「なっ、頼むよ後生だから! このとーり!」
「……ふふ。そんな腰を低くして懇願されなくても、元々当日は此方から伺う予定でした」
「名前……!」
話が早くて助かる!
快い返答に安堵したかのように頬を綻ばせる朔に、名前はまるで子供みたいですねとクスクス控えめに微笑った。
直ぐに揶揄されていると気付き、これでもちょっとは緊張してたんだぜ?と朔が改まってきまり悪そうに言う。
木枯らし第一号が観測され、晩秋から初冬の準備が各地で行われる時期。再び訪れた季節の変わり目に、見下ろす街は冬の澄んだ空気を彩るイルミネーションがあちらこちらで点灯されて活気に湧いており、艇でも夜にハッチから覗く景色は相当圧巻なもの。
そんな着々と冬の支度が進められていく中、朔が艇長を務める壱號艇では大きな一大イベントが迫っていた。
11月25日。
壱號艇闘員であるキイチがこの世に生を授かった大切な日。
名前からすればキイチは自分に懐いて心から慕ってくれる(些か愛情表現は屈折しているけれど)、貳號艇闘員の者達と同じくらい大事な子だ。なので今回のイベントも当然見過ごす筈は無く、朔からこうして呼び掛けられずとも自分から壱號艇に赴くつもりだった。
この前会った時「名前さんの料理が食べたいですぅ」と本人は否定するだろうが誰から見ても分かる膨れっ面をしていたから作ってあげたいし、なにより調度レシピが完成した自信作だっていの一番にキイチにお披露目出来る。
楽しみですと心なしか上機嫌な名前の様子に、けど朔は苦笑いして誤って気分を害さないようそれとなく探り入れた。
「なあ名前、その自信作ってまた一からレシピを編んだやつか?」
「いえ、既に考案したオリジナルにアレンジを継ぎ足しただけですが。調理途中に調味料を変えて少し手間を加えるだけでも大分風味が変わるんですよ」
「あ、なら良いや。俺も安心して心待ちに出来るわ」
「……いま私の繊細な心は傷付きました。ブロークンハートです。完膚無きまでにボッコボコです。明らかに信用されてないことが分かりました。ほら見てください、雀の涙ほどの水が私の目尻からちょちょ切れて」
「出てねーけど?」
「……………ちっ、冗談です」
見りゃ分かる。
折り入ってネタばらしされなくとも一目瞭然だと噴き出しつつも、朔は心の密かではホッと胸を撫で下ろしていた。
名前が零から十まで案出した創作料理には用心が必要だ。勿論中には飛び抜けて絶賛を受け成功したものもある。…が、時々悪ふざけなのか本気なのか凄まじい味のものを稀に生み出す事があって。そういったのは大抵適当に調味料や様々な具材を合わせて作っている物だ。おまけに甚だ厄介なことに見た目は完璧。匂いも食欲をそそる香ばしいもの。
しかし口に入れた途端、無言で席を立って暫くの間消息を断つ者が続出。被害を被るのはここで名を出すのは憚るが、主に彼女の料理に胃を鷲掴まれ香りに釣られてやってくる男共が大半である。
…おっと話が脱線してしまった。
んじゃ当日まで機微に敏いキイチには気取られないようにとお互い念入りに釘を差し、その日はひとまず別れを告げた。

それから名前が生誕祭までの日数を指折り数えて仕事の合間壱號艇に足を運ぶことが多くなり、こっそりパーティーの下準備に勤しんでいた。決してキイチに怪しまれないようにと、兎達にはあらかじめ事情を詳しく話して上手く連携を組み協力してもらっている。
一度油断していた時に艇の中でうっかり遭遇してしまい大層驚かれたことが合ったが、そこは偶然居合わせた朔がすかさずフォローをしてくれて難を逃れた。因みに言わずもがなその日はキイチによって強制的に壱號艇に留まる事となった。
そんなこんなで、若干の多事多難がありながらも何とか無事に迎えられた当日。
彼女の本日の仕事は前もって朔が調整していたし、兎に言付けを預けておいたからもう直ぐこの部屋に来る筈だと欠かさず最終チェックを済ます。すると足音と共にコンコン、と扉をノックされる音が室内に響いて。
皆が一斉に身構え、扉の隙間からキイチの姿が覗いた瞬間───盛大なクラッカーの破裂音が数多にも鳴り響いた。
「………は?」
「くく、驚いてる驚いてる」
「うん、キイっちゃんその顔傑作だよ」
「な、っな、〜〜っ五月蝿いですよそこの男達!」
「まぁまぁ、せっかくの記念日なのにかっかしてたら勿体無いですよ。あなた達もおちょくらないの。大人げない」
何がなにやらと呆気に取られて立ち尽くすキイチに、面白そうに茶々を入れる朔と喰を名前が窘めため息を吐く。
少女は朔の影になっていた名前の存在に気付いていなかったのか、彼女の姿を一目見るなり大きく瞳を見開いてさらに唖然としたようだった。喰が壱號艇に戻って来ていただけでも面食らったのに、まさか名前までも此処に居るとは。
記念日、と名前は言ったが果たして今日は何か合っただろうか。はて、キイチが思い当たりの無い思考を巡らせ首を捻れば、依然と楽しそうな笑みを携えた朔が少女の小さい頭を撫でるついでにくしゃくしゃに髪を掻き乱す。
「……ちょっ、と、止めてくださいよぉ朔ちゃん!」
「バカだなー、自分の生まれた日も忘れたのか?」
「、生まれた日……? 今日って……あ」
「お誕生日、おめでとうございますキイチちゃん」
ぴん、と合点がいったかに納得した様子のキイチに、堰を切ったように皆が続々と祝いの言葉を掛けていった。
最初は居心地悪そうに微妙な面持ちを浮かべていたキイチだが、頬が仄かに赤く染まっていることから悪い気はしていないのだろう。名前は朔と顔を見合わせて互いに微笑し、奥に隠していた料理を手際良くテーブルに並べていった。
「よっし今日は無礼講だ!」
気兼ねせずに飲むぞー!とはやし立てる朔に壱組の面々はやっぱりそれが目的かと呆れ顔。けれどめでたい日に変わりは無いのでたまには羽目を外すのも良いかとこの時ばかりは皆一様に肩の荷を下ろし、即座に出された料理にありついた。
本当は自分の誕生日などただの建前で、朔然り皆騒ぐ機会が欲しかっただけなんじゃないかとキイチは内心悪態吐く。されど嬉しくない訳では無い、表面上には出さずとも闘員がこう一堂に会するのは滅多に無いことで、しかもそれが自分のために集まってくれたのなら嬉しいに決まっている。
むず痒いような面映ゆいような、複雑な心情に身を焦がしながら、キイチはせっせと料理を運び終えて今や手持ち無沙汰な名前に自ら近付いていった。
「あ、キイチちゃん。これ貳組メンバーからのプレゼントです。本当は皆の手から直接渡せたら良かったんでしょうが、皆さんどうしても外せない用事や仕事があって……残念ながら喰君しか連れて来れませんでした」
「名前さんからの誘いを僕が断るワケ無いじゃないですか。それにキイっちゃんの生誕祭って聞いたら尚更ね」
「喰君は名前さんの料理が食べたかっただけでしょう?」
「そうじゃないって言ったら真っ赤な嘘になるけど、キイっちゃんの誕生日を祝いたかったのもホントだよ。はい、これプレゼント」
「……まぁ、お礼を言ってあげない事も無いですぅ」
キイチなりの不器用なお礼の仕方に相変わらずだなぁと喰が肩を竦め、名前が苦笑する。後ろではやんややんやと朔が他の闘員達とはしゃいでいた。
「……名前さんは?」
怖ず怖ずと問われたさり気ない催促に、名前の頬がふっと緩んだ。どんなに爪先立ちをして大人ぶってもこの子はまだ十五歳。子供から大人として成長する過程の発展途上で多感な年頃であり、少なからず周りの目を気にして自分の体裁を繕い始める年代に当たるのではないかと思う。けれど強情に意地を張っていても心の奥底では誰かに甘えたい欲もあるのだろう、キイチはそれがいまいち分かり難くて気難しい子だと思っていたが、時折こうして遠回しにでも伝えてきて。
いかにもキイチらしい拙い感情表現に微笑ましくなりつつ、うずうずと待ちかねる少女の頭をそっと撫でた。
「そうですねぇ…プレゼントは私、とか考えてたんですが」
「なんっって贅沢なプレゼントなんだキイっちゃん! 解せない! 僕の時なんて眼鏡ケースだったんだよ羨ましい!いや眼鏡ケースも凄く嬉しかったけど! 名前さんから貰えるならなんでも嬉しいけど! それなら僕も欲しい! 今からでも間に合うんでください!!」
「喰君はウザいんでちょっと黙りやがれですぅ。名前さん良いんですか? 今さら前言撤回とか聞きませんよぉ?」
「なんかもう決定事項になってる」
名前にしたらちょっとした軽い冗談だったのに肝心の本人にはたかが冗談として受け取って貰えなかったようだ。むしろそれ以外のプレゼントは認めないと言わんばかりの居丈高な態度。恐るべし。
(…こうなったら私が折れるしか無いですよねえ)
流石にキイチが望む壱號艇に移動という希望までは叶えられそうに無いが「今日一日なら何でもお願い聞きますよ」そう苦笑混じりに言った名前に不服そうな顔を浮かべつつ、キイチも首肯する。横では喰が悔しげに歯噛みしていた。正直言って鬱陶しい。
「じゃあ今日は離しませんから覚悟しててくださいよぉ?」
「ふふ。かしこまりました、お嬢様」
「名前さん一日独占とか何それ良いな。僕と変わってよキイっちゃん」
「変態は引っ込んでろですぅっ」
「お、このケーキうめー!」
「、なっ朔ちゃん全部食べないでくださいよ!? それはキイチの為に名前さんが手間暇かけて作ってくれたケーキなんですからぁ!!」
「……やれやれ」
ドタバタと賑やかな壱號艇。
騒がしいのは何処も同じかと一息ついた名前は微笑んだ。仲間に囲まれ、何だかんだと愛されている小さな女の子。
この子が生まれた今日この日に、多大なる感謝と喜びを。
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