「演練の時間よ」

 部隊編成を再度確認し準備を終えた主は、軽やかな足取りでゲートへと向かった。寝癖をつけた御手杵も左右違う靴下を履いたまま主についていく。
 今日の夕飯について話している二人の雰囲気は、春の陽気のようにほのぼのとしている。
 しかし、その後ろにいる他の部隊員達の空気は、前二人とは比べ物にならないほど重かった。

「なぁ、今日も起こると思うか?」
「起こるだろうな」
「だよなぁ……」

 溜め息と共に項垂れる鶴丸を見て、薬研も深い溜め息をついた。
 これから起こるであろう出来事のことを考えると本当に気が重い。山姥切が無言のまま二振の肩をポンポンと叩いた。
 早く行こうぜという御手杵の声が聞こえたが、急ぐ気にはなれなかった。



 ゲートをくぐり演練会場に着いてすぐ、周辺にいた審神者の視線は主へ向けられた。
 目を輝かせて見つめる者、鋭い目で睨みながらヒソヒソと話している者。様々ではあるが、みな主を見ているのは確かだった。
 主はいい意味でも悪い意味でもかなり目立つ。
 眉目麗しいのはもちろん、戦績もよく政府発行の広報誌にも名前や写真がよく掲載されているため審神者達の中では有名だ。
 憧れを抱く者も多いが、好奇や嫉妬の対象にしている者の方が多い。
 非常に居心地の悪い空気など一切気にせず、主は受付へと向かった。

「演練参加の手続きをしたいのですが」
「……かしこまりました。少々お待ちください」

 少し眉間に皺を寄せた職員は、パソコンに何かを打ち込み始めた。主の後ろから聞こえるヒソヒソ話は少しずつ大きくなっている。
 主を見るばかりで受付に並ぼうとしない審神者達を見かねて、職員が「こちらへ」と声をかけるがほとんど動こうとしない。
 あぁ、また時間がかかる。
 「天気がいいわね」と微笑んでいる主と「今日の夕飯は唐揚げとみた」という根拠が一切わからない答えを返す御手杵の後ろで、他の部隊員達は職員からの刺さりそうな目線に耐えながら手続きが完了するまで待っていた。



 演練場で配置につくまでは、御手杵が何もないところで2回転んだ程度で特に問題なく進んだ。
 審神者用の控え室にいる主がこちらへ手を振っている。御手杵が気の抜けた笑顔で手を振りかえしていた。
 その様子を鼻で笑った相手の女は、「絶対に勝ちなさい!」と高い声で叫んでいる。
 女の部隊はレアと呼ばれる刀剣達を編成した、俗にいう「見せるための部隊」だった。練度も低く、訓練した様子もあまりない。本刃達もそのことをわかっているようで、表情は暗い。
 それに対して、こちらは最近来たばかりで経験を積むために部隊長となっている鶴丸以外みな比較的入手しやすい刀剣達だ。しかし、実践と訓練で研ぎ澄まされた刀の切れ味は凄まじい。刀剣としては、こちらの方が幸せかもしれない。
 演練開始の合図と共に、それは表明された。



 一瞬で圧勝した刀剣達に、主は「ありがとう、お疲れ様」と声をかけた。一振ずつ手を握り、労ってくれる。誉をとった御手杵は頭を撫でてもらっていた。
 大型犬と化している御手杵以外の刀剣達は素早くその場から離れようとした。
 しかし、残念ながらそれは叶わなかった。

「ちょっと!あんた、ズルしたでしょ!?」

 やはりきた。
 予想通りの出来事に溜め息が出そうになるのを堪えながら、慣れた動きで主を自分たちの後ろに隠した。
 主が演練に出ると、高確立で絡まれる。
 前は、政府高官の親族を名乗る男が主を嫁にすると言い出した。その前の女は、負けた腹いせに呪具を送りつけてきた。
 大きいことから小さいことまで、数え始めるときりがない。
 演練を控えるよう言っても、「任務だもの」と微笑むばかりで効果はない。
 主なら怪我なく対処できるだろうが、彼女に仕える刀剣男士として放置するわけにはいかない。
 それに、主には悪い癖がある。もともと嫌われやすいのにより敵を増やししまうような癖が。
 甲高い声で絡んできた女は、刀剣達の「やめれくれ」と懇願するよ顔には全く気付かず喚き散らす。

「そんな低レアばっかりの部隊に、あたしが負けるわけないじゃない!
 こっちはみんなレアなんだから強いのに!何かしたんでしょ!?
 あんたがズルしたってこと、わかってるんだからね!?」

 鼻息荒くまくしたてる女は、止めようとする自分の刀剣を振り払って怒鳴り続ける。
 この場から離れようとしたが、時すでに遅し。予想よりずっと早く周りは野次馬で埋まっており、逃げ道がなくなっていた。

「ずいぶん集まったもんだ」
「そうだな」

 苦笑いを浮かべる鶴丸に、山姥切は眉間を押さえながら返した。
 主には敵が多い。味方より圧倒的に多い。「今日こそあの女が痛い目に会うかもしれない」という遡行軍より厄介な悪意に囲まれてしまった。
 人混みを掻き分けていくことは簡単だ。しかし、他の審神者を傷つければどんな処罰が待っているかわからない。
 どう切り抜けるべきか、全員が考えていたその時。

「よかったわね、たくさん来たみたよ」

 喚いていた女は目を丸くして静かになった。
 主は、艶やかな黒髪を指先でいじりながら爪を見ていた。
 山姥切は主が何をする気か察し声をかけようとしたが、間に合わなかった。

「あら、もう演説は終わり?こんなにたくさん集まってくれたのに。
 ズルがどうとか言っていたみたいだし、証明してくれるのでしょう?
 そのために大声出して観客を集めたのよね?
 さぁ、見せてくださるかしら。私がズルしたっていう証拠」

 爪から目線を外し、女を見た主はクスクスと笑っている。
 ハッとした女は、すぐ周りを見渡した。
 「何?喧嘩?」「早くしろよ」「まだ?」野次馬は好き勝手なことを言っている。
 自分を取り囲む群れを目の当たりにして、女はすっかり萎縮し何も言えなくなってしまっていた。
 山姥切がすぐ「そろそろ行こう」と腕を引いたが主は止まらない。
 ふわっと柔らかい咲いたばかりの花のような笑顔を浮かべた。

「あらあら、何もないの?何もないのに大声を出したの?
 どんなご都合主義を披露してくれるのかと思ったら……あぁ、期待して損してしまったわ。
 レアを集めてもその程度なのね。あなたは本当にふさわしい主?ねぇ、教えてくださる?」

 山姥切は「またやった……」と呟いて手で顔を覆った。
 これが主の悪い癖。主は気付かないフリをするだけで、人の心を察するのが上手い。だからこそ、一番言われたくないことがすぐわかる。喧嘩をしかけてきた相手には容赦ない言葉を浴びせてしまう。これこそ、主に敵が多い原因だ。
 案の定、女は顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。さすがに女の刀剣が反論しようとしたが、すかさず主が口を開く。

「わからないようだから教えてあげるわね。あなたが負けた原因は圧倒的な経験不足。
 レアだ何だと見せびらかしたいなら、もっと鍛えてあげたらどうかしら。
 刀剣男士はお飾りじゃないのよ」

 俯いたまま返事をしない女を気にする様子もなく、主は自分の刀剣に帰りましょうと声をかけ、御手杵と共に背を向けて歩き出した。刀剣達も少し躊躇いつつもついていく。
 山姥切が刀剣男士にも効く胃薬があるのか調べようと考えたその時、大きな敵意をぶつけられ慌てて振り返ると、女が怒りに染まった顔で主を睨んでいた。

「……ふ、ふざけんなぁぁぁッ!!!」

 弾かれたように走り出した女は、自分の髪からかんざしを引き抜き真っ直ぐ主へ向かってきた。突然のことに驚いた女の刀剣は女を止めきれなかった。
 面倒なことになった。舌打ちをした薬研が女に怪我をさせないよう押さえ込もうとした。が、それよりも速く伸びる手が女の首を掴んだ。

「おいおい、主に何しようとしてるんだ?」

 御手杵だった。
 眉を八の字にし、気の抜けたような困った顔をしている。はずなのに。
 息が出来ないほど重く禍々しい気が無防備な女に降りかかる。まさに、『殺気』だった。
 生まれて初めて首を絞められ本物の殺気を向けられた女は、御手杵から目を逸らせず震えることしか出来なかった。酸素を求めて開かれた口から泡立った唾液が垂れ落ちる。

「あ、がっ」
「よくわからんが、主に手を出そうとしたなら覚悟はできてるよな?」

 御手杵が本体を握り直すと同時に、女の刀剣達が一斉に切りかかった。

「御手杵、放して」

 パッと手を放した御手杵は数歩下がり、自分を狙う斬撃を全てかわした。
 咳き込む女を介抱し殺気を放つ刀剣達など無視し、御手杵はすぐ主の元へ向かった。心配そうに身体のあちこちを触って確認した後、主の頬を両手で包んだ。

「大丈夫か?怪我してないか?」
「えぇ、あなたのおかげよ。ありがとう」

 よしよしと優しく頭を撫でられている御手杵は、大型犬に戻っていた。主は嬉しそうに笑っていた。
 頭に血がのぼり再度切りかかろうとする女Fの刀剣達と御手杵達の間に立った山姥切は冷静に声をかけた。

「うちの御手杵がすまなかった。しかし、先に手を出してきたのはそちらだ。
 ここは、お互い様ということで納得してもらえないだろうか。
 御手杵と主は、後で俺がきつく叱っておく」

 そう言った山姥切以外の刀剣達は何度も深く頷いた。「うえぇー」と困った声を出した御手杵は薬研に睨まれ、怒られた犬のようにしゅんと俯いた。
 女の刀剣は、山姥切の言葉に反論できず気まずそうに顔を見合わせていた。
 元はと言えば、自分の審神者が難癖をつけたことが始まりなのだ。止めきれなかった自分たちにも責任はある。
 ここで戦闘が始まれば双方の審神者の立場が危うくなるだろう。現に、騒ぎを聞きつけた政府職員がこちらに走ってきている。
 審神者に手を出した御手杵は許しがたいが、ここは堪えなければならない。女の刀剣は渋々頷いた。

「感謝する。
 職員に捕まらないよう、早く帰った方がいい」

 姿勢を正し一礼した山姥切は、身を翻し主の腕と御手杵の襟元を掴んで足早にゲートへと向かった。野次馬達はモーゼのように割れ、迷いなく歩く山姥切に道を作った。
 「ちょ、転ぶ!転ぶって!」という御手杵の抗議の声は完全に無視され、実際転ぶ度に無理矢理起こされ半ば引きずられるようだった。

「こりゃ、山姥切は相当お怒りだな。あいつらもこってり絞られるはずだ。許してやってくれ」
「すまなかったな。おれっち達からもガツンと言っておく」

 鶴丸と薬研は女とその刀剣達に頭を下げ、山姥切の元へ向かった。残りの刀剣達も一礼しその後をついていった。
 その背中を見ていた女の刀剣達は、もう二度と会いたくないと思いながら戸惑っている審神者を背負い別方向のゲートへ向かった。



「今後は演練禁止。三ヶ月出陣禁止だ。わかったな」
「はい……」

 山姥切、薬研、鶴丸、事情を聞いた石切丸によるお説教4時間コースを受けた御手杵は、すっかり痺れた脚を引きずり半泣きで部屋から出ていった。
 溜め息をついた山姥切は、御手杵と一緒に説教を受けていた主の方へ向き直った。御手杵とは違い、涼しい顔で微笑んでいる。

「何度も言ったろう。煽るような真似はするな」
「売られた喧嘩は買うのが礼儀だわ」

 一切悪びれることもなく言い放つ主に顔をしかめた。

「何かあってからじゃ遅いんだ」
「その時は、助けてくれるでしょう?」

 当然のように言い放たれた言葉にみなが頭を抱えてる間に、主は嬉しそうに笑いながら出ていった。
 今後も主は変わらないだろう。誰かに助けてもらうため、わざと敵を作り危険を呼ぶ。
 現世で誰もしてくれなかったことを、ここで思う存分満喫している。
 はた迷惑な話だが、刀剣達は心底嫌なわけじゃない。どこかで主を守ることに喜びを感じてる。
 他者に迷惑をかけても主を喜ばせたい卑劣な自分を自覚しなければならない。
 全員顔を見合わせ、深い溜め息をついた。

 だからここの刀剣男士達は、演練が好きじゃない。