@解りづらい愛情表現(花礫)
つむじ曲がりの天の邪鬼。言うこと成すこと斜めに構えて、我が子ながらひねくれた性格をしていると呆れることもしばしば。しかしあの子と血を分けた父親が一癖どころか二癖も三癖もあるような人だから、中身は惜しいことにそっちに似てしまったんだろうなと諦観を持った。本人たちが耳にしたら絶対断固として認めないでしょうが。特に花礫は思いっきり顔を顰めてイヤだと突っぱねるでしょうし。でもこんな子だけど、物凄く負けず嫌いで意地っ張りだけど、心根はとても優しい子なんです。若干伝わりづらくて、あまり安売りはしませんけども。

「名前ー」
「こら、お母さんと呼びなさい」
「名前」
「お母さん」
「しつけーぞ名前」
「………ふぅ。じゃあお父さんは?」
「クソメガネ」
「正解です」

オイお前ら、と優雅に珈琲を飲みながら新聞を読み耽っていた平門からすかさず突っ込みが入った。あら、聞こえてたんですか。先ほど話し掛けても新聞に釘付けで無視されたのでてっきり今も聞こえていないかと、と私が皮肉混じりに言えばあちらは苦虫噛み潰したかのような渋い顔。花礫はちゃんと食器の後片付けを手伝ってくれたのに貴方は何食わぬ顔で珈琲くれ、ですもんね。この朝のクソ忙しい時間帯にも関わらず。自分で淹れるか洗濯機回しといてくれるくらいの甲斐性見せやがれってんだ。…おっとつい語気が荒くなっちゃいました。お前達まさか今日に限らず俺が仕事行った後とか密かにそうやって俺の悪口叩いてるんじゃないだろうな、と嫌疑の目を向けてくる平門に対し、私と花礫はしれっとした表情で顔を逸らす。図星だ。図星だが自ら暴露するなんてことはしない。面倒だから。

「…はぁ…。俺は間違いなく花礫の口の悪さはお前に似たんだと思うぞ、名前」
「はて何のことやら」
「白々しい。花礫も花礫だ。いい加減親に対するその態度を改めなさい」
「名前はなんでこんなヤツえらんだわけ?」
「人の話を聞け」
「うーん…何ででしょうねえ…いつの間にかまな板の上の鯉みたいな状態になっちゃってたんですよ」
「おれにしときゃよかったのに」
「貴方まだ産まれてないでしょうおバカ」
「二人とも寸鉄人を刺すって言葉知ってるか?」

つまり平門は花礫に痛いところを突かれた挙げ句私にも流されてしょうがなく、みたいな事を言われて大打撃、と。ざまぁ、とボソリ呟いた声が花礫と重なった。平門の眉がピクリと引き攣り、低い声が私の名を呼ぶ。

「今日の夜は覚悟しておくんだな」
「ハッ、ざんねんだったなクソメガネ。名前はきょうおれといっしょにねるんだよ」
「そういうことなので、今日は貴方一人で寝てくださいね」
「…………ちっ」

あたかも平門に見せ付けるかのように抱き着いてきた花礫を受け止め、私が満足げににっこりと微笑めば平門は忌々しい、と文句を言わんばかりに表情を歪めて舌打ちした。この子が居れば百人力なので今の私には全く痛くも痒くもありませんけど。ぽんぽん、と私のお腹に顔を埋める花礫の背中を優しく叩けば、つり目がちな黒い瞳が私を見上げる。頭を撫でれば猫みたいに窄められる目尻。可愛いなあ、もう。不機嫌に臍を曲げた旦那を余所に、私は愛しい息子と二人休日を満喫していた。因みに夜は、

「………かあ、さ…」

私の腕の中でぎゅう、としがみつきながら寝言で母さん、と呼んでくれた花礫が可愛すぎて一人布団の中で身悶えしていた。


@子供は泣いて強くなる(與儀)
「おっ、お、お母さんお母さんお母さんお母さ────ふべぇっ、!」

まるで蛙が潰れたような声だった。玄関先から響いてきた声に、慌ただしく濡れた手を拭いてキッチンから顔を出す。すると段差に躓いたのかうつ伏せで微動だにせず横たわっている與儀が居て、瞠目しながら急いで駆け寄った。脇に手を通して身体を立たせ、半べそかいている與儀の顔をまじまじと見る。…少し鼻の頭が赤くはなっていますが、出血も無いし傷も無いから大丈夫かな。他に痛いところは?と念のため問い掛ければ目をごしごしと腕で擦りながらかぶりを振る。なのに堰を切ったように絶えず涙は溢れてきていて、学校で何か嫌なことでも合ったんだろうかと一抹の不安が胸を過った。

「與儀、どうしたんです? ずっと泣いてちゃ分からないですよ」
「う、うぅ、花礫くんが…!!」
「花礫君? また喧嘩しちゃったんです?」
「がっ、花礫くんが、はじめておれの名前を呼んでくれた…!」
「…………ああ、そう」

心底どうでもいい話だった。いや、與儀からすればとてつもなく重要な事なのでしょうけども。要するに嬉し泣きってことね。まったく要らない心配かけさせて。いったい誰に似てこんな涙脆くなっちゃったんでしょうかと苦笑しながらも、未だ懸命にごしごしと目を擦る與儀を眼球傷付けちゃうからと諭して止めさせた。小さい身体を抱き上げ、再びキッチンへ戻って鍋が沸騰していることを確認してから火を消す。與儀はなんとか涙を止めたみたいだが時折出てくるしゃっくりに顔を歪め、湿っている目許をグリグリと私の肩に押し付けてきた。柔らかい癖毛を撫でれば首に回った腕の力がより一層強くなる。

「良かったじゃないの。その調子ならきっとこれからもっと仲良くなれますよ」
「うん……でもね、」
「うん?」
「おれが今呼んでくれたよね!? ってしつこくきいたら、うるせえマザコン! って言われてお尻けられた……」
「……」

…まあ何となくある程度予想はついていた。マザコンってなぁに?と綺麗な目を真ん丸くして見つめてくる與儀に、私はなんて言葉を教えてくれたんだと近所に住む黒髪の子供に悪態吐いた。マザコンってわるいことなの?と小首を傾げる純粋な息子。どう説明しようか曖昧に口を濁らせ頭を悩ませる私。とりあえず誤解は解かねばなるまいと、與儀を腕から下ろしきょとんと不思議そうにする顔と向き合い、細い両肩をそっと掴んだ。

「お母さん?」
「與儀、マザコンというのは決して悪いことじゃありませんよ」
「ほんと?」
「ええ。お母さんを大事にしていると言うことですから。……まあ度を越したのがマザコンなんだけども……」
「え? ごめんお母さん、さいごのよく聞こえなかった……」
「何でもありません。與儀はお母さんのことずっと好きで居てくれます?」
「うん! 今もだいすきだもん!!」
「お母さんも與儀のこと大好きですよ。だから花礫君から何と言われようと胸を張っていなさいな」
「う、うん! わかった!」

よし、刷り込み完了。だけど──「おれ次花礫くんに会ったらマザコンだもん!って言ってくるね!」と意気込む息子の姿に、ああしまった言葉の選択を誤ったと項垂れた。そして後日、今度は花礫君にドン引きされて泣いて帰ってくる息子を必死に宥める羽目になるのは、また別のお話で。


@心の癒し(ツクモ・无)
「……ママ、つかれてる…?」

洗濯物を畳みながらふとため息を吐くと、学校から帰ってきて一緒に家事の手伝いをしてくれていたツクモが表情を曇らせながら恐る恐ると訊ねてきた。気付けばツクモだけでなく隣にいた无までも心配そうに私の様子を窺っていて、私は慌ててそんなことありませんよと平静を取り繕う。…いけない、すっかり子供達が前に居ることを失念していた。私の返答に依然と納得していないような顔を浮かべる二人の頭を撫で、罪悪感に駆られながらもうやむやに誤魔化す。无は心地良さそうに笑ってくれたが、ツクモだけはまだ気難しい顔をしていて。この子は妙に聡いから、二枚舌で言いくるめるのも一苦労する。

「でもママ、きのうの夜部屋でくるしそうな声だしてたわ」
「………え、まさか聞こえ、」
「てきたよ?」
「おれのへやにもきこえてきた!」

絶句した。昨夜は平門がやけに機嫌が悪くて半ば流される形で事に及んだが、出来る限りそういう声は押し殺した筈なのに。まさか无の部屋にまで届いていたとは。苦しそうに聞こえた、ということは押し殺そうと努めていたことが却って裏目に出たのか。ギクリと身体を硬直させた私に、二人はますます瞳に宿した疑いの色を濃厚にして凝視してきた。──まずい、窮地に立たされた。諸悪の根源である平門は現在仕事に出ているから当然他に救いを求められる筈もなく。平常心平常心、と自分に言い聞かせながらもその実めちゃくちゃ思考を掻き乱していた。子供達に嘘を吐くのは非常に心苦しいし母親として如何なものかと思うが、致し方ない。嘘も方便だ。

「…そう、ですね、少し疲れてるのかも」
「! ならママは休んでて。これくらいなら私たちだけでもできるから」
「うん、おれとツクモちゃんでがんばるよっ」
「、大丈夫ですよ。お風呂入って今日は早めに眠ればまた元気になりますから」
「ダメ。ママは自分の体たいせつにして」
「………はい」

頼もしい娘に説き伏せられた。勢いに圧倒されて思わず頷いてしまった私を見てツクモも満足そうに頷き、无と協力して洗濯物を丁寧に畳んでいく。きちんとした折り方は私が以前教えたからちゃんと覚えていたようだ、多少歪だが子供がやったとは思えないほど綺麗に着々と積み重なっていく。いつの間にかこんな事まで任せられるように大きく成長して。これからもっともっと、スクスクと育っていくんでしょうね、と感慨深くせっせと家事に励む我が子を見守っていれば、およそ十分ほどで作業を終えた。ふー、と胸を撫で下ろした二人にお疲れ様、と微笑めば、おもむろに无が立ち上がって私の背に回る。

「ままのかたもみしてあげる!」
「じゃ、じゃあ私はおふろ入ったときママのせなか流す…!」
「……ふふ。ありがとう、二人とも」

良い子供達を持ったなぁ、と改めてしみじみ実感した一日でした。
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