わたしは今までにないくらい焦りまくっていた。とにかく学園内を走り回り、わたしの姿を丸ごと隠してくれるような場所を探す。もう30秒経ってしまったかもしれない……そう思って足がすくみそうになっていたところ、突然横から飛び出てきた手に後襟を掴まれ、わたしは空き教室に引きずり込まれた。
「やめ、やめてっ……だれ…っ」
「シッ……静かに。あなた、フロイドから隠れているんでしょう」
その落ち着いた声に恐る恐る顔を上げると、そこには双子の片割れ、ジェイド・リーチがいた。唇に人差し指をあて、穏やかな笑みを浮かべてわたしを見下ろしている。
「フロイドの遊びに付き合ってあげるなんて、あなた本当に人がいいですね」
「好きでやってるわけじゃない……」
「ならば、僕があなたを助けて差し上げましょうか?」
ジェイド先輩は相変わらずニコニコと微笑んでいる。だけど、その裏に何か企みが隠されているのは明らかだった。
「け、結構です」
「ですが、フロイドに追われて困っておられるんでしょう?」
「そう、ですけど……」
「だったら力になってあげましょう。僕、困っている人を放っておけないんです」
彼は自分の制服のポケットから薄いハンカチのようなものを取り出す。
「実は最近、ちょっと面白い実践魔法を習いましてね」
彼はその薄い布に向かってマジカルペンを振った。はたから見ると特段変化があったようには思えないが、彼はその布を広げると「今僕はこの布に一定時間姿を消せる魔法をかけました」と言った。
そんな夢みたいな魔法があるのか?と耳を疑う。けれど、「ほら」とジェイド先輩が自分の手にその布をかけると、たしかに彼の手元は消えてなくなった。
「あなたのような小柄な方ならば、この布で十分姿を隠せるでしょう。さぁ、どうしますか?」
ジェイド先輩はひらひらと布を揺らしながらわたしを見つめる。
正直、大変魅力的な提案だった。しかしそれと同時に後のことが怖い。
「でも、もちろんタダで…というわけではないんでしょう?」
「ふふ、察しがいいですね」
ジェイド先輩の唇の端から尖った歯が見えた。やっぱりフロイド先輩の双子の兄弟というだけあり、笑うと表情が似ている。
「あなたに力を貸して差し上げる。その代わり、今度あなたの時間を僕にくれませんか?」
「時間…?」
「ええ、時間です」
「時間なんてもらってどうするんです」
「どうするんでしょうねぇ」
そのはぐらかすような口調にわたしは段々焦れてくる。早くしないとフロイド先輩が来てしまうかもしれないのに。
「僕はあなたに興味があるんです。だから、時間を使ってあなたのことをもっと知りたい」
オッドアイの涼しげな目がわたしを捉えていた。ゾクリとして後ずさると、背中にドアがぶつかった。
そのとき、コツコツという足音が近づいてくるのを聞いた。その音をジェイド先輩も聞き取ったようで、「こっちへ」とわたしの手を引き、机の下に誘導する。そしてわたしの手に先ほどの布を握らせ「必要があればどうぞ」と意味深な笑みを浮かべた。
―――ガラッと乱暴な動作でドアが開く音がした。
「あれぇ、ジェイドじゃん。何してんの?」
自分の片割れを見つけた嬉しそうなフロイド先輩の声がする
「課題を片付けてしまおうと思って、教室に残ってたんですよ」
少しの動揺も見えない、いつもの調子のジェイド先輩。わたしは彼の足元で震えながらうずくまっていた。
「つーか、小エビちゃん見なかった?オレたち今、かくれんぼしてんだけどさー」
「フロイドが鬼というわけですね」
心臓がドキリとする。なぜ、わたしが”この教室にいない”と言ってくれないんだ。ジェイド先輩の言葉ならフロイド先輩も信じるだろうに。そんな苛立ちと焦る感じる中、はたと気づいた。
ジェイド先輩がそんな都合のいい言葉でサポートしてくれるはずがない。なぜなら彼はわたしにこの”布”を被らせたいのだから。むしろそのためにフロイド先輩を焚きつけるかもしれない。
わたしは改めて自分の手に握られている布を眺める。同じ時間を共にするのであれば、フロイド先輩よりジェイド先輩の方が、多少ましかもしれない。けれど、ジェイド先輩には底知れぬ恐ろしさがある。見えない残虐性や執着心を秘めていそうな、そんな恐ろしさだ。
「僕は彼女の姿を見ていませんが、念のためこの教室内も探してみたらどうです?」
案の定、ジェイド先輩は片割れをそそのかすようなことを言う。「んー」と言いながら、フロイド先輩が歩き回る音が聞こえた。わたしは無意識に布を強く握りしめていた。
足音がこちらに近づいてくる。どうしよう、被るしかないのかもしれない。そう思って布を頭の近くまで持って行ったところで、「げ、もうすぐ17時じゃん」とフロイド先輩が言った。
「ここにはいないっぽいから、ほかの場所探してくる」
「おやおや、タイムリミットは17時まで、というわけですか」
「そーだよぉ。あと1回見つけたらオレの勝ちなのに、小エビちゃん今回は本気出して隠れてんだから」
そんじゃねジェイド〜という気の抜けた挨拶をして、フロイド先輩は教室を出て行った。ドアが閉まる音を聞いた瞬間、止めていた息を一気に吐き出す。心臓がドクドクと脈を打ち、少し頭が痛い。
「意外と強情なんですね、あなた」
わたしの手から布を回収しながらジェイド先輩が言った。
「布を被らなかったのは少し残念ですが…どうやらあなたの勝ちのようですね。あと3分で17時です」
そして彼は、「それでは、残りの時間をごゆっくり」と言ってにっこりと微笑んだ。どうやらわたしを陥れることはもう諦めたらしい。わたしは抱えた膝に顔を埋めながら、その長いような短いような3分間を、ジェイド先輩の足元で過ごした。
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17時をまわった。
わたしはゆっくりと机の下から出る。立ち上がって腰を伸ばすと、ジェイド先輩がクスクス笑った。
「お疲れ様でした。帰りもお気をつけて」
その含みのある言い方が気になりつつも、軽く頭を下げてから出口のドアを開ける。
教室を出てすぐ人の気配を感じた。あっ、と思うときには右腕を掴まれており、ドアを閉める間もなく強い力で引っ張られていた。
「やーっぱりここだったじゃん」
フロイド先輩がふてくされたような顔でわたしを見下ろしている。
「ジェイドもジェイドだよなぁ。何かおかしいとは思ってたけど」
「あの、あ……17時に、なりましたよ」
不機嫌なフロイド先輩はいつもの何倍も怖かった。しかし、ゲームが終わったことに変わりはない。その事実を必死に伝えた。
「そーだね、じゃあ今回は小エビちゃんの勝ちでいいよぉ」
フロイド先輩は先ほどと打って変わって、目じりを下げた優しい笑みを浮かべた。けれど、その笑顔のままわたしに顔を寄せ、「ねぇ、もしかしてジェイドに手出された?」と尋ねる。
「…えっ、手?!いえ、別にそんな…」
「でもあいつ、小エビちゃんを助けたいとか何とか言ったんじゃないの?」
「それは、まあ、はい……」
「チッ。目ぇ離すと、すぐオレの小エビちゃんたぶらかすんだからなぁ」
フロイド先輩は憎々し気に言ったが、すぐにまた穏やかな表情に戻る。そして、「でも、ジェイドの口車に乗らなかったのは偉いじゃーん」と言ってわたしの頭を撫でた。コロコロと表情の変わるフロイド先輩に翻弄され、わたしは嬉しいんだか怖いんだか、よく分からなくなる。
「でもぉ」
不意打ちで手を引かれ、勢いよくフロイド先輩の腕の中に飛び込んでしまう。慌てて抜け出そうとするも、背中と腰には絞め上げるように彼の腕が巻きつき、身動きが取れなくなっていた。抱き締める、というより、抱き絞める…という表現の方が正しいだろう。愛情ではなく、恐怖に支配されていくハグだ。
「今度ジェイドの言葉につられたら、オレ本気で絞めちゃうかも」
口元は弧を描いているのに、目は全然笑っていない。わたしが返事をできないでいると、体がギュッとさらに絞めつけられた。途端に息苦しくなり、懸命に体をよじる。
「あんまりフラフラしないでよね、ナマエチャン」
その言葉の後、おでこに柔らかい温かさが触れ、離れていった。びっくりして顔を上げると、彼はギザギザの歯を見せて笑いながら「ね、ナマエチャン」ともう一度言った。
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