「よし、着いた」

 私は腕を組み、目の前にあるオンボロアパートを見上げた。
 相変わらずオバケが出そうなところだ。実際に出るのだが。
 辺りを見回せば、エージもアズミちゃんもいないらしい。なら、今がチャンス。
 私は大きく息を吸い込み、気合いを入れてからうたかた荘に乗り込んだ。



 中には、ソファーに座り何か考え込んでいる明神がいた。
 このぼんやり具合。ほとんど退治されたはずの流仙蟲がこんな都会にいたし、何かあったんだろう。
 けど、今の私はそんなこと気にしてられない。
 音を立てないようこっそり近づいて、壁から上半身だけ出して、後ろから。

「あらあら?考え事かな?」
「うわッ!?」

 漫画のようにソファーから転がり落ちる明神を追いかけるように、私も壁を出た。
 落ちた時に打ったであろう頭を押さえている彼は、自分を見下ろしている私を認識するとすぐに顔を強ばらせた。

「げっ、キョウ……」
「げ、とは何さ。失礼な」

 怖い大人に会った子供みたいな顔して。
 明神もきっと、私が何で怒っているか理解しているはず。

「えっと……お、俺、何かした……?」

 こけた。それはもうコントのように。そしてすぐに、頭の中で何かが切れた音がした。
 ゆっくりと顔を上げれば、私のこけっぷりに気をぬいていた男の顔が一瞬で変わった。

「何かした、だとぉ!」

 明神の「やべっ」という呟きを無視し、私は一気に距離を詰めた。

「大きな獲物が出た時は私を呼べって言ったじゃない!あんな大物消しちゃって!
 あのレベルはなかなか出会えるものじゃないってのは、君も知ってるでしょ!
 何度同じこと言ったと思ってるのさ!ほんの数日前に言ったことも憶えられないのか!」
「で、でも、今日は女の子も一緒にいて」
「問答無用!」

 私は素早く三味線を取り出し、明神の頭に振り下ろした。
 直撃した明神は、頭を押さえて転がり回る。思い知ったか、乙女の怒り。

「いってぇー!お前本気でやったろ!」
「5割くらいだよ。本気でやったら、いくら君相手でも頭カチ割っちゃう」

 涙目で訴えてくる明神に、投げるように吐き捨てた。
 彼を殴ったところで、流仙蟲が帰ってこないのはわかってるんだけど。
 あ、涙が。
 
「うう、大物だったのに」
「まだ言うかよ……」
「そりゃそうでしょ。貴重なごはんが……」

 そこまで言ってハッとした。急いで口を閉じたが、間に合わなかったようだ。
 顔を曇らせた明神が、顔を逸らしていた。

「……やっぱり、喰ってんのか」
「見たこと、あるでしょ」
「ああ」
「陰魄しか食べてないよ」

 何とか捻り出したしょうもない言い訳も、彼には無意味なものだったらしい。
 「そうか」とだけ呟き、顔は逸らせたままだった。
 やってしまった。
 魂を食べる話をすると、彼は必ずこうなってしまう。
 理由は知らない。彼も話さないし、私も聞かない。
 何か辛い思い出があるのだろうし、そういうことは無理に話すことではない。
 だからこそ、自分の配慮の無さに腹が立つ。

「えっと、ごめんね」
「いや、いい」

 自分で気まずくしてしまった空気をどうにかしたかったが、もう言葉が出なかった。
 何やってるんだよ、もう。
 静寂が流れる。

「そういや、見つかりそうか?」
「え?」

 突然の問いかけに驚いたが、すぐに意図が理解できた。
 明神は、この空気をどうにかしようとしてくれてるんだ。
 彼に気を遣わせたことを申し訳なく思いながら、出来るだけ普通に答える。

「んー、手がかりなし、かな」
「そうか……」

 明神は、少し残念そうな顔をして頭を掻いた。
 本当に優しい人だなぁ。

「早く見つかるといいな」
「ありがとう。見つけてみせるよ」

 親指を立てて答えれば、明神も微笑んでくれた。

「見つけたら教えろよ?」
「もちろん!『この人が愛しのマイダーリンです』ってね」
「黒髪の素敵な?」
「わかってるじゃない」
「あれだけ言われればな」

 いつの間には、私たちは笑い合っていた。

「さて、と。じゃあ、そろそろ行くね」
「おう、そうか」
「またすぐ寄ると思うけど」
「待ってるぜ。今後、依頼があったら手伝い頼むわ」
「絶対だよ?キョウさんの強さ、見せちゃうんだから」
「そいつは楽しみだ」

 明神が、ニカッと笑う。
 この人懐こい笑顔には結構救われてる。
 恥ずかしいから、言わないけどね。

「それじゃ、またね」
「おう、またな」

 手を振りながら、ドアをすり抜けた。
 外は肌寒く、西の空はオレンジと紫のグラデーションになっていた。
 夕日に照らされ、全てが橙色に染まる。
 その光景は、妙に切なさを感じさせた。

「早く会いたいな」

 自分の言葉が、チクリと胸に刺さる。
 これ以上胸の傷を広げないよう、私は森の方へ駆け出した。

「絶対見つけるからね、ハセ」

 ペンダントの青いビー玉が光った気がした。
 ハセが返事をしてくれているように感じて、なんだか暖かくなった。

 その2時間後、うたかた荘に新しい住人が来たことを私は知らない。