episode 04
赤い糸の伝説




 女子生徒の状況報告にと隣の車両へ戻ってみれば、新幹線の中であるにも関わらず、生徒達に囲まれる煉獄先生の大きな声が鼓膜を打った。
「煉獄先生、運命の赤い糸のお話、教えて!先生は確か、元々中国から伝わった話だって言ってたよね」
「ああ、そうだ!よく覚えていたな。感心感心」
「あ、女子だけずりー。煉獄先生、俺達にも教えてくれよ」
「そう慌てるな。よし、修学旅行の前にもう一度話をしようか」
 煉獄先生が苦笑しながら、順番に生徒達の頭を撫でていく。男子生徒はまだ良しとして、この年頃の女子生徒にこういった行動を取るのはいかがなものだろうか。流石に彼に疚しい気持ちはないと思うし、生徒達も喜んでいるだろうけど、先ほどの女子生徒のように煉獄先生に憧れ以上の感情を抱いてしまう生徒も出てきてしまうかもしれない。そんなことをぼんやり考えていると、煉獄先生の解説が始まってしまった。
「もともと赤い糸の話は、中国の古い書物に記載されている奇談なのだ。目下の縁談の話がうまくいかない人物が、月の下で書物を読む老人に出会うが、実はこの老人はこの世の人間ではない。冥界で婚姻が決まると現世に降りてきて、男女の足首に切れない縄を結んだらしい。これが結ばれると、距離が離れていても境遇が違っても、必ず結ばれる運命にあるという、まぁそんな話だな」
 声をかけるタイミングを失った私は、背後で生徒達に混じってその話を聞いていた。流石キメツ学園の歴史教師。こういった類の話はお手の物なのだろう。
「え、運命の赤い糸って足首なんですか?手の小指じゃなくて?それに、日本では縄じゃなくて糸ですよね」
「うむ、良い質問だな。これは定かではないのだが、日本に伝わった過程で、足首の赤い縄から小指の赤い糸に変わったと言われている。皆も、約束の際に指切りをしたことがあるだろう?小指の方が日本人の感性に当てはまったのではないかという説が濃厚だな」
「煉獄先生流石―!あー、赤い糸が有名な神社、楽しみだね」
「本当だね。自由行動の時、そこの神社に沢山時間割きたいよね」
 生徒達が感心した様子で騒ぎ立てる。私も話に聞き入っている場合ではない。
「煉獄先生、ちょっといいですか。先ほどの生徒の件で」
「名字先生!すまない。ひょっとして待たせてしまっただろうか?」
 背後から声をかけると、ようやくこちらの存在に気付いた彼は、申し訳なさそうに眉尻を下げて席を立つ。私は小さく首を左右に振って、煉獄先生をちょいちょいと手招きし車両と車両の結合部へ誘導する。
「生徒の様子はどうだ?」
 車両を出るなり煉獄先生が口を開いたので、私も彼に向き直る。
「はい、煉獄先生の仰るように乗り物酔いですね。ただ、少し精神的に落ち込んだことがあったようで、それが根本の原因なのかもしれませんね」
「…そうか」
 どんな反応をするだろうと、窺うように煉獄先生を見れば、微かに眉根が寄せられた。彼が悪いわけではないので、少し意地悪な言い方をしてしまったかもしれないが、それにしても生徒に「運命の人と出会える」と言ってしまうのはどうなのだろうか。
 運命の人なんて、本当に信じてるんですか?それとも女を振る煉獄先生の常套句?
 喉まで出かかりそうになった言葉をなんとか呑み込む。流石にこれは自分勝手な物言いだ。
「とりあえず今は落ち着いて眠っているので大丈夫です。目的地に到着しても体調が戻らなければ、午後の見学は控えさせて、私と先に宿に行くことにします」
「承知した。忙しいのに申し訳ないな」
「いえ、これが私の仕事ですし、具合が悪くなる生徒なんてそうそう出ませんから、忙しくもないですよ。じゃあ、私はこれで」
 事務的なことを伝えて一礼し、踵を返したところで右手首が掴まれた。煉獄先生の予想外の行動に心臓がどくりと音を立て、慌てて背後を振り返る。
「名字先生」
 煉獄先生は神妙な顔で私の名を呼んだ。
「な、なんですか」
「体調は、もう大丈夫なのか?」
「も、もう何ともないです。その節はご迷惑をおかけしました」
「そうか。それならば良かった。この時代の医療で救えない病はそうないと思うが、くれぐれも気をつけてくれ」
「…はい。お気遣い…ありがとうございます」
 煉獄先生は安堵の笑みを漏らし、私の手首を離すと自身の生徒が待つ車両へ戻っていった。
 やはり煉獄先生はよく分からない。私の体調を心配してくれるのは有難いが、妙に引っかかる。「この時代の医療」だなんて、一体煉獄先生はいつの時代を生きてきた人なのだろうか。まるでずっと昔に生きていたような言い方だ。
 頭に疑問符を浮かべながら、私は今度こそ自席へ向かう。

  

「おっ、名字先生!今から数人で飲みに行くんだけど、一緒に来るか?」
 無事に目的地に到着し、修学旅行の一日目が幕を閉じようとしている午後十時、生徒達の就寝時間も過ぎて漸く入浴を済ませた私に声をかけてきたのは、美術教師で飲み仲間の宇髄先生だ。
 教師が今から飲みに出かけるなど生徒に示しがつかないと呆れつつ、宇髄先生の言う「数人」を見れば、冨岡先生、悲鳴嶋先生、カナエ先生、そして煉獄先生というラインナップだ。修学旅行初日でこの時間から飲みに行くつもりは毛頭なかったが、煉獄先生もいるとなれば、尚更尻込みしてしまう。彼が嫌いなわけではないけれど、最近は特に落ち着かない気持ちになる。
「カナエ先生も行くんですね」
「ええ、折角なので。どうですか、名前先生も」
「折角ですけど、今日は遠慮しておきます。お風呂も済ませちゃいましたし。確か最終日に、向こうに戻ってからお疲れ様会がありましたよね。そちらには参加させてもらうので」
「ま、確かに保健室の先生が二日酔いで使い物にならないってんじゃ、示しがつかないからな」
 宇髄先生は頭の後ろで腕を組みながら、口角にニンマリと意地悪そうな笑い皺を刻む。
「今から飲みに行く人に言われたくないですけどね。まぁでも、そういうわけですから、先生方で楽しんで来てください」
 ぺこりと頭を下げてUターンする。明日は何時起きだっけと、頭の中で旅行のしおりを広げてみる。午前中は全体行動、午後は班行動だったはずだ。神崎さん達の班に混ぜてもらうんだっけ、と自分の一日の動きを確認していると、後ろで溌溂とした声が揺らいだ。
「名字先生」
「あれ、煉獄先生?宇髄先生達、行っちゃいますよ」
 声をかけてきたのは煉獄先生だ。このシチュエーションは本日二度目である。あの日以来、目の前のこの人と二人きりになる機会が多いのは、たまたまなのだろうか。
「ああ、それは問題はない。…それよりも、今日はうちのクラスの生徒をありがとう」
「だから、さっきも新幹線の中で言いましたけど、これが私の仕事なんです。煉獄先生が授業するのと一緒ですよ」
「そうかもしれないが、生徒も授業が終われば、教師に礼を言うだろう」
「それは…そうですけど」
「あと、明日はうちのクラスの別の生徒が名字先生の世話になると聞いた」
 恐らく神崎さん達のことだ。まさか神崎さん、煉獄先生に先日の婚活イベントの話をしていないだろうかと冷や冷やしたが、その可能性は低そうだ。気づかれないよう安堵の溜息を漏らして、私は首を縦に振る。
「神崎さん達のことですよね。いえいえ、こちらこそ声をかけてもらって有難かったです。女子生徒だけの班だと心配ですから、しっかりお守りしますので安心してください」
「心強いな。俺もなるべく自分の生徒が周る観光地を巡回するつもりだが、恐らく全てには気を配ってやれない。申し訳ないが、宜しく頼む」
「はい、分かりました…っくしゅ」
 律儀に頭を下げる煉獄先生に気前よく返事をするも、不意に鼻がむず痒くなって、可愛げのないくしゃみが一つ飛び出す。いくら四月といっても夜は肌寒い日もあるし、風呂上りで湯冷めしてしまったのかもしれない。そろそろ解放してもらって部屋に帰ろう、と思ったところで目の前の煉獄先生がばさりと上着を脱いでいることに気がつく。そしてそれはあっという間に私の手に握らされてしまう。
「風邪を引いてしまうぞ。湯冷めしないようにこれを着るといい」
「え、でも、私もう眠るだけですし、煉獄先生これから外に出るんじゃ」
「俺は人より体温が高いみたいなのだ。本当は上着も必要なかったくらいだ」
 明らかに動揺する私と相反して、煉獄先生は当たり前のように言うと、「おやすみ」と爽やかに手を挙げて踵を返し、小走りで去って行ってしまった。小さくなる背中を見送りながら、私は上着をぎゅっと握りしめる。
「っくしゅ、っくしゅ」
 暫く手中の上着をどうしたものかと眺めていたが、今度は大きなくしゃみが二つでた。このままでは本当に風邪を引いてしまうかもしれない。
 私は躊躇いがちに上着を肩にかけながら、部屋へと戻る。彼の温もりを肩に感じて、何故か頬が熱くなった。そして不思議なことに、私はこの温もりを知っているような気がしてならなかった。


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