子猫の手綱




私の恋人である降谷零は、顔と同じく基本的には甘く優しい。と、これは出会った当初彼が”安室透”という喫茶店の店員をしていた時の印象だ。マイルドで料理が得意な彼は、どちらかといえば男くさいというよりは中性的な印象であった。なんやかんやで付き合うことになってからの彼の印象は打って変わってまさに”男”で、割と大雑把な一面もあれば独占欲というか嫉妬の念が強く(本人は隠しているつもりらしい)、主導権は握っておきたい、比較的亭主関白な本能を理性で制限しているような男だった。
そしてそれはベッドの中でも変わらず、いつも彼の手のひらの上で転がされる私は、どろどろに溶かされては訳も分からないまま気持ちよくなって終わりだ。体力の差もあって、もしかしたら彼は満足していないのではと思い至ったのはとある男のとある発言からであった。


「降谷くんは最近、体力が有り余っているようだな。」


唐突に私にそう言い放ったのは、白煙を燻らせながらけだるそうに壁に寄り掛かるグリーンの瞳の男――大学院生として知り合ったはずなのに安室さん同様仮の姿だったというオチを披露してくれた赤井秀一さんだ。


「赤井さん、まだ日本にいらっしゃったんですね…。」

「随分な言い方だな?何年も追っていた組織にやっと終止符を打てたんだ。後処理だってそれなりにかかるさ。」


今、恋人である彼も同じくその後処理を行っていると聞いた。当時はもちろん知らなかったが、私と付き合っている最中に並行して潜入捜査をしていた彼は、2徹3徹当たり前で家に帰っては倒れるように寝てしまうこともしばしばだった。探偵業と聞かされていたため、探偵業って意外とブラックなんだなあなんて思ったものだ。
長年の潜入捜査がとりあえず終わり、後処理は時間をかけてFBI協力のもとじっくり行っていくとのことで、最近では定時で帰ってくることが増えた彼は実は警察官であった。彼が担当した案件はこれまでにないほどの大きなものであったらしく、これからの潜入捜査はそれほど難しい案件が発生していないうえ、若手のエースに世代交代をするとかで零には管理職への異動の話が出ていると彼の口から聞かされた。
「手のひらを返したように身を固めろだとかプライベートを大切にしろだとか…勝手な話だよ。」面白くなさそうにそう言った彼だったが、言葉とは裏腹に与えられた時間を有効活用するかのように夜の営みに誘われる回数は格段に増えていた。それはもう、以前はわりと淡泊なんだなと思っていた彼の印象が変わってしまうくらいには。
だからこそ、余っている体力をそこで使っているのだと思っていた。思っていたからこそ、放たれたセリフ――彼の体力が有り余っていると他人でも気づくくらいにその事実があることが、衝撃だった。


「あんまり夜の方はないのか?」

「赤井さん、セクハラです。警察呼びますよ。」

「なんだ?アメリカを代表して悩みでも聞いてやろうか?」


…そういえばこの人もFBI…アメリカの警察なんだった。まったく世も末だ。


「え…あの、れ…降谷さんがなにか言ってました?」

「彼が俺に相談をすると思うか?俺が勝手に感じて思ったことを言ったまでだが…まあ、彼が今まで身を置いていた環境が異常だっただけだが、それがいきなりただの事務作業になれば想像は難しくはないさ。」

「ですよね…。」


そう言われてベッドの中でのいつもの流れを思い出してみる。改めて思い出してみて、そういえば時間こそ短くはないはずだが、私ばかり何度も達して彼は最後に一度達して終わっている気がする。しかしながら私はバテバテであるし、彼からも特に2回目の要求は無かったので何も疑問には思わなかったが…。


「赤井さん。」

「何だ?」

「あの、ちなみに、別に私たちの話とかではなくって一般論としてっていうか単純な疑問なんですけど、」

「いいから言ってみろ。」

「男の人がその…1回で終わるのって、別におかしいことはないですよね?」

「まあ、おかしいことはないんじゃないか?一般論としては年齢やそれこそ体力や精力にもよるんだろうが…。」


おかしいことはない。その言葉を聞くことができて内心ほっと胸を撫で下ろした私は、次の彼の発言で奈落の底に突き落とされることとなった。


「それが降谷くんなら、随分彼は控えめのようだな。」







彼が誘ってきてくれるものだから、ついついそれに甘えて私から彼を誘ったことはなかった。
もちろん彼とそういうことをするのに興味がないわけなどないし、したくないわけでもない。でもそれは彼に伝わっているだろうか?気持ちは言葉や行動に移さないと相手に伝わらない。今夜は私から誘って見せる。そう決意した。

いつも通り夕飯を作り彼の帰りを待つ。いつもと違うのは、私はすでにお風呂に入っており、いい香りのするボディミルクも塗りこんでいる。夕飯を食べてシャワーを浴びてもらったら私から積極的にお誘いしてやると心に決めていた。
夜まで待ってしまったら彼の方から誘ってくる可能性があるからだ。彼が風呂に入ったが最後、ゆっくりテレビなど見せてやる気はない。


ガチャリと玄関のドアの音が耳に届き、立ちあがった拍子に多少の緊張もありガタッとリビングの椅子が鳴った。小走りで玄関まで迎えに行くと、朝と同じスーツでちょっとくたびれた彼が驚いたような表情でこちらを見ていた。


「おかえりなさい、零。」

「ただいま。慌ててどうしたんだ?」


そう言ってぎゅっと軽くハグをして離れていくはずの彼は、首元に顔を埋めてすう、と大きく息を吸った。


「れ、れい?」

「…いい匂いする。」


まるで子犬のようにスンスンと匂いを嗅ぐ姿は可愛いのに、大きな手は私の後頭部と腰をがっちりと固定していてその力は可愛らしいとは言い難い。


「零、いたいよ!」

「ああ〜、やばいな。」

「お疲れ様。ご飯出来てるから…」

「勃った。」

「うん?」

「これ、風呂入ったろ?」

「ちょ、ちょっと待って、ごはん…!」

「お腹すいた?」

「私は味見とかしたしあんまり…ってうわっ、」


しまったと思った時には遅く、ひょいと持ち上げられる。頭の片隅で、ああ作戦が失敗してしまったと嘆く。
そのまま割と乱暴にベッドに投げ落とされたが、値の張るものにしたおかげが身を包む感触はやわらかかった。


「ごめん、名前せっかく風呂入って綺麗なのに、俺汚いな。」

「汚いとかは全く思わないけどっ、な、なんか今日は余裕ない…?」

「分かってるんだ?」


クスリと笑う顔は幼いのにその表情は色っぽくてどこまでも男で。適当にジャケットを投げ捨て覆いかぶさってきた彼から、いつもの石鹸の匂いに混ざってちょっぴり汗のにおいがする。いつもより降谷零そのものを感じているような気がして興奮してしまった私は、今日もきっと彼の手のひらの上だ。


「じゃあ大人しく食べられてて。」


作戦失敗である。







と、昨日は失敗に終わってしまったわけだが。
さすがに連日そういうお誘いをしてこないであろう彼に、逆に意表をついてこちらから仕掛けてやろうという試みだ。
これでもし万が一彼にはしたない女だと思われたっていい。それほどにあなたが好きだと返してやると私は意気込んでいた。

昨日改めて気づいたことがある。私は起きている彼に敵わない。力はもちろんだが、彼は相手を征服するのがうまいし、私が多少抵抗することも上手に甘えて見せ結局は彼の思い通りになってしまうのだ。ということは、寝ている間に襲ってしまえばいい。最近覚えた単語”夜這い”作戦である。
付き合った当初こそ眠りが浅く、私が少しでも動こうものなら起きてしまっていた彼は、最近はしっかりと眠れているようで警戒心も薄くなった。これは実は私はとても嬉しかったりする。

おやすみと言ってベッドに入ってからもう1時間ほど経過しているはずだ。
私はこの作戦のためにばっちり昼寝を済ませていた。完璧だ。隣からすうすうと聞こえる寝息がいとおしい。
そろっと彼の顔をのぞき見ると、いつもの綺麗な青い瞳がぴったりと閉じられた瞼に隠されていた。ちょっぴりさみしい気もするが、今のところ作戦は順調だ。
さあ作戦に移るぞ。とそう思うものの、寝顔があまりにも可愛くもう少し見ていたいという本心がなかなか脳に指令を送ってくれない。


「…可愛い。」


ぽつりと漏れてしまった独り言に慌てて口を塞ぐ。彼は物音に人一倍敏感なのだ。起きてしまっていないかおそるおそる確認してみるが、どうやらセーフのようだ。危ない危ない。軽率な行動は慎むように!とやっと機能しだした脳が私に叱咤した。
…まつ毛長いなあ。体はとてもがっしりしているのに、この顔とのギャップはいったいなんなんだろう。眉が穏やかに下がっているだけで起きているときよりもだいぶん幼く見える。

じっくり彼の顔を堪能したとことで、そっと頬に触れてみる。さらさらで綺麗な肌だ。このカフェオレみたいな肌の色が好きだ。すうすうと呼吸をする薄い唇に、軽くちゅ、と唇を落としてみる。

…起きない!

じーんと感動しながら、さらにちゅ、ちゅ、と軽いキスを落とし、気をよくした私は彼の整った唇を食んだり軽くなめたりと楽しんだ。
そういえば、これって私が本格的に襲いかかった時にまだ起きてくれなかったらどうしよう。最後まで一人プレイなんてそれは当初の目的――物足りない思いをさせている彼を満足させたいというところから外れてしまうのではと、そんな心配をしていた私を嘲笑うように、神様…というか目の前の男は意地悪であった。


「――!?んっ、」


突然、にゅるっと舌が口内に入ってきて、予想外な出来事に反射的に引いた頭は意思とは反して全く動かなかった。いつの間にか起きていた彼の、口内を犯しながら出したふふっとくぐもった笑い声を聞いて私はハッとした。


「〜〜っ、零!起きてたでしょ!」


私の後頭部を抑えていた彼の手のひらが外れたのを感じ、口を離す。んちゅ、と離した口から繋がる唾液の糸がぷつりと切れる。その先に見えた彼の顔は、恐ろしいほどうっとりと扇情的だった。いつもはキスでこんな表情はしないのに、と内心ヒヤリとする。


「足りなかった?」


昨日、とあまりに耳の近くで囁かれゾワゾワと鳥肌が立つ。耳が弱いことを知っていてやっているのだから質が悪い。
予想していなかった、足りないのかという質問。それはこっちのセリフだと言いたいのに、すっかり情事の色に染まる目の前の男の色気に当てられて、震える声はいつまで経っても出ることはなかった。私が握るはずだった主導権はあっさりと奪い取られ、こちらの勝手で真夜中に叩き起こされたであろう彼はそれでも嬉しそうに私をぐずぐずに溶けるほど抱きつぶして、翌朝爽快に出勤していった。キッチンにはおそらく私への朝食を作り置きまでして。私の恋人はやっぱり体力おばけである。







よくよく考えれば、私はいったい誰に勝負を挑んでいるのだ。彼はとても優秀な凄腕潜入捜査官なのだ、私が敵うはずがない。そうと分かれば直談判だ。直接彼に私がやりたいと言えばいいのだ。私たちは恋人同士なのだからコミュニケーションを取ることは必要だし、こういう提案はマンネリ防止にも悪いことではないはずだ。


「ははあ、なるほど。それで最近あんなに可愛いことを。」


至極真剣に「たまには私にも好きなようにさせてほしい」と言ってみたら、彼の反応はこれだった。
とりあえず断固拒否をされなかっただけマシなのかもしれないが、即OKの返事も貰えていない。


「なんで急にそんなことを?」

「だ、だっていつも零が全部やってくれてて…なんていうか、私だって零のこと気持ちよくしたいの。私のちからで。」


だって好きだから。
そういえば、ぱちりと目を丸くした彼は困ったように笑った。めちゃくちゃ綺麗な顔なので、それを見ていた私の心臓はぎゅうっと潰れた。死にそう。


「十分気持ちいいよ。じゃないとこんな頻繁に誘わないだろ。」


よしよしと頭を撫でながら、ソファで隣に座っている体勢からちゅっと頬に口づけられる。


「〜っれい!そうやってごまかそうとしてるでしょ!」


ベシンと叩いた手を、そのままぎゅっと握りこまれる。何をやってもこうやって物理的には敵わないのだ。頼み込んで、許可を貰うしかない。


「ん〜、俺はこうやって名前を自分の手でぐずぐずにするのが好きなんだけど。」

「でも、…っ、私だって零が私の手で気持ち良くなってるのが見たいの…!お願い!」

「…すごい口説き文句だな、それ。」


抱きついた状態でうーんと考えるようにしぐさを見せる彼は、抱きこまれているせいで表情は見えない。
もし本当にされるのがいやだというのなら、嫌な思いをさせてまで強行するつもりはこちらも無いので、そろそろ引き時なのだろうかと考えたその時だった。


「ま、いいか。じゃあ今日はやってみて?」


しょうがないな、という表情はさして嫌そうでもなく、嬉しくなった私は「うんっ!」と勢いよく返事をして、彼のまぶたにキスをした。やっとこの日がやってきたのだ。覚悟しろよ降谷零!





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