ひとひらのエデン

今日は快晴、真っ青な空がどこまでも続いている。
なんて、呑気な空。
見ているだけで頭が痛くなってくる。こういうポジティブな天気が一番わたしを憂鬱にさせる。この空が、わたしのもといた世界に繋がっているのだとしたら―――そう考えずにはいられなくて。

あと15分で午後の授業がはじまる。でも、こんなに鬱屈とした気持ちで授業を受ける気になんてなれない。教室に行かないと、グリムやエースたちが心配して探しに来るだろう。でも、今日はもうここから動きたくなかった。

わたしは運動場近くの木陰で、背中を丸めて寝転がっていた。目を瞑り、風が葉を揺らすそよそよという音だけを聞いている。
この世界に来てから数ヶ月。毎日必死に過ごしているうちに、あっという間に時間が流れてしまったけれど、最近は気持ちに余裕ができてきたせいか、”もとの世界”に想いを馳せる機会が増えた。

家族や友達は今どうしているだろうか。わたしのことを心配して捜索願いを出しているかもしれない。下手したらニュースに取り上げられたこともあるかも。いや、もしかしたらこの世界の魔法か何かが作用して、わたしのことなんてすっかり忘れている可能性もある。だとしたら、それはそれですごく悲しい。

「……」
目頭が熱くなり、喉の奥が痛くなった。グスッと鼻をすする。すると「クスッ」という笑い声が聞こえ、わたしは閉じていた目を開いた。


「そのまぁるい姿、まるで本物の小エビのようですね」
随分と上の方から声が聞こえる。自分の顔にかけていたハンカチを少しずらして視線を上げると、そこには巨人がいた。背後にある太陽のせいで逆光になっており、顔がよく見えない。けれど、その声がリーチ兄弟の片割れであることは分かった。
「いい休憩場所ですね、ご一緒しても?」
「……どうぞ」
彼はわたしの隣に腰を下ろす。その顔がはっきりと見えた。その人、ジェイド先輩は涼し気な目を細めにっこりとわたしに微笑む。

「浮かない顔をしていますね、何かお悩みごとが?」
「いえ、べつに」
「僕でよければ相談に乗りますよ」
「結構です」
わたしは反対側に寝返りを打ち、ジェイド先輩に背を向ける。
本来の自分だったらジェイド先輩が来た時点ですぐさま起き上がり、足を抱えて座るぐらいのことをしただろうが、今はそんな気力が微塵もなく、こんな間抜けな姿を見せるのにも抵抗がなかった。

きっとジェイド先輩には、わたしが”不貞腐れている”ように見えるだろう。でも、今さらどう思われてもよかった。ただ、彼の話相手になる気はさらさらなく、だからこうして背を向けて見せたのだった。

服の擦れる音が聞こえた。…と思ったあと、自分の体が独りでに動いていた。いや、これは独りでに、ではなく人為的だ。だってわたしの脇の下に、皮の手袋を身につけたジェイド先輩の手が入っているし、つまり彼はその巨人的な馬鹿力でわたしの体を自分の方へ引きずり寄せているのだ。

そうして、まるで荷物をちょっと手元に引き寄せるかのような気軽さでわたしを引きずったジェイド先輩は、そのまま自分の腿の上にわたしの頭を乗せさせた。
「………はぁ?」
気づけばそんな声が口をついていた。
「男に膝枕なんてされても、嬉しくもなんともないかもしれませんが…」
そう言ってジェイド先輩は、ふふふ、と笑った。

「なんなんですか、意気消沈しているわたしを見て母性にでも目覚めたんですか」
取り乱したように起き上がるのも癪だったから、彼の腿に頭を預けたままそんな嫌味を言ってみる。
「おや、ナマエさんは意気消沈しておられるんですか?」
「………してませんけど」
「それならよかった。では、ゆっくりお休みください」
ジェイド先輩はハンカチをわたしの目元に乗せると、自分は持参していた本を開いて読書をはじめたようだった。

わたしはジェイド先輩に憐れまれているのだろうか。だとしたら、ものすごくイライラする。こんな場所でこの人に憐れまれながら過ごすくらいなら、授業に出た方がマシだ。そう思って起き上がろうと思ったけれど、小さくも心地いいリズムが刻まれていることに気づき、手に込めた力をいったん解放する。

いつの間にかジェイド先輩の手はわたしの臍の上、みぞおち辺りに添えられていたらしい。その手が小さく一定のリズムでわたしの体を優しく叩いている。それはまるで、赤子を寝かしつけるときの仕草のようだ。
なに寝かしつけようとしてくれてるんだ、と再び苛立ちが沸き出すかと思ったが、意外にもわたしの心持ちは穏やかで、むしろリラックスしていた。だからと言って、自分がそのまま眠りに落ちるとは思っていなかったけれど……。


―――結局、たっぷり1時間はジェイド先輩の膝枕で寝てしまった。当然授業はサボってしまったし(ジェイド先輩は午後の授業がなかったようだけど)、寝起きのわたしと彼の間には妙な空気が漂っていた。言うなれば、”2人だけの秘密”を作ってしまったかのような、そんな空気だ。そしてジェイド先輩は去っていくとき、「よければ、いつでもお貸ししますからね」と言って自分の腿を叩いた。わたしは恥ずかしくて、黙って彼に頭を下げるしかなかった。

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それからは、校内ですれ違うことはあっても、あの木陰でのときのようにジェイド先輩と一緒に時間を過ごすことはなかった。もちろん、それで問題はないのだけれど……でも、わたしはあのときジェイド先輩の膝枕で寝たことをどうしても忘れられなかった。

なぜなら、この世界に来てからあんなに気持ちよく睡眠をとれたのは、初めてだったからだ。
あのときのジェイド先輩はとても不思議な空気を醸し出していた。いつもはその何を考えているのか分からない笑みを見ると、むしろ居心地が悪くなるのだけど。わたしを見つけて、自分のもとに引きずり寄せたあのときの彼は、少しの企みもないような、とても自然な感じだったのだ。

……そんなことを考えて、わたしは急に恥ずかしくなった。久々によい睡眠がとれた喜びで、ジェイド先輩を贔屓目に見ているだけかもしれない。それにジェイド先輩に膝枕をされて、寝かしつけれられたって…完全に子どもじゃないか。気づけばジェイド先輩のことばかり考えていた自分に喝を入れ、その日以降わたしの頭から彼を追い出すようにして過ごした。


それから何週間か過ぎた頃、わたしはまた雲一つない空にウンザリして、引き寄せられるように運動場付近の木の下へ向かっていた。しかし、その木陰にはすでに先客がおり、途中で足を止める。先客はわたしに気づくとにこりと笑みを浮かべ、その長い手を使って手招きした。

「そろそろあなたが来る頃ではないかと思っていました」
「……どういう意味ですか」
「最近、校内で見かけるあなたはとても疲れて見えたので」
このまま去るのも変な気がしたので、わたしは諦めてジェイド先輩の隣に腰を下ろす。しかし、彼は手にしていた本を閉じると、またわたしの脇の下に手を入れ自分の方へ引きずり寄せた。
「わっ!!な、なに、また……!!」
「僕の”ここ”が恋しくなって来たんでしょう?」
その含みのある言い方がものすごく嫌だったけど、力で勝てる相手ではないので、結局わたしの頭はジェイド先輩の腿の上に乗せられる。それからすぐに寝かしつけはじめようとするので、慌てて声を上げた。

「あの!これは一体…」
「どうかしましたか?」
「だからその、ジェイド先輩はなぜこんなことを…するのかな、って」
彼はわたしを見下ろしながら小首を傾げたあと、柔和な表情でこう答えた。
「僕はナマエさんの力になりたいだけですよ」
「……すごく嘘っぽいです」
「ふふ、鋭いですね」
ジェイド先輩はわたしに顔を近づけると、指でわたしの目元をなぞった。
「クマができていますね、よく眠れないんでしょう」
「……まあ」
「辛い顔をしているあなたを見たくない、だからあなたを助けて差し上げたい、というのは本心ですよ」
それから彼はニッと唇の端を吊り上げる。

「ただ一方で、男としてあなたに触れたいという欲望もある。僕は欲望を満たすために、あなたに触れる理由を自分から作る男ですよ」
「……馬鹿正直すぎやしませんか?」
「隠しているより正直に話したほうがあなたに嫌われない、そう思ったからお伝えしただけです」
少しの企みもない空気を勝手に感じとっていたのは勘違いで、持ち前の狡猾さはきちんと胸の内にあったということだ。それでも、変に下心を隠されたまま近づかれるよりはマシだと思ってしまった。

「さあ、遠慮なくゆっくり休んでください。僕は何時間でもあなたのお昼寝に付き合いますよ」
「随分とお優しいですね」
調子のいい言葉に水を差してみると、ジェイド先輩は相変わらず笑顔を浮かべたままこう言った。
「ええ、僕はあなたに好意を持っていただけるなら何でもしますよ」
この人、わたしに好意を持ってもらいたいのか、どこまで洗いざらい胸中を明かすんだ…と呆れていたのはほんの数分だけ。ジェイド先輩の刻む心地よいリズムに、わたしはいつの間にか瞼を閉じていた。

優しく髪の毛を撫でられたようで、体にじわりと幸福感が広がる。今後ジェイド先輩に好意を抱くかどうかは分からない。だけど、この時間、この空間がわたしにとってのささやかなエデンであることに間違いはなかった。

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※こちらは夢企画サイト「Bianca様」へ提出した作品になります。


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