今日も、生暖かい風が吹き抜ける魔界。私は縁側に座り、透き通るとは程遠い空を眺めていた。薄汚い雲がゆっくり流れる様子を眺めていると、何だか眠くなってくる。このまま寝てしまおうか。

「寝るな」

 ゆっくりと後ろにある和室の方を向けば、至る所に包帯を巻いた公威が、布団から起き上がり少し機嫌の悪そうな顔をして私を見ていた。

「公威が何もさせてくれないから悪いんだぞ?」
「ふん、当然だ。漢がメスの手を借りるなど」
「じゃあ、寝ててもいいじゃないか」
「許さん」

 ツンとそっぽを向いて横になる公威を見て、ため息を吐いた。
彼の我が侭は今に始まったことではないが、もういい大人なのだから少しは改善されてもいいと思う。普段なら蹴飛ばしてやるところだが、これ以上怪我を増やすわけにはいかない。
私は、大人しく布団の横に座っていることにした。
 彼の父上から事情を聞いたところ、どうやら、人間に取り憑いて革命を起こそうとしたら、他の人間に邪魔された挙げ句ボロボロにされたらしい。
 傷だらけで帰ってきたときは、生きた心地がしなかった。しかし、当の本人は何だか悦んでいて、心配が怒りに変わって思い切り殴りつけてしまった。
 そのせいで、公威は余計ボロボロになってしまい、罪滅ぼしとして私が看病している。…看病しているのだろうか。
 実際は、「メスの手助けなど不要!」と言われて何もさせてもらえず、ただ横に座っているだけ。暇つぶしにウロチョロすれば、すぐに文句を言われて布団の横に連れ戻された。
 彼は、私を退屈死させたいのではないだろうか。
 そう思うと何だかイラッときて、彼の髪をグイッと引っ張った。抗議の代わりに小さい喘ぎ声が聞こえた。余計、イラッときた。
 苛つきを誤摩化すように空を見れば、誰のものかはわからない魔方陣が浮かび上がっているのが見えた。それを見て、私は公威に言おうと思っていたことがあったことを思い出した。
 できれば、忘れたままでいたかったが。乗らない気分に気付かない振りをして、ボンヤリと魔方陣を眺める公威に声をかけた。

「そういえば、公威」
「何だ」
「私のグリモア、もう人間界に現れているはずだ」
「……そうか」

 そう言って、公威は寝たまま私に背を向けた。だから、気が乗らなかったんだ。
 公威が、まだ人間界に行ったことのない私を心配してくれていることは、幼い頃からずっと一緒に居た私が一番よくわかっている。
 心配する気持ちを言葉にできず、背を向けることでしか表現できないところは実に彼らしい。
 どうせなら、「行くな」と言って抱き締めるくらいしてくれればいいのに。不器用すぎる彼には、無理な話だろうけど。
 私には、まだ見ぬ未知の世界へ行くよりもずっと怖いことがあることを知らないのだろう。なぁ、公威。
 私は、手を伸ばし、傷に触れないよう気を付けながら彼のうなじに触れた。
 ザラザラとした鱗の感触が指に伝わる。公威が動かないでいてくれることを好い事に、昔より硬くなった鱗の感触を指に覚え込ませるように執拗に触れた。

「……なぁ、公威」
「何だ」

 公威は、背を向けたまま答えた。私は手をゆっくりと移動させ、彼の髪に指を通す。見た目よりフワフワと柔らかい感触が心地いい。

「私、公威と同じ職場になりたいな」
「……無茶を言うな」
「分かっているよ」

 悪魔は、自分のグリモアがどこに現れたのかを知る事ができない。
 あの広い人間界で、私のグリモアが公威のグリモアを持つ人間の手に渡る可能性など0に等しい。
 胸のあたりがチクリと痛む。分かっているんだ。分かっているが、それでも。

「夢子」

 名を呼ばれて、我に返った。今まで背を向けて寝ていた公威は、いつの間にか起き上がって私の方へ身体を向けていた。
 考えていた事を悟られぬよう、笑顔で公威の方へ向く。

「なんだい?」

 彼は、目は逸らしたまま、手をポンと私の頭に置いた。

「…待っていてやる」

 そう小さく呟くと、すぐ横になり、勢いよく布団かぶってしまった。
 少しポカンとしたが、すぐにクククと声にならない笑い声が零れた。彼にしては、よく頑張った方だろう。
 待っていてやる、か。さて、何百年後になるだろう。

「ありがとう」

 そう呟き、私は布団の上から公威の頭を撫でた。
 布団を潜る瞬間に、赤く染まった耳がチラリと見えたことは内緒にしておこう。