えた顔?」
 そんな顔をしていたつもりは毛頭なく、咄嗟に聞き返せば杏寿郎様は大きな手をそのまま私の後頭部に回し、髪に手を差し込んだ。
「君が怖がっているうちは、取って食ったりしないから安心してくれ」
「べ、別に私は——」
「だが……君の唇に触れるのだけは…許してくれるか?」
 杏寿郎様の大きな瞳が熱っぽく揺らめき、私の目を捕まえる。祝言の日から拒否をしてきたつもりはない。当然、「勿論です」と言葉を紡ごうとした時には、唇が重なっていた。生まれて初めての接吻。少し触れただけなのに、唇が炙られたように熱く感じた。
「昼間は、情けないところを見せてすまなかった」
 一瞬で唇を離すと、杏寿郎様は決まりが悪そうに呟いた。覚悟していたはずなのに、初めての口付けに戸惑い上手く言葉が出てこない私に語り掛けるように、彼は言葉を続ける。
「麗華に触れる宇髄に…嫉妬していたのだろうな」
 昼間の彼の行動を思い出す。宇髄様の手を掴んだことも、不機嫌そうな声も表情も、私を想っての行動だったのか、と思うと恥ずかしくて嬉しかった。
「杏寿郎…様」
「だから今日は…大目に見てくれ」
 苦笑した杏寿郎様は息をするように囁いて、再び私の唇に吸い付いた。甘味よりも甘い熱が、唇から全身に広がっていった。
——それに麗華は、名家の名に恥じないくらい綺麗な心の持ち主なのだ
 ふと、先ほどの杏寿郎様の言葉が脳裏を掠めた。もし私が麗華様の替玉だと分かったら、杏寿郎様は同じ台詞を言ってくれるのだろうか。


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