倫理からパレ2
「よっ、…と!!」
津久間地区、廃墟マンションの一角。滅多にイーターが出ないはずのこの平凡な地域で、赤服を纏った少年は一人、大型イーターと拮抗していた。
多くの住民は避難し、内輪からの援軍もすぐには期待できない危機的状況。さらに不安を煽るのは、崩壊の瀬戸際に立つ建物が戦闘ポイントに定められてしまったということ。だというのに、立ち向かっている少年は慣れたもので、臆病風を吹かす様子は微塵も感じさせない。それどころか、口角にはくっきりとした笑みが浮かんでいた。一振りが大きい敵の攻撃にも臆することなくひらり、くるり。踊るように宙を舞っては、|鬼さんこちら《圏》。そう言いたげな手振りを見せて、まるで『当てられるものなら当ててごらん』と誘っているかのような挑発的行動すら取っていた。
一見すると彼は決着をつけるのを勿体振っているようだった。証左としてかれこれ一時間近くキン、キンと耳障りのよい戦闘音が響いている。手持ちのリンクユニットが残り僅かだということはもちろん把握しているが、それはそれ。無くなったら無くなったでトンズラこけばいいよね!という、行き当たりばったりなやっつけ精神で本人は戦闘に臨んでいた。
「わあ」けれども刹那、攻撃の余波で飛んできた石礫が頬を掠める。切っ先が鋭かった小石は少年の皮膚を瞬時に削って、一筋の赤い線を生み出した。気が逸れたと同時にイーターが一目散に突っ込んでくる。が、難なく突進を躱し、無防備なその背中に刃物のシャワーをお見舞いした。イーターの絶叫をBGMに、少年は傷口を指でたどってせせら笑う。
「まったく、勘弁してほしいぜ。ここはエクストリーム帰宅部の三……四……、――正確には何番目か忘れちゃったけど、愉快で貴重な穴蔵なんだよ? 無闇に破壊されたらさらに居心地が良くなって、ゴロツキの一人も寄り付かなくなるだろ?」
言いながら少年、北村倫理は数本のナイフを巧みに操って敵に投擲する。四本中一本は尾びれに弾き飛ばされたものの、ほかは全て狙い通り命中した。
手負いのイーターは地鳴りのような声を上げて殊更激しく暴れ出す。その狂乱に伴って、いよいよ廃墟の天井がなし崩しに崩壊を始めた。悪化の一途を辿る地勢の不利に、途端に北村の目には冷え冷えとした光が宿る。それは常人が相手なれば身震いを起こすほどの、悪感情に満ち満ちた眼光だった。知れず口唇から落ちたのは、腸でぐつぐつと煮込んでいた毒の片鱗。
「そんな死に急ぐなよ。……って、ここに出現した時点で到底ムリな話だったね」
ごめんごめん。ボク、加減って言葉知らなくてさぁ。人ん家に勝手に上がりこんでは無遠慮に荒らしてく礼儀もヘチマもヘッタクレもないクソ野郎にごほーびあげなきゃ!と思って。つい張り切っちゃった!
嬉々とした声色が、かえって空恐ろしさを助長させる。されど知恵も心性も備わっていないイーターに、彼の危うさなんてそもそも伝わるわけがない。さんざん嬲られ、満身創痍の体になっても“目の前の存在”を喰らうことのみ目的としている心なき生命体は、ゆらりと影を揺らして真正面から歯向かってきた。引かれた引き金に、北村も強くコンクリートを蹴る。
吹き抜けとなった天井近くまで飛翔し、緩慢と片腕を上げた。光を纏ったナイフがターゲットを囲むように焦点を絞る。切っ先は、ただ一点。
見上げてくるイーターに最後の慈悲を注ぐよう、彼はニコリと笑ってみせた。
「バイバイ。名も無き怪物サン」
――建物から眩い閃光があふれ出し、爆音と共にイーターの断末魔が木霊する。不気味なノイズが混ざった声もまた、大変耳に馴染んだものであった。そこで何の意味も感慨もなく、北村は瞳を閉じた。

光が収束した頃には、彼はいつもの愛教学院の制服に戻っていた。リンクユニットの効果が切れたのだ。世界との繋がりが断たれた脱力感と開放感に、ぐっとかかとを浮かせて背伸びする。
そしておもむろに歩き出そうとして、……でも、できなかった。足がもつれて、重力に逆らうことなく側面から倒れ込む。ごん、と鈍い音と衝撃が頭蓋を揺らした。けれどいっそう頭を揺らすのは。
「うっわー……ダッセ」
久々の、貧血だ。は、と自嘲の笑いが込み上げる。どうやら少しばかりお巫山戯が過ぎたようだ。ぐるぐると回る視界に、遣る方無い溜め息を零す。
床はホコリ臭いし、未だパラパラと降ってくるコンクリート片は地味に痛いし。けど無理にでも動くと気持ち悪いしで、なんだか死ぬほど惨めだ。どうせあと数分もすればALIVEの関係者がアヒルの水かきよろしくやって来て、羽目を外してぶっ倒れた自分を回収していくんだろうけど。
(ハハ。考えるとますますブザマだ)
自業自得だとはいえ、ろくに使い物にならなくなったポンコツ姿を見られるのはとてつもない屈辱だ。こんな辱めを受けるくらいなら愛教の子守歌――という名の授業――を聞いていたほうが遥かにマシだと思うほどには、誰にも見られたくない。なにせ世界の人口からお節介というお節介を井の中に寄せ集めて完璧に磨き上げられた人間も多いのだ。ALIVEには。帰ったらお小言も気遣いの言葉も纏めて飛んでくるだろう、と想像して、一人勝手に辟易した。そんなぬるま湯のような馴れ合いは、望んじゃいないのに。
「あーあ」臓腑がごぼ、と移動するような感覚を味わいながらも、強引に身体を仰向けに直す。穴蔵として時たま利用していた建物は、今は見るも無惨な形になり果てていた。配線も、鉄骨も、空も、何もかも丸見え。これじゃあ雨宿りにも使えないや、とつまらなそうにごちて、もう一度憂うつな溜め息。
しかし北村の休息は、そう長くは続かなかった。
ドォン!!と雷鳴のような派手な音を立てて瓦礫が崩れる。――壁を破壊して、おそらくこちらが本命だろう。特別禍禍しい気を放った大型イーターが視線の先に立ちはだかっていた。
まさかの展開に目を瞠りながらも、しかし横たわっているわけにもいかず身体を起こす。今さらながら、先程強打した頭がズキズキと痛んだ。
「なになに、真打ち登場ってヤツ? そーいうのキライじゃないけど、今は空気読んでほしかったなあ」
ってコレもムリな話だっけ。世知辛い世の中だ。
軽口を叩きながらポケットに潜めていたリンクユニットの手数を確認する。残り、二つ。一つの効果時間が短いのは大前提として、既に貧血状態に陥ってる自分が、あと何分粘れるか。
ギリ、と歯を鳴らして口角を上げた。腹をくくってリンクユニットを割る。世界と繋がるまたあの気持ち悪い感覚が、蘇る。身体は軋んで、ともすれば意識も闇に落ちそうになるけれど。それでも。北村はナイフを構えて、再度コンクリートを蹴った。
「――ッ!」だけれど。子供騙しの見え透いた手に引っかかってくれるような雑魚ではなかった。四方から相手の急所めがけて放った攻撃は呆気なく避けられ、鈍った身体は容易く敵の尾に吹き飛ばされる。
いつもなら受け身を取ることも可能なのに、力が入らない身体ではそれも叶わず。小柄な身体は積もった瓦礫の中に容赦なく叩き付けられた。咳き込みと一緒に、血の混じった唾が飛ぶ。そうして完全に弱り切ったところに、勢いを殺さぬまま大型イーターが猛進してきた。長く鋭い爪が自分に伸びるのを見て、あれに貫かれる自分の姿が脳裏を過ぎる。
だが。間に突如割り込んできた影を目の当たりにして、光を失っていた北村の瞳はたちまち見開かれた。そしてほぼ反射的にナイフを投擲し、こちらに向かっていたイーターの目を的確に潰す。蛙などよりも余程悍ましい咆哮をよそに、彼は半信半疑のような声色で自分を庇う背中に声を掛けた。
「指揮官サン……? なん…」
「北村倫理。よく一人で持ちこたえてくれました。もうここは他の子に任せて大丈夫。――だから、命じます。今はなにも気にせず、あなたは少し休みなさい。次に目覚めるときにはきっと、全部終わってる」
あと逃げ遅れた住民――もとい、そこらで屯していた不良少年たちも、今はみんなシェルターにいるから。彼らを守ってくれて、ありがとう。
微笑んだ指揮官越しに、遅れて馳せ参じたヒーローたちの姿が目に入る。恥も外聞も無く瓦礫に埋もれた自分に駆け寄ってくる一年術式の影も、なんとなく。(……は、はは。面白くない冗談だ。なんだよ、それ)ボクは守ったつもりなんて、毛頭。そう言い返そうとした。が、身体はとうに、限界だった。
視界はぼやけて、思考も役目を放棄する。唯一分かったのは指揮官に頭を撫でられる、その感触だけで、温度とか柔さとかは全く覚えてなかったけれど。

久々に|好い悪夢を見たこと《圏》だけは、覚えていた。

◆ ◇ ◆

丙夜を過ぎた頃。ふと目が冴えた北村は、己の気の向くまま談話室へと向かっていた。その足取りは非常に軽く、まさに浮かれ気分であることが窺える。彼をよく知らない人間ならば、「上機嫌ならば重畳じゃないか」と微笑ましそうに語る一事だったろう。だが嫌というほど北村倫理といった少年の特異さを理解している人間なら、揃ってこう口にするに違いない。「今度はなに企んでるんだ」と。
「佐海ちゃん、いるー?」
楽しげに声を弾ませながら、本日は合宿施設に宿泊しているはずの少年の名を呼ぶ。さっきまで外で訓練していたことは知っていたので、そろそろ戻った頃だと思って部屋を抜け出した次第だった。
なのに、覗き込んだ談話室には佐海どころか人っ子一人おらず。寂とした空間だけが広がっていた。
「……つまんないの」
興が削がれたように肩を落とす。どうやら三津木も佐海も訓練が終了したと一緒に自室へと引っ込んでしまったようだった。ならばここに用はない。適当に外をぶらついて夜という最高なぼっちのための時間を満喫しようと踵を返す。
――がしかし、そのとき、見えてしまった。入り口からちょうど死角になっていた場所に設置されているソファーから、誰かの手が投げ出されていることに。気が付いてしまった。
気付いたからには看過できなくて、しめしめと思いながら足音を殺し接近する。こんな共同スペースで寝入ってしまって如何にも顔に落書きしてくださいと言わんばかりの物好きな輩はだーれだ?とソファーの背から覗き込むと、そこにはくたびれたシャツの襟を緩めてぐっすりと寝息を立てている指揮官がいた。その姿をひと目見て「あれま、」とうっかり声が出る。
それも、そう。凝視している北村の存在にも気付かず昏々と眠っている指揮官は、おでこには冷えピタ、手には湿布とすっかりバーンアウトした様相だったからだ。腹部から下にはブランケットが掛かっているが、これもおそらく他の誰かが情けで掛けたものだろう。そんな事情も容易に想像つくくらい、彼女の格好は中途半端だった。机には完成したと思しき書類が雑に散らばっているし、大方終わってすぐ寝転んだのだろう。ブランケットに隠されているが、両足ともソファーから落ちている。
(……しっかしまぁ、よーく眠ってることで)背もたれに肘をついてまじまじと寝顔を観察する。穴が空きそうなくらい見つめているというのに相手は微動だにしない。試しに頬を突っついても、冷えピタ越しにデコピンしても、刻まれた眉間のシワをつまんでも、ピクリとも。
「指揮官サン、起きないの?」
彼女の目前に回り込んで声を掛ける。とびっきりの悪夢でも見ているのだろうか。んん、と苦しそうな声を漏らして顔を座面側に背けた様子に、北村の双眸には物騒な感情が微かに翳る。「ボクにも見せてよ、それ。」そう言いながら彼は、魘されている指揮官の鼻をつまんだ。鬱陶しそうに指揮官はその手を払う。けれど諦めるということをせずに、北村は何度も何度もちょっかいを出し続けた。
斯様な応酬が続いて暫く。指揮官はようやく億劫そうに瞼を開いた。ぼんやりと滲む視界に、満足そうな面持ちの北村が映る。でも、寝ぼけていたからだろうか。心なしか、一瞬だけ彼がホッとしたような表情を浮かべていたように見え、て。
「やっと起きたね! 目覚めて一番にボクごときの顔を見なきゃならない気分はどう? 不満、不快?」
「……きたむらくん……」
「ん? なぁに? 最悪だって? そりゃあなによ、り……」
「いーこ、いーこ」
指揮官は我知らず、流暢に語り続ける北村の頭を撫でていた。思いがけないカウンターに、饒舌になっていた少年はピタリと止まる。葡萄染色の瞳がまんまると見開かれて、綺麗だなあ、と漠然とした意識のなか考えた。触れた髪は、|あのとき《圏》ほど乱れてはいない。きちんと整えられて、チャームポイントのヘアピンも定位置に固定されている。その何てことない姿が、精神まで摩耗していた指揮官の心を晴らしてくれて。
ふにゃりと微笑んだ彼女に、北村は針のむしろに座らされたような思いに駆られて立ち上がった。なんだ、なんだコレは。予想外だ。不本意だ。目算が狂っていた。彼女の温度も、手の柔さも。自分は知らなくていいものだったのに。どうして。
莞爾として笑った笑顔に綻びは出なかっただろうか。指揮官サン。そう呼びかけた声は、邪心が露わになっていなかっただろうか。
「働き過ぎて鈍重になった脳みそが仕事することを拒否してるのかな〜。大丈夫? アレ食べる? とっておきの激辛プリンが冷蔵庫にあるんだよ!」
「……それは、かんべんして……」
「ふーん……そんなこと言っちゃうんだ。ボクのハジメテを奪っておきながら指揮官サンてば……!!」
口角を吊り上げた北村が裏を含んだような言い回しで話した矢先に、ガシャーン!!と瀬戸物が割れるような音がけたたましく響く。その音で微睡んでいた意識が一気に現実へ引き上げられた指揮官は弾かれたように起き上がり、物音がした後ろを振り返った。そこにはわなわなと、真っ青な顔で震えていた佐海がいて。
「し、指揮官さん……今の、北村の言葉……」
「!? ちが、!」
「酷い!! やっぱりボクの幼気な心を弄んだんだ!! この前はあんなに情熱的にボクを求めてくれたのに…!」
「だーーっ! ちょっと黙って北村くん!!」
厳しく飛ぶ叱咤に、やーだよ。と返す。ブランケットも恥もかなぐり捨てて、茫然と立ち尽くす佐海の誤解を解く指揮官の後ろ姿を眺めながら、北村は暗澹とした情をただひっそりと、胸の中で燻らせていた。

(ねえ、指揮官サン。ボクはさ、そんな無邪気な笑顔を向けられて然るべき人間じゃないよ。クズで出来損ないで底辺に転がったまま笑ってる、ロクでもない人形さ)

だからそんなぬくもり、教えないでよ。ぜったい|知らなきゃよかった《圏》って、後悔するハメになるから。

一人の少年の懸念は知る由もない。影をも明るく照らす強い光の持ち主は、放心状態のヒーローをまずなんとかするため、必死に言葉を絞り出していた。
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