この「鍵」がドアを解錠するものでなければ、お先真っ暗だ。一縷の望みをかけて鍵穴にそれをさす。……けれど、わたしはどこかで諦めていた。あの双子たちがそう簡単にわたしを外に出すはずがない。だから、この鍵がドアのものなわけない、と。
予想通り、鍵は右にも左にも回らなかった。つまりこの鍵では脱出できない。あまりの落胆に、わたしはその場に座り込んでしまう。制限時間は残り10分を切っている。水攻めに遭うのも時間の問題だ。しかしもう気力がない。そうして、膝を抱えてうずくまろうとしたそのとき、目の前にもう一つ鍵穴があることに気づいた。
ドアにもう一つ、しかも、しゃがまなければ分からないほど低い場所に鍵穴があるなんて気づくわけがない。わたしは体が沸騰するほど興奮した。何度か鍵を取り落としながらも、震える手で鍵穴に鍵をさす。カチャリと音がした。
しかし、ドアは開かない。
不安に思い、そわそわと辺りを見渡していると、”ガシャン”と派手な音を立てて背後に何かが落ちてきた。今度は何なんだと半ば憤慨しながら振り返ると、そこには大小さまざまな鍵が一つにまとめられた鍵束があった。そして、その鍵の一本に歪んだ文字でこう書いてある。「正解を探せ」と―――。
パッと見たところ、その鍵の数は30…いや、40本以上はありそうだ。これをドアの上部にある鍵穴(最初に鍵をさしたときに、反応のなかった鍵穴)に一本一本さし、正解の鍵を見つけろというのか。
もうすべてを投げ出したくなった。しかし、微かに聞こえてきた”水音”にすぐに考えを改める。
「ダメだ、やるだけやらなきゃ…」
わたしはひったくるように鍵束を掴み、立ち上がった。同時に、足元にじわじわと水が染み出していることに目をとめる。制限時間の1時間を過ぎ、ついに”水攻め”がはじまったようだ。
ズシリと重い鍵束を持ちながら一本ずつ丁寧に鍵をさしていくのは、大変骨が折れる作業だった。しかも、水に侵食される部屋の中で行なう作業は、知らず知らずのうちに焦りと恐怖を生む。
冷たい水はわたしの膝辺りにまで来ていた。わたしはつとめて冷静に、事務的に鍵穴に鍵をさすが、いまだに「正解」の鍵に当たらない。腕がだるくなり、時折鍵束を持つ手を降ろしてしまうが、そんな様子をフロイド先輩が笑いながら見ているのだと思うと悔しくて、再び鍵穴に鍵を入れる。
水が腹辺りにまで到達した時点で、もうダメかもしれないと思った。40以上もある鍵の確認は、まだ半分も終わっていない。そのうえ微かに水流が発生しているのか、たまに体が揺れ、作業のしづらさを覚える。
水が胸辺りにまで到達すると、逆に意地でも鍵を開けてやると躍起になった。しかし、時々水流に足を取られて上手く鍵をさせない。イライラするうえに、体力を奪われる。
水が首辺りにまで到達してからは、鍵をさすたびに水中に潜らなければいけなくなる。それでも正解の鍵は見つからなかった。やっと鍵束の半分、折り返し地点まで来たというのに…。
水が顎まで到達し、とうとうつま先立ちで顔を上に向かせないと息ができなくなった。いよいよ作業ができなくなる。そもそも、彼らは本当に正解の鍵を用意していたのだろうか。そんな疑念を抱きながら、わたしはプカプカと浮かぶ木箱に掴まりながら呼吸を確保した。
―――ついに床から足が離れてしまった。水に体を持ち上げられ、天井がすぐ近くにある。鳥肌が立つ。
このままじゃ、死ぬ。
すると、これ見よがしに何かがこちらに流れ着いた。手に取ると、それは随分前に謎解きで手に入れた水薬の瓶…『息がしたいときに飲む』と書いてある水薬だった。フロイド先輩が魔法を使ってこれをわたしのもとに送って来たに違いない。
もしや、脱出ゲームというのは口実で、ただこの薬を飲ませたかっただけなんじゃないか?ふとそんなことを考える。であれば、この薬は絶対に飲むわけにはいかない。リーチ兄弟が用意した薬なんて、ろくなものじゃないはずだ。
きっと水中でいくらか我慢すれば、すぐに魔法を解いてくれるはず。脱出できなかったからって、そのまま水の中で見殺しにするわけないだろう。そんな希望的観測を胸に抱いたのち、一寸の隙間もなく水がすべてを覆いつくした。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
楽天的な考えを抱いていた数秒前までの自分を呪いたくなる。
10秒、20秒と経っても助けは来ないし、水かさが減るような予兆もない。息苦しさと恐怖に心拍数が上がり、焦って息を吐いてしまう。貴重な酸素は水泡になって消え、わたしはますます苦しくなった。
無駄だと分かっているのに、わたしは窓ガラスを強く叩いた。誰か気づいて、助けて。もちろん、こんな小屋に気づく人間などいないし、窓ガラスが割れて脱出できることもない。
脳が痺れていくみたいだ。体がひどくだるい。窓を叩く手にも力が入らなくなる。「あ、これは本当に死ぬ」と頭の片隅で思った。ああ、何て酷いゲームに巻き込まれてしまったんだ。ウツボの兄弟にいたずらに殺される人生なんて、あんまりじゃないか。わたしは知らぬ間に瞼を閉じ、意識を手放そうとしていた。
グイ、と手を引かれ、その衝撃で目を覚ます。
「何で飲まねーの」
水中だというのに、はっきりと声が聞こえた。顔を上げると、人魚姿のフロイド先輩がいた。いつにも増して体が大きい、というより長い。彼はものすごく苛立った様子で、突然わたしの口に手を突っ込んだ。
「ガッ……ング」
口の中に水が入り込み苦しい。フロイド先輩はそうして無理矢理こじ開けたわたしの口に、瓶の口を当てた。
「ちゃんと飲めよ」
水と一緒に、酸っぱくて苦い液体が喉の奥に流れ込んでくる。『息がしたいときに飲む』と書いてあった水薬だ。それを無理矢理わたしに飲ませている。
薬をすべて飲ませると、フロイド先輩はわたしの背後に回って口を塞いだ。吐かせないつもりらしい。
「ナマエチャン、5秒数えて。いーち、にーい……」
今はそんなことしている場合じゃないだろう、と苦しさのあまりに涙が出る。けれど、そんな涙は周りの水に溶けて消えた。
「さーん、しーい……」
間の抜けたフロイド先輩の声が続く。
「ごぉ」
その瞬間、彼はパッと手を離す。そして、その長い体をわたしに巻きつかせるようにして顔を覗いた。なぜだか嬉しそうにニコニコしている。
「どぉ?もう苦しくないでしょ?」
その言葉に一瞬イラッとする。わたしは人魚じゃないんだから、水中では苦しいに決まっているだろうと、そう言い返したくなったところで、はたと気づいた。普通に呼吸ができている、と。
「もー、ナマエチャン薬飲まねーからめっちゃ焦ったぁ。せっかくアズールに用意してもらったのにさー」
どうやらあの薬は、文字通りの効能を発揮する薬だったらしい。たしかに素直に飲んでいれば、こんなに苦しい思いをせずに済んだのだろう。しかし、魔法を使えない普通の人間を水で満たした部屋に閉じ込める、そんな鬼畜なことをする人間に提供された薬を誰が素直に飲めるだろうか…?
「脱出ゲーム難しかった?今回はナマエチャンの負けだね」
フロイド先輩は水中でゆらめくわたしの髪を指で弄びながら、鋭い歯を見せて笑った。
「でもぉ…苦しそうなナマエチャン、可愛かったなぁ」
そう言って、水で浮き上がるわたしの制服の下に手を入れようとするので、慌ててその手を掴む。
「も、もう勝敗はついたんですから、部屋から出してください!」
「えーなんでぇ?もっと楽しもうよぉ」
「嫌です、出してください、もう嫌なんです!」
もがくように何度も体を捻ると、フロイド先輩は不機嫌そうな顔つきになる。それから大人しくわたしを解放し、マジカルペンを振って部屋から水を引かせた。しかし水が引いていく中、どさくさに紛れて再び制服の中に手を入れられた。そのとき、チクリと痛みが走ったので慌ててフロイド先輩を睨むも、彼はそしらぬ顔でニヤニヤしているだけだった。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
フロイド先輩が魔法を使って雑に服や髪を乾かしてくれたけれど、体が冷えて仕方がなかった。だから、寮につくとすぐにバスタブに湯を張り、入浴することにした。さっさと服を脱ぎ、バスタブに足を入れかけたところで、大きな鏡に映る自分の体に違和感を覚える。鏡に近寄りよく見てみると、右の腰部分に小さなひっかき傷があった。出血はしていないものの、生々しい出来立ての傷のように思える。
この傷の正体はすぐに分かった。これはフロイド先輩がつけたものに違いない。あの水浸しの部屋で最後、引っかかれたような痛みを感じたのだ。人魚姿のときのフロイド先輩の爪は鋭いから、簡単に傷をつけられるのだろう。
わたしは大きく溜息をつきながらじっくりと傷を眺めてギョッとする。同時に変な汗が出る。
「なんで、こんな……」
鏡に映る傷の形は、歪な”ハートマーク”を描いている。何を思ってこんな形の傷をつけたのか…その理由は考えたくもなかった。
☞拍手☜