伊勢崎敬 カラパレ
許せなかった。あまりにもあっさりと、目の前の消えかけそうな命を放棄する上層部の決断が。
「一人くらいなら犠牲もやむを得ん。……これまで力を尽くしてくれた彼には悪いが、他の者を速やかに撤退させ、新たに作戦を練り直し――」
ただただ怒りで瞼の裏が赤く染まった。上の人間は、今声を発しているこの人物は、ヒーローをなんだと思っているのだと。一人くらいなら犠牲もやむを得ない?利用するだけしておいて、いざとなれば切り捨てることも厭わないのか。これまで力を尽くしてくれた彼には悪いが?そんなこと、微塵も思っちゃいないだろう。あたかも消耗品のように扱われる彼ら――ヒーローは、私たち大人に都合良く使われるための傀儡として戦っているわけじゃない。ふざけるな。
(……あの子たちの想いも知らないで)食いしばった奥歯がミシ、と軋む音がした。隣でモニターを注視していた神ヶ原さんが鬼のような形相をしている私を見てギクリとしたように目を瞠る。その表情の変化を横目で捉えて、感情的に喚き立てる心の片隅、いやに落ち着いている私が今の自分は正気でないことを悟った。それでも。
「指揮官くん! 聞いているのか! 一刻も早く各方面に散らばっている|ヒーロー《圏》に退避命令を――」
今、上の大人に見限られたことも知らず、満身創痍の体で大きな怪物と対峙しているあの子も、紛れもなく代用の利かない|ヒーロー《圏》なんだよ。
「指揮官さん……」神ヶ原さんの心配そうな声が耳朶を掠める。それでも、私の想いは変わらない。秤が傾き返すこともない。常に大局を見て冷静な判断を下さなければならない指揮官として、外れた行動を取ることの意味は重々承知している。けれど私にも譲れないものがあった。それに気付かせてくれたのはあの子たちだった。だから、誰一人として失わせない。私は私と、そしてあの子たちの力を信じて、運命を分ける采配を振る。
後のことは後でいくらでも考えればいい。この首と引き換えにあの子の命が救えるならば安いものだ。
息を深く吸って、モニターをまっすぐに見つめる。戦闘を終えてイヤモニに耳を傾けてくれている子たちの姿をいくつか視認し、私は。
「――指揮官として命ず! 戦闘を終えた者は直ちに大型イーターの出現が複数確認されたAポイントへ急行せよ! 目的はいつも通りイーターの征伐、ならびに手傷を負っている三津木の支援、救護!」
「指揮官くん!? なにを血迷って、」
「全員無事に生還すること! できるね!?」
なりふり構っていられない。然様な雰囲気が伝わったかもしれない。しかし、指示を聞いた全員が一様に口角を上げるさまが、モニター越しに確認できた。
「ヒヒ……うちの指揮官サマはムチャなこと言いやがるねェ」「ああ、そうだな。無茶と言えば無茶だ。だが、」「他でもない指揮官さんが全員で帰ってこいって言ってんですから。御託並べんのは抜きにしましょ!」自分が初めて専任を務めた子たちが、先駆けとして声を上げてくれる。皮肉りながらも、至極楽しそうな声色で。
それはイヤモニ越しでも他の子たちに通じたのだろう。「ったく、崖縁にはノーテンキな奴らしかいねーのかよ」と武居くんが悪態を吐くのが聞こえてくるが、三津木救援の件に異論はないのか、彼も速やかに戦闘を終えて目標のポイントに移動を始めた。
「……指揮官くん。此度の件、自分がなにをしたか分かっているのかね」
「もとより生半可な覚悟で指揮官の肩書きを背負っているわけではありません。ヒーローの脱落だって、覚悟はしています。――でもそれは今じゃない」
「しかし結果的には他のヒーローをも危険に晒す行為をしたんだぞ、君は!」
「そうですね。あなた方の目から見れば、そうでしょう。ですが彼らはこんなところでリタイアするほど弱くはない。この程度の逆境で折れる刃も心も持ち合わせてはいないのです。……もっとも、こんな風に説いたところで、あなたたちは詭弁だと憤慨するでしょうが」
指揮官として最善の策を取るか、あるいは生徒たちと築き上げた信頼を取るか。その二つを天秤に掛けて選べと言われれば――考えるまでもなかった。
堂々と上に違背した私の振る舞いに呆気にとられていた神ヶ原さんに声を掛けて、急いでモニターの視点を切り替えてもらう。メインに映る三津木くんは相変わらず苦戦を強いられていた。ALIVEの検知器でも捉えられなかったイーターの親玉とプラスアルファの群れを一人で相手してるんだ、当然の始末だと歯噛みして、散り散りになっている他のメンバーが到着するまでの時間を予測する。先程の通信で反応してくれた子たちはみんな三津木くんが交戦しているポイントから離れたポイントで戦っていた。最短ルートを駆使してもせいぜい五分から七分は掛かるだろうと計算して、こみ上がる焦燥感に拳を握る。――がしかし、思わぬところから光明がさした。通信が途絶えていた矢後くんからの一報だ。
「あー、指揮官。聞こえてっか?」
「矢後くん! 君、今までどこで戦ってたの…!?」
「さあ。ここがどこかは知らねーけど。さっき久森がザコを俺に任せて飛び出してったぞ。……もしかしなくても、なんか|視た《圏》からじゃねえの?」
鋭い矢後くんの言葉に息を飲む。そうだ、未来視の能力を持つあの子なら戦闘中にこの事態を|視て《圏》いてもおかしくない。しかも戦闘も半ば、矢後くんに後事を託して飛び出したということは、つまり。
「――指揮官さん! もうすぐ慎くんが交戦しているポイントにたどり着きます! っので、指示を!」
「ちなみにオレもいるかんな!!」
「っ、久森くん、伊勢崎くん……、了解!」
ああ、やっぱり。私が信じたとおりだった。
彼らは、……彼らも、仲間を捨て置くことなど端から念頭に無かったのだ。今も命がけで戦っている三津木くんを守るため疾走する二人の横顔に、魂が震えるような感覚を覚えながらも。私は敵の死角となるポジションをマップから見出してそれぞれの携帯にデータを送る。
術式の二人には、重式の子が到着するまではここで敵を攪乱してもらう。久森くんのラインを上手く利用してイーターの動きを封じて、気を引いてもらって。本腰を入れて総攻撃を仕掛ける前に、ボロボロの三津木くんを伊勢崎くんが回収してくれれば……!
「いや、敬は何一つ狂いのない攻撃ができる。氷を降らす派手な演出を加えることもな。故に、敵を攪乱するには申し分のない人選だろう。代わりに三津木少年を連れ戻す役は、この頼城紫暮が引き受けた!」
「!」
突然横から入った通信に意表を突かれながらも、願ったり叶ったりな申し出に力強く頷く。着々とヒーローが集まりつつある状況。これならば、と勝機が見えた私はいっそう気合いを入れて敵の行動パターンを把捉する。ついでに待機している医療スタッフにも連絡を入れて、緊急搬送車がすぐ出れるよう手筈を整えてもらうため掻い摘まんで事情を話した。王手は、目前だ。
「――どうやら今回は、完敗のようですね。まあ指揮官さんとあの子たちなら、仲間の危機なら一も二もなく救けにいくと思いましたけど」
「……例え事態が丸く収まったとしても、指揮官くんが命令に背いたことの処分は免れないぞ」
「首を洗って待つ。くらい言うでしょうね、彼女は」
順調に事が進んでいく傍ら、神ヶ原さんと上の人間がそんな話をしていたとは露知らず――。駆けつけたヒーローは無事に孤立無援状態に置かれていた三津木くんを救出し、間もなく敵も一掃して、騒動は一件落着した。
そして、私に追って下された沙汰は。
「……指揮官さん!」
合宿施設の裏庭。息抜きがしたくてココア片手に空を見上げていたところ、陽気な声が背中をノックしてきて振り向いた。視線の先には微笑を浮かべた伊勢崎くんがポケットに手を入れて佇んでいる。その姿に小首を傾げると、彼は律儀にも「隣、いい?」と訊ねてきた。特に断る理由もないので躊躇いもなく頷けば、向こうは僅かに嬉しそうに目を細めて隣に腰掛ける。……何回見ても足が長い。同じように足を伸ばして座っても、こんなに尺が違うなんて。これでまだ成長期だというのだから、男の子の発育の力は凄いと思う。
「指揮官さん、探してもどこにもいねーんだもん。めちゃくちゃ焦ったわ」
「? なにか急ぎの用事でもあった?」
「いんや、違うけどさ。ここんところ執務室に缶詰状態だったじゃん? 大量の仕事に嫌気が差して出てったんじゃないかと思って、すげーヒヤヒヤした」
言葉のわりにはあっけらかんと喋っている。本当かどうか思わず疑ってしまいそうなその語り口に苦笑いしつつも、ココアで喉を潤して視線を空に戻した。
「……そんな無責任なことしないよ。第一、デスクワークが大量に追加されたのも自分がまいた種だしね」
寧ろこれくらいで済んだことのほうが奇跡だよ。と小さくぼやく。同じく空を見上げた伊勢崎くんも、微かな声で「そっか。……ま、それもそうだな」と同調した。
――結果的に、三津木くんは至る所に傷を作っていたものの、命に別状はなかった。どうやら敵の会心の当たりは全てドローンを用いて防いでいたようだ。
ただ多勢に無勢だったから、次々とイーターが出現したときはさすがに死をも覚悟したようだけれど。自分は|まだ誰も救えていないから死ねない《圏》。このままじゃ|死んでも死にきれない《圏》と闘志を燃やし、増援が来ることを信じてがむしゃらに戦っていたという。そう腹を決めて行動するのも、それこそ生半可な覚悟では無理な話だ。だのに戦ってもいない肝心の大人が芳しくない戦況に勝手に日和って、挙げ句の果てに切り捨てよう、だなんて。いつ思い出しても腹が立つ。まあ私が始末書と一週間の謹慎程度の処分で済んだのは、あの人の口添えがあったからだという話を神ヶ原さんから聞いたけど。
(……でも本当に、思い切ってよかった)
三津木くんも本音は不安で堪らなかっただろうに、最後までよく頑張ってくれた。もちろん協力してくれたヒーローたちにも感謝は尽きない。伊勢崎くんにも改まって礼を言えば、彼はキョトンと目を丸くして。
「オレなんかしたっけ?」
……なんて、本気で分からないという顔をするから、なんだか肩透かしを食った気分だった。いささか唖然としながらも、慌てて話の接ぎ穂を繋ぐ。
「久森くんと一緒に敵の注意を引きつけてくれたでしょう? おかげで三津木くんの救護もすんなりできたの。だから、そのお礼というか」
「あ〜……別に、あれくらい朝飯前っしょ。白星のエースストライカーの名は伊達じゃねーよ?」
「それは……そうだね。……うん、そうなんだけど」
別段お礼を言われるほどのことでもない、といった口ぶりに、私は言葉を濁して下を向く。淹れてからだいぶ時間が経過しているココアは、既に冷えた手を温めてくれるほどの熱はない。それでも、手持ちぶさたによる心許なさを紛らわせてくれるアイテムではあった。脈を打つ鼓動も、震える食指も。全部、このマグカップが隠してくれているようで、その存在に酷く安心した。けれど伊勢崎くんは何を思ったのか。ふいに私の顎を横からさらって、顔を――もっと言うと目元をまじまじと見つめてくる。間近に迫る紅掛花色の瞳に、もともと震えていた食指がさらに怯えるように引き攣った。
「……指揮官さんさ、ちゃんと寝れてる?」
核心を突く発言に視線を逸らしそうになった。しかし逸らせば間違いなく墓穴を掘るだろうと危惧した私は、まっすぐに伊勢崎くんの目を見つめ返した。頼むからこのままかっこつけさせておくれよ、と念じながら。湖面のように静かな目を、ただ一心に。
「仕事を捌かなきゃならないから睡眠時間は多少削ってるけど、なんで? クマ、そんなに酷い?」
「そりゃあもう。酷いなんてレベルじゃないって。イーターと並んだら見分け付かなそう」
「はっ倒そうか、若造」
「フッハハ、指揮官さんの細腕じゃムリムリ」
北村くんばりの毒を吐いているくせに、悪気なく笑い飛ばす彼の姿に馬鹿らしくなって根負けする。こんな意味のないにらめっこ、やめだ、やめ。せめて私が矢後くん並みの怪力だったらもう少し張り合うところだったんだけど。遠慮なくはっ倒してやるところだったんだけど。無い物ねだりをしても仕方ないので、未だ顎を掴んでいる伊勢崎くんの手をやんわり払い嘆息する。
(……酷いなんてレベルじゃない、か)いったいどれほどの期間、情けない面構えをあの子たちに晒していたのだろうか、私は。噂の北村くん本人が茶化しにやってこなかったのがいっそ不気味なくらいだ。そんなどうしようもない自己嫌悪に浸っていると、されど伊勢崎くんは追い打ちを掛けるように言の矢を畳み掛けてきた。
「衛ちゃんがせっかく用意した睡眠導入剤も飲まなかったって聞いた」
「無許可だったからね。盛られるのは勘弁」
「巡ちゃんが食欲が落ちてるみたいだって心配してた」
「それはダイエットのため」
「光希が、指揮官さんが凄い青ざめた顔して唇噛んでるとこ何回も見たって言ってた」
「……気のせいだよ」
応えながら、いちいち形容しがたい感情が胸を突き上げる。白々しい嘘を吐いている自覚はあるだけに、つらつらと回る舌が憎らしくもあった。
また、厳しい眼差しで詰問を繰り出す伊勢崎くんは、いつの間にか私の片腕を捕まえていた。絶対に逃がさないぞという構えに、密かに逃げの一手を考えていたのがバレていたかな、なんて自嘲するけれど。彼はいつになく真剣な面差しで、「ちげーだろ」と私の苦しい言い分をバッサリ切り捨てた。
「指揮官さんがオレらのことよく見て、よく考えてくれてんのはオレらが一番よく分かってるよ。普段から俺たちの意見も大事にしてくれてるし。いろいろ抱えてるモン、爆発する前に発散させてくれたりしてるしさ。けど、いっちゃん大事なことなんか忘れてねえ?」
「……?」
「あ〜〜〜……ホントはこういうの、オレの役回りじゃないんだけど……」
空いた手で自分の髪を掻き乱す伊勢崎くんからは、もどかしそうな苛立ちがありありと伝わってくる。そうは言われても、と戸惑いを露わに、しばし相手の出方を窺っていると。彼は、伊勢崎くんは。やがて腹を括ったように拘束していた腕を下ろして。
「指揮官さんがオレらのことしっかり見てくれてるように、オレらも指揮官さんのことしっかり見てるってこと! ガキの観察力、ナメんなよって話!」
「あ、……」
「そもそもなぁ、エコヒーキとかしないアンタだから着いていこうって思うし、より楽しませてくれるって期待もしてるし、周りになんと言われようと他のチビどもを守ってくれるって安心感もあるし! 実際に上に逆らってでも崖っぷちの一年坊主を見捨てなかったし! ……なんつーか、もう頭こんがらがって言いたいこと訳分かんなくなってきたけど、つまるところ、空元気に振る舞っててもオレらにはすぐに分かんだよバーーカ!!!!」
……と、一孝がハゲそうなほどキレ散らかしてたぞ。
ニヤリと笑って最後に付け足された言葉に、二の句を継げることができず目を瞬かせる。……伊勢崎くんではなく、武居くん。いやでも今、たしかに伊勢崎くん自身の本音も混じっていたような気がしたんだけど。如何せん与えられた情報量が多いというか、いっぺんに捲し立てられて何が何だかよく分かっていないというか。
豆鉄砲をくった鳩のように口をぼんやりと開ける私に、目の前の黄金の太陽のような男の子は、しかし悪戯っぽい笑みから大人びた表情にふと衣替えして。
「……だからさ、大人だからって、ムリして取り繕わなくていーんだよ。隠されたほうがよっぽど気になるし」
「……い、せ、」
「ここなら誰も来ないし。オレも暗くて指揮官さんの顔よく見えてないから。……心に溜まってんの、全部外に出してやんなよ。限界超える前に、さ」
なんならこうやって背中合わせにしてもいーぜ? と、ズリズリと移動した彼は私の背中にピタリとくっつく。衣服越しに伝わる伊勢崎くんの体温は、泣きたくなるほどあたたかくて。
「……っ!!」
知れずぽろ、と。私の目尻からはひっきりなしに涙があふれてきていた。漠然とした不安が、安堵に形を変えて。堰を切ったように、次々と。
『もとより生半可な覚悟で指揮官の肩書きを背負っているわけではありません。ヒーローの脱落だって、覚悟はしています。』
啖呵を切ったその言葉に偽りはない。でもいつかは、いつかはあの子たちの誰かが途中でいなくなってしまったらと考えると。そしてそれが、私の一つの判断ミスで起こってしまったらと危ぶむと。不安は、無限に止まらなくなっていった。止まるどころか、最悪の想像まで膨らむようになっていった。
理解はしていた。そんな訪れるかも知れない未来に怯えていたら、指揮官なんて地位に堪えられない。それどころか肝心なときに舵取りを失敗して、本当にあの子たちを失う結果を招きかねないと。だけど、
「エコヒーキとかしないアンタだから着いていこうって思う」「周りになんと言われようと他のチビどもを守ってくれるって安心感もある」「指揮官さんがオレらのことしっかり見てくれてるように、オレらも指揮官さんのことしっかり見てるってこと!」あの子たちには、そんな不安、とっくに見透かされてた。見透かした上で、あの子たちは、背中を合わせてくれているこの子は。
「――むかーし、むかし……」
ALICE+