────本当に、あの頃に比べればすっかり角が取れたものだとしみじみ感心する。例えるならばまさに月とスッポン、雲泥の差だ。
借りてきた猫のように警戒しながら周りとは一線を引いて接していた昔とは違って、物腰も柔らかくなって、ちょっとした仕草にも優しさを感じられるようになったというか、思いやりが伝わるようになったというか。

「おにはーっ、そとーっ!!」
ドスッ!!
「へへーん! ぱぱのろまー!」
「〜〜っの、梛! てめぇふざけんじゃねえよ冷てぇだろうが!!」

………あれ、角取れた、よ、ね?
頬を引き攣らせた與儀は心中複雑な想いに駆られつつも、行き場を持て余した手を二人に伸ばし、おっ始まった恒例の喧嘩を制止しようとしたら硬い雪玉が顔面にヒットした。猛烈な勢いでぶつかってきたそれに受け身が取れず踏鞴を踏んでバランスを崩し、全身が雪に埋まる。
差し伸べてくれる手は無く、耳に聞こえてくる喧騒は止まず。どうやら與儀がダウンした事さえ感知していないようだった。

賑やかな声が響くこの一帯は氷晶の街リノルにわりかし近い寒冷地で、かの地域ほど極寒でも吹雪いてもいないが、厚い雲が覆った曇天からはひっきりなしに白い結晶が落ちてくる。
梛は初めて目にする雪に顔を輝かせて無邪気にはしゃぎ回り、花礫と與儀、それから現在は席を外しているが名前は各々戦闘後の浄化任務に当たっていた。

因みに今回は浄化のみなので能力者は先日に葬送済み。危険は無いと見なされたから梛も特別に艇を降りる許可を頂いたのである。
最初は梛も與儀に遊び方を教えてもらって、一人で雪だるまや、かまくらなどを作って仕事の邪魔をしないようにと隅っこの方に居たのだが、それも流石に飽きてきたのか。火不火の手掛かりとなる残骸を解析していた花礫にちょっかいを出し始め、仕舞いには今さっきのように雪玉を投げる始末。
子供の握力なんて高が知れている。当たったら砕けるなんて容易いことで、雪も体温に触れたら直ぐに溶けてしまうから、これまでガン無視していた花礫も次第に服が濡れていって我慢出来なくなったのか作業そっちのけで仕返しの体勢に入り────今の雪合戦に。

「っつーか鬼は外ってなんだよ、もう節分は終わったっての!」
ドスッ!
「そんなこと知ってるもーん。ぱぱっておこるとおにみたいなカオするからだよー!」
ドスッ!
「ンだと!? っ梛テメかわすな!」
ドスッ!
「やだ! おっにさんこっちら!」
ドスッ!
「……俺をコケにすっとどうなるかってこと、たっぷり思い知らせてやらァ」
ドスッ!
ドスッ!
ドスッ!
──バキャアッ!!!
「ちょっと待って、今明らかに普通の雪玉らしからぬ音がしたんだけど!?」

危なかった。このまま雪に埋れてうっかり見過ごすところだった。
ガバッと起き上がった與儀が目の当たりにしたものは、岩に当たって木っ端微塵になった石ころ。
これは穏やかな雪合戦じゃない、もはや石合戦の殴り合いとなっていた。
奴らは本気だ、本気と書いてマジと読む。殺伐とした並々ならぬ空気が辺りを包んでいた。
加熱した火は自然には鎮火しない。誰かが仲裁しない限りあの二人は延々とやっているだろう。神妙になって與儀は唾を飲んだ。

(……名前も居ないし、こうなった花礫くん達を止められるのは俺だけだ……!)
成し遂げられるかは別として、謎の使命感だった。

意を決して立ち上がり、悴んだ足先を奮い立たせて雪合戦(仮)に夢中になっている親子の元へ進んでいく。
二人は未だ接近してくる與儀の姿に気付く様子を見せない。しめしめと思いながら、凍てつくような冷たい空気を肺一杯に吸って一喝しようとした時、視界の端に見慣れた姿をふと捉えた。
彼女が地に降り立ったと同時に彼女へ向かう玉の存在に気付いて、急いで声を張り上げる。

「っ名前、危ない避けてー!!」
「えっ? ──ぶっ、」

……時、既に遅しだった。
注意を他に向けていた名前が飛んできた雪玉の影に気付く筈もなく、與儀の大声で顔を上げた時にはそれはとうに目の前まで迫っていた。

視界が一瞬で満遍なく白に染められ、名前は成す術もなく後ろに倒れて尻餅をつく。
じぃん、と雪玉がヒットした眉間が痺れ、急激な冷えにより雪道に沈んだ尻やら手やらが温もりを奪われていった。全身の血の気が一点に集中していくような、血気が盛んに迸るようなこの感じ。

俯いていた名前は徐々にプルプルと憤りに震え始めて、慌てふためいて狼狽える與儀を尻目にたった一人立ち上がった。言わずもがな無言無表情で。真の鬼の降臨だ。そんなことも露知らず男二人組は争い続けている。
名前は屈伸をしてから雪を手繰り寄せては固く握り、ある程度ストックを積んだところで景気付けに肩を回す。
……これひょっとしなくてもヤバいフラグだ。
ここに居たら間違いなく巻き込まれると勘で察した與儀はサッと素早く安全地帯に退いた。
咄嗟にしては賢明な判断である。

「〜〜っこンのおばかぁぁあ!!」
「、いって! なっ、オイ名前! なんで俺に集中砲火してん……っぶね!」
「梛にぶつけられるワケ無いでしょ! それにさっきのかなり痛かったんだから!!」
「アレは俺が投げたヤツじゃっ、梛おまえまでどさくさに紛れて投げんじゃねえ! しかもさりげなく石入れやがったな!」
「えー? なんのことー?」
「あンのクソガキ……っ小賢しい知恵どこで身に付けやがった……!!」
「賢いのは花礫くんに似たんで、しょっ!」

雪玉と文句の応酬。口も動かしつつ、反撃に出るのも怠らない。
全員ああ言えばこう言うし、自分の非を認めずとぼける子供まで居る。
場はカオスと化していた。

確かにズル賢いとこは花礫くんそっくりだよねー、と梛が作ったかまくらの陰に身を潜める與儀はウンウンと頷きながら納得していたが、そこは目敏く見逃さなかった花礫によって剛速球の玉が飛んできた。
反射で身体を捻ってギリギリ避けたものの、與儀の代わりにかまくらが抉れている。お前も避けていなければこうなっていたんだぞ、と否めない可能性を突き付けられた気分だった。みるみるうちに顔が青褪めていく。
おっかなびっくり視線を名前達に戻せば、彼女達は與儀を気にする素振りを見せず、あくまで雪合戦を続行。手だけでなく肝まで冷やすような熾烈な雪合戦は見たことないと、尻込みする與儀の気持ちも尤もだった。

「二対一とか上等じゃねーか……かかってこいよオラ」
「あれー、ぱぱどこになげてるのー? ボクもうこっちにいるもーん」
「待って梛くん俺を盾にしないで!!」
「與儀は梛を守ってて! 花礫くんは私が倒してみせるから……」
「……ハッ、お前が出来んの? 笑える。」
「そうやって鼻高く居られるのも今のうちだからね」

よもや夫婦の争いにまで発展するとは。
因縁の決着みたいな雰囲気が漂っているが、くどくてもただの雪合戦である。

寒風が間合いを図る二人の間に吹きすさび、梛を背中に匿った與儀は再び固唾を飲んだ。花礫と名前、両者互いに息をこらして寸分の隙を見計らっている。
與儀からすれば牙が鋭い狼と精いっぱい虚勢を張っている兎が対峙しているようにしか見えないのだが。
こういうのを飛んで火にいる何とやらと言うんじゃなかっただろうか。
もしも今回ふんぞり返る花礫にまぐれで勝てたとしても、後に名前が返り討ちに遭うのは目に見えていた。
多分、彼女はそんな考えに至るどころか普段の鬱憤を晴らせることばかり目先に捉われていて、全く予想もしていないのだろうけど。

そして戦いの火蓋は切って落とされ、激しい攻防戦が開幕された。
深い積雪の中、器用に脚を絡め取られることなく飛んでくる雪玉を避けては投げ、時には相殺し、息が切れるのも構わず走っては距離を詰めたり取ったり。能力者との戦闘でもここまで真剣な二人の表情は……見たことあるけど生憎これは命を懸けた戦じゃない。
食うか食われるかの弱肉強食の世界が広がっているのは紛れもない事実だろうけども、命までは。恐らく。そう信じたい。

「……あれ、梛くん何やってるの?」
「ままをたすける」
「うん、それバズーカだよね? なんで此処にあるの? おかしいよね?」
「リュックにつめてきた。じきがね、いざってときはこれをつかうといーよって」
「喰くんんんんんん!?」

毎度思うけど喰くんは子供に何てことばかり教えてるの!? えっ、むしろ名前は放任してるの!? 色々と悪影響じゃないの!?
そんなの撃ったら雪どころか二人までも吹っ飛ぶ。死なば諸ともか、皆殺しか。

しかし鼻歌を歌いながらご機嫌よくバズーカに雪を詰めていく梛に悪気なんてものは欠片も無く、與儀は頭の中がこんがりながらも「それだけは止めときな!」と全力で説得を試みる。キョトン、と小首を傾げる仕草は名前そっくりだ。ってそうじゃなくて、今は何よりも二人の無事を確保するのが最優先事項。
早口でまくし立てるも梛は貸す耳を持たず、理解しようともせず、小型のバズーカを肩に担いだ。
子供の体格には不釣り合いだが、梛の外見は花礫をそのまま小さくしたような風貌だからか妙にサマになっている。恐るべし四歳児。

「……って、あっちょっ、待っ────!」
「バズーカ、はっしゃ!」

耳を劈くような轟音が轟いた。
準備万端に梛は耳栓を装着済みである。傍らにいた與儀でさえ微かに眩暈がしたくらいなのに直撃しただろうあの夫婦はどうなったのか。

暫し茫然としていたものの、状況を把握した與儀は厭に騒ぐ胸騒ぎを抑えて雪がこんもりと一部分だけ盛り上がってる場所にいき、手で掻き分けて埋まってる筈の二人の姿を探した。すると数分も経たないうちに二人纏めて横たわる姿を発見して、まずは名前を抱き締めている花礫の頬をペチペチと叩く。
彼は眉を顰めたあとゆっくりと目蓋を開けて、與儀の安堵した表情を視界に入れるなり状況を整理するため次に辺りに目を配った。腕の中の温もりに気付くなり、ガバリと起き上がって先ほど與儀にされたように名前の頬をやんわり叩いたが、どうやら彼女にも外傷は無いようでホッと胸を撫で下ろす。

「つ、ぅ……花礫くん?」
「痛みは? どっかあるか?」
「ううん……大丈夫……」
「二人とも生きてて良かった〜! 何かあったらどうしようかと……っ梛くん止めらんなくてごめんね〜〜っ」
「梛……? ヘェ、成る程な……」
「ひっ、ぱぱがおこった……!!」
「オイコラ逃げんな!!」

物凄い剣幕に怯えをなして逃げていった子供をすかさず花礫が追い掛ける。
小型バズーカといえ侮ることなかれ。雪が偏った場所に集められたことで足場は大変悪いものとなり、花礫が梛を捕まえるのは困難に窮した。
けれど父親としての意地で屈しず、すばしっこい子供を地の果てまで追いかけ回す。

その光景に苦笑いしたあと、與儀は未だ呆気に取られている様子の名前に目線をやって首を傾げた。びっくりした? と問いかければそりゃね……と依然として唖然とした声音で返ってくる。混乱するのもやむを得ない。
バズーカ砲なんてどこから持ち出したのあの子、とどことなくドン引きしている様子の名前に主犯の名を出せば、深々と零される溜め息。

「いい加減喰にも鉄槌下さなきゃダメかな……野放しにしちゃ駄目だアレは」
「ハハ……その方が得策かも。それよりホントにどこも怪我してない?」
「花礫くんが私の前に飛び出て、庇ってくれたみたいで……なんともないよ。與儀もありがとう」
「なら良いんだけど……。花礫くんは……ピンピンしてるから大丈夫かな」
「多分……あ、ほらまた雪合戦始まった」
「懲りないなぁ……梛くんも」
「私達の子だからしぶとさだけはね」
「そだね。……俺も混ぜてもらおっと!」

意気揚々と立ち上がり、同様に立ち上がった名前の手を引いて「俺たちも混ぜてー!」と躍起になって雪玉を投げ合う親子に近付く。
が、名前と繋いだ手を見て目の色を変えた二人に與儀が理不尽にも集中攻撃を受ける事になるのは──まあ、お馴染みの展開で。

結局その地域の浄化処理が終わったのはどっぷりと夜の帳が降りた頃で、帰ったら平門に呆れられたのは言うまでもない。
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