キングの遊び

経験豊富ではないにしろ、それなりに恋愛はしてきたほうだ。付き合うならどんなタイプがいいか、どんな見た目に惹かれるか、なんて自分の傾向は概ね把握している。

断言できるのは、わたしは人当たりが良く、面倒見のいい男性に惹かれるらしいということ。ナイトレイブンカレッジの人間は一癖ある者ばかりだから、ほとんどの人間が恋愛対象にならないのだけど、”強いて”いうならばトレイ先輩みたいな人がタイプだと言えるだろう。強引ではないけれど、程よくリードしてくれそうな感じも好きだ。正直、この世界に来て一番最初に素敵だと思った男性もトレイ先輩だった。けれど、別にわたしは彼のことを恋愛対象として見ているわけではない。異性としてタイプな人間が、強いていうならばトレイ先輩、というだけだ。だから本当のところ、この学園にわたしが心からタイプだといえる異性はどこにもいない。

+++

その日の合同授業はわたしの苦手な錬金術の授業だった。3年生と一緒らしく、先輩方のサポートを受けながら魔法薬の生成を進めていくことになる。ペアはどうやって決めるのだろうと思っていると、クルーウェル先生が生徒たちの間を練り歩きはじめた。そうして手にした教鞭で一人ひとり生徒をさし、勝手に実験のペアを命じた。わたしはてっきりそばにいたルーク先輩とペアになるのだとばかり思っていたのだけど、結果的にレオナ先輩とペアを組むことになった。といっても彼の姿が見当たらないので辺りを見渡すと、レオナ先輩は後方で気だるげに窓の外を見ていた。
「仔犬、お前の相手はキングスカラーだ」
先生の命令を無視したわけではないのだけれど、わたしがいつまで経ってもレオナ先輩のもとへ行こうとしないから、クルーウェル先生がもう一度そう言った。

「手順通り作ればそう失敗することのねぇ魔法薬だ。だから勝手にやってくれ」
そう言ってレオナ先輩は近くの棚に寄り掛かり、大あくびをした。完全に傍観の姿勢だ。しかし、それではわたしが困ってしまう。わたしは魔法薬作りのちょうどいい”塩梅”というのが分からなかった。
たとえば、「軽く混ぜる」という指示があると、その撹拌スピードがどれくらいなのだろうと迷ってしまうし、「数秒置く」という指示では、それが5秒なのか10秒なのかと大いに頭を悩ませてしまう。「色が変わってきたら」「泡が出て来たら」といった指示も同様で、いまいち自分の判断に自信が持てず、結果的に時間を置きすぎてしまったり、肝心な変化を見逃してしまったりして、魔法薬作りは失敗に終わってしまうのだ。

だから本当なら、レオナ先輩のような放置型の相方ではなく、手取り足取り丁寧に教えてくれる人とペアになりたかった。しかし、今さらペアの相手を変えてくれなんて言えるわけもない。わたしは覚悟を決めて、まず一番最初に投入すべき魔法薬の小瓶を手に取った。少々強く押し込みすぎなのではないか、と思えるほど瓶口に身を沈めたコルク栓をどうにか引き抜くと、匙の上にゆっくりと瓶を傾ける。カタカタと自分の手が細かく震えるため、上手く匙に狙いを定めることができず、ポタポタと薬液が垂れた。ふぅん、とレオナ先輩が唸る声が聞こえ、チラリと視線を上げると眉間に皺が寄っていた。
その怖い顔を視界から追い出し、わたしは再び魔法薬を匙の上に垂らす。どうにか指示通りの容量の薬液を垂らすことができ、それをいざ窯の中に入れようと思ったところで、わたしは手を止めた。…あれ?これ、何か違う気がする。

はぁ、と今度ははっきりと溜息が聞こえた。恐る恐る、首だけをそちらに向けると、レオナ先輩が組んでいた腕をほどくところだった。
「気づいたか?その魔法薬を窯にぶち込むのは残念ながらもっとあとだ」
それから窯のそばにあった毒々しい色の薬草を手に取る。
「まずはこいつをすり潰して粘液を抽出しろって言われなかったか?ま、お前のその耳が飾りだって言うなら納得できるがな」
わたしはすっかり頭が真っ白になってしまった。貴重な魔法薬だから分量を間違えるなと、しきりにクルーウェル先生が言っていたものだから、頭がその魔法薬のことでいっぱいになってしまったのだろう。だからいの一番にこの小瓶を手に取ってしまったのだ。

どうすることもできず、固まったままのわたしを見て、「ったく、情けねぇ草食動物なこった」とレオナ先輩は鼻で笑う。
「この俺に実験を手伝わせるとはなぁ…本当図々しい奴だぜ」
それからレオナ先輩はマジカルペンを引き抜くと、薬草に向かってペン先を振った。すると、薬草たちが吸い込まれるようにすり鉢に飛び込む。そして、ゴリゴリと音を立てながら大人しくすりこ木にすり潰されてゆく。すり潰された薬草が発する独特のにおいに顔をしかめながら、再びレオナ先輩がマジカルペンを振る。ペースト状になった薬草たちが、麻布のような小さな袋の中に吸い込まれていく。
「おい、お湯沸かせ」
突然指示を出され、我に返る。慌ててそばにあったフラスコに水を注ぎ、三脚台の上に乗せた。使い方がよく分からないランプを手にもたもたしていると、レオナ先輩に舌打ちをされる。「さっさと置け」という素っ気ない指示に従って、それをフラスコの下に置いた瞬間、大きな火が灯った。突然現れた炎に驚いたわたしは、体をのけぞらせ後ずさりする。しかも足元など見ていなかったものだから、気づいたときには足がもつれていて、そのまま無様に尻餅をついてしまった。

「……っは」
押し殺したような笑いがレオナ先輩の口から洩れ、やがてそれは大笑いに変わった。口の端から獣人らしい尖った犬歯が覗き、ああこの人もこんな風に笑うんだな…なんて思うよりも先に腹が立ってくる。仏頂面になったわたしを見て、失礼極まりない第二王子はすぐさま笑いを引っ込め、かわりにその長い手をこちらに差し出した。黙ってその手を取ると、わざとらしいほど丁寧な仕草でわたしを引っ張り上げてくれる。
「悪いな、お前の反応があまりに面白ぇから」
「ええ、どうも」
レオナ先輩はわたしを見下ろしながら片眉を上げ、それからくるりと体を反転させて実験机に向き直った。
「じゃ、続きだ」
そう言ってわたしに再び指示を出し、実験を再開させた。

…とはいえ、わたしにできることは限られている。ものぐさなレオナ先輩がほとんどの作業を魔法を使って済ませてしまったので、わたしは独りでに動いてゆく実験器具や、撹拌されて色が変わってゆく魔法薬を、しげしげと眺める役に徹した。しかし彼は、実験における大事な工程をわたしにやらせたがった。たとえば、絶対に投入量を間違ってはいけない魔法薬や、粘り気があって測り方が難しい薬液を投じる役目などは、絶対にわたしにやらせた。またそれらの役目に奮闘しているとき、レオナ先輩は実に楽しそうにわたしを眺めているのだった。

***

「グッボーイ」
クルーウェル先生のその一言に、溜息が漏れた。安堵の溜息だ。そのあと先生にぐしゃりと頭を撫でられ、思わず口角が上がる。わたしが錬金術の授業で「グッボーイ」と言われたことは”ほぼない”。だから、ほとんどがレオナ先輩の力によるものとはいえ、魔法薬の出来に高評価をもらえたことに喜びを隠しきれなかった。一方レオナ先輩はというと「キングスカラー、お前もよくサポートしてやった」と先生から声をかけられても、ふん、と鼻を鳴らすだけだった。

そんな錬金術の授業の最後は、完成した魔法薬を分厚い薬瓶に移し替えて終了だった。ロートを使いつつ慎重にそれを移し終え、瓶に栓をしようとしたところで、突然こちらに手が伸びてきた。驚いて顔を上げると、にやにや笑いを浮かべたレオナ先輩がいるではないか。
「おい、草食動物。その魔法薬、ちょっと嗅いでみろ」
「え?」
「実はその薬、俺ら獣人には甘ったるくてたまんねぇ匂いがしてるんだが…。お前らにとっちゃどうなんだか、気になってな」
「でも、この薬は無臭だってクルーウェル先生が…」
「それがよぉく鼻を近づけると、微かに香るんだよ。そうだな、例えるなら…カスタードプリンみてぇな微かに甘い匂いだな」
カスタードプリン、という言葉を聞いて、無意識に唾を飲み込む。それは授業終わりを迎えた今がちょうどお昼時だったからだろう。空腹の頭に響いたカスタードプリンという魅力的な言葉と、好奇心に後押しされ、わたしは恐る恐る瓶に鼻を近づけた。

「やっぱり匂いなんてしませんよ」
「馬鹿、それじゃ遠い。もっと鼻を近づけろ」
「え、うわっ」
レオナ先輩がグイとわたしの頭を押し、顔面と瓶の距離が急速に縮まる。そうして瓶の口と、わたしの唇が接触した。瓶口についていた魔法薬が唇に触れ、その瞬間、ふわりと甘い香りが鼻を抜けた。レオナ先輩が言っていたことは嘘ではなかったんだ、そう思うと同時に、わたしの舌はいやしくもその魔法薬を舐めとっていた。それはひとえに、昼食前の激しい空腹から来る無意識の行為であり、こうして舐めとってしまうことはもはや不可抗力だった。


正直、カスタードプリンというのは言い過ぎだと思ったけれど、たしかに”甘い匂いがする”というのは嘘ではなかった。ひとつ情報が異なったのは、その匂いが体に触れて初めて発せられるものだということだ。しかも薬液自体には甘さがなく、むしろ酸味をはらんだ非常におかしな味だった。わたしが黙って顔をしかめていると、レオナ先輩は本日2度目の大笑いを見せた。わたしは薬液の不快感と、笑われたことによる不愉快さが相まって、できるだけ彼を軽蔑した目で睨みつけた。

「お前って奴は本当に面白いな、見ていて飽きねぇぜ」
「あなたのことを楽しませる気なんてひとつもありませんけどね」
いやにハッキリとした言葉が自分の口から出て、少し戸惑う。
「ああそうかい。で、今どんな気分だ?」
「非常に不愉快です、あなたが大口を開けて笑うから」
何かがおかしい、と思っていると、レオナ先輩が満足げに口の端を吊り上げた。
「魔法耐性のない奴にゃ、ひと舐めでこの効力ってわけか」
「すみません、もうこの薬提出してきていいですか」
小さな瓶の口に栓をし、提出先である背の高い棚へ向かおうとすると、大きな手で行く手を阻まれる。
「俺が提出してきてやる」
「あ、別にいいです。そんならしくないこと、しないでください」
その鬱陶しい手を片手で払おうとすると、大きな手は逆にわたしの手首を掴み、乱暴に自身の方へ引き寄せた。

「ふぅん、つまりいつものお前は猫をかぶってるってことか」
「ちょっと、これ以上絡まないでくれます?失礼な態度ばかり取ってくるんで、レオナ先輩って正直苦手なんですよね」
わたしの口は止まらない。思ったことがそのまま言葉となってまろびでる様は、一種の気持ち良さがあり、わたしはどんどんお喋りになっていった。
「本当ならルーク先輩みたいな、丁寧にエスコートしてくれる人とペアになりたかったですね」
「ほう、お前はあの変人がお好みか」
「ええ。だってあの人なら、あなたみたいな意地悪なことはしませんし、もっと楽しく実験ができたでしょうから」
そう言ってからわたしは我に返る。なんだか自分が喋りすぎている気がするからだ。しかし、もはや自分の力でこのお喋りを止めることはできなくなっていた。

「レオナ先輩って顔だけはいいですけど、それ以外が最悪。女性を敬う王国出身が嘘なんじゃないかって思えるくらい」
「じゃあお前はあの変人みたいに、四六時中愛のポエムを捧げられるような、そんなお嬢ちゃん扱いを受けてぇってことか」
「そういうことじゃないですけど…そうですね。それを言うなら、トレイ先輩がいい。あの人が一番ちょうどいいです」
「あぁ?」
わたしは背中に汗をかいていた。トレイ先輩の名前を出してしまったことで、いよいよマズいと思った。
「だってトレイ先輩って素敵じゃないですか。柔和な雰囲気で人当たりもいい」
これ以上レオナ先輩を煽りたくない、それなのにわたしは止まれなかった。
「さりげなくサポートしてくれる面倒見のよさといったら、レオナ先輩と大違い。トレイ先輩の方が断然、王子のよう…な……」
いつの間にか魔法薬の入った薬瓶を取り上げられていた。その瓶をわたしの目線まで掲げ、揺らしているレオナ先輩。その目は細められてはいたが、決して笑ってはいない。そしてわたしは薬瓶のラベルから目が離せなくなった。

「…で、言い残すことはねぇか?」
「いえ、あの、これって仕方がないです、よね?だって魔法薬の効能だもの…」
「あれだけペラペラ喋れるってことは、随分上等な魔法薬が出来上がったってことだな」
それからレオナ先輩は急に眉をひそめ、神妙な顔でわたしの顔を覗く。
「こんな簡易的な自白薬を舐めただけで、あんな風になっちまうお前が俺は心配だよ」
「な、何言ってるんですか。…じゃなくて、ごめんなさい。失礼なことを言ったのは謝りますから、今日のことはもう忘れてください」
「馬鹿、忘れられるわけがねぇだろ。お前を悲しませた事実をなかったことにはできねぇ、だから…」
そう言ってレオナ先輩は突然その場にひざまずく。真っ白な白衣が堅い床に触れることも厭わず、優雅な動作で片膝をついた。

レオナ先輩は一体どうしてしまったんだ、頭がおかしくなったのか。ギョッとして今すぐ逃げ出したかったが、その前に先輩に左手を取られてしまう。その所作は少女漫画に出てくるような”王子様”そのもので、わたしはこのまま左手の薬指に指輪をはめられてしまうのではないか、という錯覚さえ覚えた。
「なぁ、ナマエ。お前を悲しませたこと、本当に悪かったと思っている、この通りだ」
レオナ先輩はそう言ってゆっくりとわたしの左手を、自身の口元へと持っていく。わたしは石像のように固まり、されるがままだったが、全身の毛穴から汗が吹き出しそうなほど血液が沸騰していたし、状況が飲み込めないがあまりにちょっと泣きそうだった。すべてがスローモーションのようで、レオナ先輩の唇に近づく憐れな自分の左手から目をそらし、その代わりレオナ先輩の長いまつ毛の一本一本を数えていた。


鈍い痛みが走っていることに気づき、わたしは左手に視線を戻す。レオナ先輩の顔がゆっくりと離れ、人差し指の中ほどにくっきりと歯形のついた左手だけがその場に残された。
「どうだ?ちょっとはお嬢ちゃん気分を味わえたか」
鋭い犬歯の見える笑みを浮かべたレオナ先輩が、わたしを見下ろす。
つまりわたしは…レオナ先輩に”オモチャにされた”ということらしい。でも、ある意味それでよかった。あのまま手の甲にキスなんてされていたら、いろんな意味で大変なことになっていただろうから。

わたしは歯形のついた自分の左手を一瞥したあと、なるべく憎たらしい笑みをレオナ先輩に向ける。
「ありがとうございます、おかげでとってもドキドキしました」
「そりゃあよかった。お望みとあらば、いつだって”ヤッてやる”よ」
そうして歯をカチリと鳴らすレオナ先輩はやっぱり顔だけがいい、性悪な先輩としか思えなかった。わたしは再び仏頂面を張りつけ、実験机に放置された薬瓶を取り返し、それを提出先の棚へと持って行った。ひとつ溜息をついて振り返ると、わたしたちが実験していた机のそばに、もうレオナ先輩はいなかった。チラリと左手を見ると、例の歯型は先ほどよりも少し薄くなっている。わたしはその歯形を右手でこすりながら机に戻り、教科書やプリントを抱えて実験室を後にした。


拍手