佐海 カラパレ
「わ、向日葵が……」
「すごい、一面に咲いてるね」
夕食を終え、夜の帳もとっぷりと落ちた頃。感銘を受けたような慎と透野の声に、それぞれ自由に過ごしていた俺たちは一様に顔を上げた。二人が注目しているのはバラエティが始まる前の報道番組だ。テレビ画面には透野が言ったとおり広大な土地一面に咲く向日葵畑が映っていて、窓際の席で読書に耽っていたはずの斎樹さんも「ほう……」と感嘆の息を漏らしていた。
圧巻な光景に息巻いた女性アナウンサーが見物客にインタビューしている様子に画面が移り変わると、皆テレビから視線を外したが、めいめい口にしたのはやはり、たった今目にした向日葵畑のことだった。
「もう向日葵が咲く時期なんですね」
「花見をしたのもついこの間のように感じるってのに…やれやれ、時が過ぎるのは早いもんだ」
「本当に、あっという間だったな。任務に暮れていると月日の経過を深く感ずることもなかったが……もう半期を終えたのか」
……否、訂正しよう。気付けば向日葵が咲く季節になっていたことに、俺たちは純粋に驚いていた。衣替えはとっくに済ませ、梅雨も過ぎ、茹だるような暑さがやってきたことは体感しているものの、斎樹さんが述べたとおり、ヒーローとしての責務を全うしているとどうしてもその時の時流に疎くなりがちだ。こんな調子で一年が流れていくのか……と思うと少しもったいない気持ちも顔を出すが。
――だけど、そうか、向日葵か。さっきの光景を梨奈が見たらさぞかし喜びそうだ。今年の夏は忙しくてまだどこにも連れてってやれてないしな、とさり気なく場所を記憶しながらぼんやり考える。
そろそろ拗ねられそうだからどっかしらバイトのシフトを空けておかないと、と頭の中で計画を組み立てていると、たまたま一人だけテレビから視線を逸らしていないヤツの姿が目に入った。慎だ。インタビューされてる人をどことなく羨ましそうに眺めている様子に小首を傾げながらも、その横顔はなんとなく放っておけなくて、俺は座っていた椅子から腰を浮かせて画面に釘付けになっている同級生の肩を叩いた。
「慎、どうした?」
「……え? あ、良くん」
集中しすぎていたんだろうか、もしくはぼうっとしていたんだろうか。俺が声を掛けると、ワンテンポ遅れて反応を示した慎によりいっそう疑念は深まる。向日葵に見とれていただけなら、いい。けど普段から無茶しがちなこの友人は、虚勢を張っているときもあるから見過ごせなくて。訝しげに「具合でも悪いのか?」と訊ねると、瞠目した慎は慌ててかぶりを振った。
「そういえば、前にも向日葵畑のリポートを見たことがあったなって思い出して。……病院の、ベッドの上でなんだけど」
「……そっか」
当時の慎の心境を慮ってつい声色が沈む俺に、けれど慎は気付くことなく。懐かしむように話を続けた。
「そのときも凄く綺麗だなって思いながら見てて……お母さんに話したことがあるんだけど、あなたは身体が弱いからそんなところに行くのはダメだって、やっぱり反対されちゃったんだ」
自分の膝を抱いた慎の言葉を聞いて、先程浮かべていた表情の件もひっくるめて腑に落ちた。要は、慎も行ってみたいのだろう。向日葵畑に。かつて病院のテレビでも見ていたという太陽の花を、実際にその目で見て大きさを感じてみたいのだろう。
いつの間にか季節の花について盛り上がっていた斎樹さんや志藤さん、透野もこちらの会話に耳を傾けていた。一方は真剣に、また一方は心配そうに、俺たちの様子を窺っていた。慎の身体が弱かったのは既に周知の事実となっている。だからきっと、あの人たちも俺と同じことを考えてるだろうと推測して。ふと顔を見合わせて「…ちと指揮官さんに掛け合ってみるかね」「そうだな」と小声で相談している頼もしい先輩方の姿に、強張っていた俺の表情は自然と和んだ。
(……よかったな、慎。)
お前のその憧れは、わりとすぐに叶いそうだぞ。


そうして、週末。頼城さんが手配してくれた車一台と、指揮官さんが運転する車とで分かれて乗車した俺たちは、今やテレビで放送されていた地域とはまた別の向日葵畑へと訪れていた。
画面越しに見たあの迫力ほどには及ばないが、こちらの方が人も空いていて団体でも行動しやすい。これなら慎も、加えて五月蠅いのが苦手な柊もゆっくり見て回れるだろうと安堵して、待ちかねたように向日葵に駆け寄っていく後ろ姿を眺めながらひっそりと笑った。まあ虫を捕りに軽やかに一等賞を奪っていった伊勢崎の存在は非常に気に食わないが。隙あらば梨奈に近付くのも許せないが。皆が楽しんでるところに水を差すような真似はしたくないので、今日ばかりは致し方なくヤツの行動には目を瞑るとして。俺は持ってきた弁当とカバンをレジャーシートの上に置いて、今日の監督役である指揮官さんに改めて礼を言った。
「指揮官さん、今日はホントにありがとうございます。こんな穴場、探すのも一苦労だったでしょうに」
「気にしないで。仕事の片手間だし……。それに、志藤くんからあんな風にお願いされちゃったらね」
意味深な言い回しに疑問を抱くと、顔に出ていたのか。指揮官さんはくすくす笑ったあと、「俺たちと向日葵を見に行きませんかって口説かれたんだよ」とあたかも志藤さんの誘い文句を茶化すように語る。どこか遠くで噂されていた先輩が大きなくしゃみをするのが耳に届いた。そしてその声で狙っていた獲物が逃げたのか、どっかのバカが「正義ーー!!!」と絶叫する声も後を追ってくる。……本当に、人が少なくてよかった。
「……いや、でも、マジで感謝してます。妹まで同乗させてもらって」
「梨奈ちゃん、だよね。佐海くんに似て可愛い子だね」
素直に喜ぶことのできない褒め言葉に苦笑する。わかってる、指揮官さんに悪気はないってことくらい。だけど。(……可愛い、か)その言葉につくづく俺は男として認識されてないんだという事実が突きつけられて、内心溜め息を吐きたい気持ちでいっぱいだった。俺だってかっこいいとか、そんな風に指揮官さんに褒めてもらうには男としてまだまだ未熟だって理解してるけど。さほど期待もしてないけど。むしろこれからだって意気込んではいるけど。――指揮官さんにとって今の俺は、しょせん|弟止まり《圏》なのか。
なんて、複雑な思いに駆られている俺の胸中も知らず。彼女は至って朗らかな表情で向日葵を背後に手を振ってきている慎と透野に手を振り返している。……本当に可愛いのはどっちだ、ちくしょう。言えない自分が情けなくて悔しい。
「それにしても、今日は快晴で良かったね」
「あ、ああ……めちゃくちゃ吊しましたからね、てるてる坊主。たぶん今も談話室の窓際を陣取ってます」
「はは。じゃあ今頃、合宿施設に着いた武居くんあたりが何じゃこりゃって叫んでそうだ」
「うわっ、やべ、言うの忘れてた!」
実際に偉いドン引きしていたと御鷹さんから聞くことになるのは帰宅後の話だ。中には北村が面白半分で得体の知れない絵を描いていたものもあったので、それを真っ先に目の当たりにしようものなら石化間違いなしだろうと取り急ぎ携帯を出す。ついでに戸上さんに回収頼めないか聞いてみよう、と文字を打ち出すと、しかしその手の上に華奢な手のひらが乗っかった。それが指揮官さんの手だと意識するなり、俺の心臓は途端にバクバクと胸の内側を叩き始める。強く鼓動しているのが手首の裏っ側まで伝わって、今にも胸の皮膚を突き破って出てきそうなくらいにはぎゃあぎゃあと騒いでいた。ああもう、呼吸すら儘ならない。緊張してんのが指揮官さんにバレなきゃいいんだけど。
「送る相手は戸上くんと武居くんでしょう? それなら私から連絡しておくから、佐海くんは梨奈ちゃんと霧谷くんのところに行っておいで」
せっかくみんなで来たんだから、楽しまないともったいないよ。私は荷物番してるから。
ハッとして携帯から顔を上げると、こちらを覗き込みながら微笑んでいる指揮官さんと視線がぶつかる。けどそれじゃあ指揮官さんが退屈でしょう、とすかさず俺が反論しようとすれば、こちらが言わんとしていることを察したのか、彼女の首がゆるりと振られた。そしてふいに眉間に突きつけられた人差し指に、ぐ、と口を噤む。おとなしく俺が言葉を飲み込んだのを看取したのだろう。満足そうな笑みを浮かべた彼女は人差し指を引っ込めて、「学生時代の思い出は、大人になってからいっそう輝きを増すものだぞ〜」とやけに実感のこもった口ぶりで述べた。……つまり、自分の相手はいいから、俺も皆に倣ってガス抜きをしてこいと。指揮官さんは言外にそう告げているのだと、悟った。
「お兄ちゃーん!」
「ほら、梨奈ちゃんが呼んでるよ」
「……じゃあ……お言葉に甘えて、行ってきます。でも変な輩に絡まれたらすぐに大声あげてくださいね。なるべく付近にいるようにするんで」
「はいはい、頼りにしてる」
おざなりな返答にいささかムッとしながらも、後ろ髪を引かれる思いで梨奈たちのもとへ急ぐ。公園に着いたときから率先して妹の面倒を見てくれていた柊には「指揮官サンはいいの?」と訊かれたが、他でもない本人に行ってこいと言われたことを話すと、あの人らしいね、とすんなり納得された。その得心の速さにやっぱ指揮官さんは“お人好し”で通ってんだなと乾いた笑みを漏らす。すると、くいくい、と下から服の裾を引っ張られた。柊と揃って視線を落とすと、やたらキラキラと顔を輝かせた梨奈と目が合う。――期待を含んだ眼差しに、微かに嫌な予感がした。
「ね、ね。お兄ちゃんって、あの|指揮官さん《圏》って人のこと好きなの?」
「うん、そう」
「…ってこら柊! なに勝手に答えてんだ!」
「? だって本当のことだし」
しれっと俺の本心を暴露してくれた柊のおかげで、俺を見上げる梨奈の目がますます期待を膨らませていった。さらに早く言ってよもー!と怒られたが、妹にそんな話――いわゆる恋バナ――などできるはずもなく。空笑いで誤魔化した。のちに恨みを込めた目で柊を一瞥すれども、あいつは何食わぬ顔でスルーするし。やがて諦念が生まれた俺は深い嘆息を落として気を晴らした。
「じゃ、慎たちと合流する?」
「あ、柊くん。そのことなんだけど……」
なにやら閃いたらしい梨奈が、身を屈めた柊の耳元に顔を寄せてこそこそ話を始める。顔がちけーよ……とハラハラしつつも相手は柊なので横槍を入れることはしなかったが、突然蚊帳の外に置かれた俺は眉を顰めてその様子を見守っていた。とはいえ、二人の話はそうそう長くならず意見が纏まったみたいだが。にーっこりと満面の笑顔を浮かべた妹が再び俺の顔を見上げてくる。
「お兄ちゃん、私ね。ロケーションとしては、ここは最高な場所だと思うの」
「待て待て、なんの話だ!?」
「俺たちが代わりに荷物番してるから、指揮官サン連れて園内回ってきなよってこと」
指揮官サンだってたまには息抜き必要でしょ、とのたまった柊に、そりゃそうだけど……と口ごもる。なるほど、二人が企んでいたのはそういうことか。と合点がいった俺は思い切り肩を落として頭を悩ませた。ロケーションとしては最高、たしかにごもっとも。ごもっとも、なんだけど。
「ひまわりのブーケ持ってデートに誘ってきなよ。向こうの売店で売ってたから!」
「ちゃっかりリサーチ済みなのな」
「見つけたのは偶然だってば」
機嫌良さそうに笑顔を絶やさない梨奈に思わず頬を引き攣らせる。どうやら本気で提案しているらしい。有り難いような、若干、困るような。返答に窮する。
「……つーか、なんでブーケ?」
「巡くんが言ってた。向日葵にも花言葉があるんだって」
「花言葉?」
「うん。“憧れ”と、――」
続けざま柊が放った言葉に、ギョッとしながら後ずさった。それほぼ告白してるようなもんじゃねーか!!と声を荒げてから、周りの人から注目を浴びていることに気がついて口を閉ざす。
あー、ぜったい顔赤くなってんだろうな、俺。動揺しすぎだ。居たたまれなくなって顔を覆うと、それは素晴らしく楽しそうな梨奈の声が耳朶を撫でる。
「お兄ちゃん、がんばれ!」
「…………おう」
「ここで決めなきゃ男がすたるよ!」
「それ以上ハードル上げるのは止めてくれな…?」
いったい誰から吹き込まれたのか。容赦無く追撃を仕掛けてくる声に途方もない脱力感を覚えながらも。
(指揮官さんだって……せっかく来たんだしな……)楽しまないともったいないよ。そう笑っていた彼女の顔が脳裏にパッと咲く。慎のためにここを見つけてくれたのも、頼城さんに車を一台用意してもらえるよう取り計らったのも、自分の車で運転してくれたのも、全部指揮官さんだ。なのに当の彼女は荷物の見張り番で、弁当だけ食べて最後までのんびり散策することはできず仕舞い、なんてことになったら。想像して、拳を握る。
(悔やむ前に行動、だな)
「――っし、行ってくる!」
後からどんなにからかわれても構わない。柄じゃないと笑われたっていい。指揮官さんが今も一人であのレジャーシートの上で時間を潰しているんだと思うと、居ても立っても居られなくなった。
踵を翻した俺の背中に、二人分の「行ってらっしゃい」が課せられる。優しくも穏やかなその声をしっかりと胸に刻んで、教えられた売店までひとっ走りした。半ば駆け込んできたような形の俺に売り子をしていたお姉さんは偉い驚いたようだったけど、事情を掻い摘まんで話すと快く了解してくれた。しかもラッピングまで追加料金無しで丁寧に仕上げてもらって。微笑ましそうな眼差しに面映ゆくなりつつも、俺は代金を支払ってブーケを受け取る。そうして、特急で向かった先は。
「……指揮官さん!!」
言いくるめられて、彼女と分かれた最初の場所だった。
俺の声に下を向いていた指揮官さんは顔を上げる。まさかこんなに早く戻ってくるとは思わなかったのだろう。「え、なんで……」と茫然と呟く声が聞こえてきたが、座る彼女の手前まで駆け寄った俺は少々弾んだ息を整えた。んでもって、自分から退路を断つようにブーケを差し出す。ぱちぱち。指揮官さんの睫毛が数回はためいた。
「えー、と?」
「驚かせてしまってすみません。……あの、」
言え。ひるむな。今がチャンスだ。
二の足を踏んでいる自分を後押しするごとく鼓舞の言葉を軒並み並べる。いったん深呼吸を繰り返して、ようやっとの思いで発した科白は。
「俺と一緒に、向日葵を見て周りませんか」
ごくごくありきたりで、ありふれた、ちっともカッコのつかない誘い文句だった。意表を突かれたように息を飲む指揮官さんの様子に、もの凄い自責の念に駆られながら顔を青ざめる。もっと、もっとなんか言い方あっただろ俺。そもそも物事が性急すぎた。やり直せるもんなら数分前に戻ってやり直したい、と取り返しのつかない後悔に苛まれていると、なんとも言いがたい沈黙ののち、先に指揮官さんが口を開いた。
「……生徒同士で思い出を作ったほうがいいと思ったんだけどなあ」
苦笑いしながら放たれた言葉に、ピクリと反応する。たしかに、当初の目的は慎や梨奈に楽しんでもらおうって、ただそれだけだった。でも。でも俺は。
「……俺は、指揮官さんとの思い出も欲しいです」
生徒だけじゃなくて、指揮官さんにも笑っていてほしかったから。思い出は、皆で心から笑ってる記憶があればあるほど幸せになれるものだって、そう信じてるから。
一人でも欠けたら意味がない。楽しまなきゃもったいない。そう口にしたのは指揮官さんのほうですよ?なんて。ちょっと意地悪く笑ってみた。すると指揮官さんも一寸目を見張って、観念したように微笑って。
「……そうだね、そのとおりだ」
向日葵のブーケを、俺の手から受け取った。

二人ならんで歩き出す。一面黄色い向日葵に彩られた道を。
他愛もない話に花を咲かせながら。俺はときどき触れる彼女の手に、少しドキドキと胸を弾ませながら。
「そういえば佐海くん、向日葵の花言葉って知ってる?」
「え゛っ」
「いろいろあるけど、有名なのはね――」
憧れと、崇拝。それから。

「|私の目はあなただけを見つめる《圏》」

知ってますよ。知ってて買ったんですから。だからそんなニヤニヤした顔でこっち見ないでください。
別にいいでしょ。……ホントのことなんですし。
ALICE+