「荷物をお持ちしましょうか?お嬢さん」
そう声をかけられたのが、わたしがジャミルと出会う最初のきっかけだった。2年も前のことなのに、あのときの衝撃を今も鮮明に覚えている。
あの日、わたしはお使いを終えて家に戻る途中だった。野菜や肉、調味料などが、はちきれんばかりに入った袋を両手に持って、体にまとわりつく熱気のこもった道を歩いていると、頭がぼうっとしてくる。
わたしの家は小ぢんまりとしたレストランを経営しており、わたしは小さい頃から店の手伝いをしていた。だから、お使いを頼まれるのも日々の仕事の一つだったが、今夜は宴会の予約が入っているということで、大量の買い出しを頼まれたのだ。
肉が腐らないようにと、袋の中に大量の氷が入っていることもあり、荷物はいつにも増して重かった。そして、ものすごく暑い。熱砂の国が暑いのは周知の事実だが、ここ数日は特に高温が続いていた。湿気のないカラッとした暑さというのが救いだが、それでも日差しを浴び続けていると、徐々に脳みそが茹で上がってしまいそうになる。
そうして一歩一歩交互に足を出し、ふらつきながら家路をたどっていると、あの低く落ち着いた声がわたしにかけられたのだ。
「荷物をお持ちしましょうか?お嬢さん」
突然耳元でそんな声が聞こえ、わたしは驚いて「わっ!!」と声を上げてしまう。すると、「…おっと、これは失礼」とクスクス笑いながら、褐色の肌をした男が背後から現れたのである。
彼の顔を見た瞬間、突然驚かすような真似をした彼を叱ってやろうという気持ちは、すぐに消え去った。相手はちょっとギョッとするような美男子だった。美しく編み込まれた長い髪と、切れ長の目がたまらない色気を放っているが、しなやかで美しく筋肉のついた腕からは男らしさを感じる。
あ、わたしが関わっちゃいけないタイプの人間だ、と思った。
わたしみたいな何のとりえもない、実家の手伝いをしているだけの女なんかに、一生縁のない人だ。だからわたしは早口で「いえ、大丈夫です」と言い、止まった足を再び動かそうとした。けれど、なぜか突然右手が軽くなり、バランスを崩してしまいそうになる。そんなわたしの体を支えながら、彼は「お持ちしますよ、行き先はどちらで?」と言った。
結局彼はわたしの両手の荷物を一人で持ち、うちまで運んでくれた。正直、あの年季の入ったレストランをこんな美しい人に見られるのは嫌だったけれど、あまりの暑さで判断能力を失ったわたしは、彼の厚意に甘えてしまった。
彼は店の中まで荷物を運んでくれて、あまつさえわたしの両親に挨拶までしてくれた。そこで初めて、彼が「ジャミル・バイパー」という名だというのを知った。
荷物を運んでくれたお礼をしたい、と彼を引き留める両親をなだめつつ、わたしは店先まで彼を送る。すると彼が「紙とペンを貸してほしい」と言うので持っていくと、さらさらと何かを書いてわたしに渡した。そこには、やや斜め気味の走り書きで、彼の名と連絡先が書かれていた。
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―――これが、わたしとジャミルの出会い。当時のわたしは19歳、彼は17歳だった。あまりに大人っぽいので年上だと思っていたのだが、のちに年下であると判明して驚愕した覚えがある。
正直、荷物を運んでくれただけの人と知り合いになるのは抵抗があったし、からかわれているんじゃないかと不愉快な気持ちさえしていた。だけど、スマホを通して連絡をくれるジャミルにはそんな軟派な様子が少しもなく、むしろいつも丁寧な姿勢でわたしに接してくれていた。
彼は寮生活をする学生だったので、熱砂の国に帰ってくることはほとんどないらしい。(荷物を運んでくれたあのときは、たまたま用事があって戻って来たのだそうだ)だから、二度目にわたしたちが顔を合わせたのは約半年後の冬…ホリデーの時期だった。
このときの彼は、スマートにわたしをエスコートしながらデートに連れていってくれた。わたしは年下の美男子とデートしている自分に戸惑い、恐縮し、またジャミルが何をしたいのかよく分らず少し困っていた。ただ、彼は女性のいない男子高に通っているとのことだったので、手近な場所で捕まえたわたしに興味があるんだろうと踏んでいた。
しかし、ホリデーが終わり学校に戻ってからも、ジャミルは変わらずまめに連絡をくれた。”会いたい”、”声が聞きたい”と言ってくれるようになった。わたしがプレゼントしたものを大切にしてくれていたり、わたしの手紙や写真を欲しがるようになった。
そうして彼と知り合ってから1年が経った頃、わたしは思った。もしかしたら彼は『本気』なのかもしれない、と。
二度目の冬、つまりジャミルと知り合って1年半の月日が流れた頃、わたしは彼に告白された。学校を卒業したら、正式に付き合ってほしいと言われたのだ。わたしが返事に困っていると「年下は嫌か」と怒ったような顔で言われた。ジャミルは自分が年下であることを随分気にしているみたいで、ときどきそんな風に拗ねた顔をする。結局、返事は半年後でいいと言われたし、わたしに告白をしてからも、ジャミルは今まで通り連絡をくれるのだった。
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そして現在―――とめどなく汗が流れるこの夏の日に、わたしはまた大量の食材が入った袋を両手に持ち、家路をたどっている。今回も夜の宴会に向けて、大量の買い出しを任されたのだ。今日は生ものが少ないだけマシだけど、ちょっと日陰に入って休みたくなるほど暑かった。
そういえば、ジャミルに初めて会ったのもこんな日だったな。そんなことを思いながら、真っ青な空を見上げる。彼は数日前、学校を卒業したらしい。しかも首席で。やっぱり優秀な人だったんだなぁと素直に感心してしまった。
そうか、ジャミルが学校を卒業した。ということは、そろそろ………
「荷物をお持ちしましょうか?お嬢さん」
突然耳元でそんな声がした。けれど、今回は驚いて声を上げたりはしなかった。振り返ると少し首を傾けたジャミルがいる。口元を緩め小さく微笑むと、わたしの両手から荷物をとった。
「帰ってたんだね」
「ああ、昨日こっちについたばかりだ」
行き先を言わなくとも、ジャミルの足はわたしの家に向かっている。
「そうだ、卒業おめでとう。首席で卒業だなんてすごいね」
わたしが言うと、ジャミルは少し照れた様子で「ありがとう」とだけ言った。
「わたしは一番になったことがないからなぁ、ジャミルは本当にすごい」
つい本心が口から漏れ出ると、彼はなぜか黙ってしまう。もしかして嫌味に聞こえたのだろうかと、横目でチラと彼の顔を伺うと、ジャミルは急に足を止めた。
「俺は大事な用事があって、ここに戻ってきた。
……半年前のこと、もちろん覚えているよな?ナマエ」
わたしが言葉に詰まっていると、ジャミルが手を引いて近くの木陰まで連れていってくれる。木陰の中はひんやりとしていて気持ちがいい。しかし、太陽に焼かれた肌の熱さは、なかなかとれなかった。
「君の返事を聞かせてほしい」
ジャミルは真剣な顔でそう言った。
わたしの返事は決まっていた。でも迷っていた。ジャミルは、本当にわたしでいいのか、と。
「あの、わたし、ジャミルのことは好きだよ」
「……ああ」
「だけど、いいのかな。わたしとジャミル、いろんな意味で釣り合っていないような気が…していて」
すると、ジャミルは思いきり眉を寄せた。
「どういうことだ?俺が、」
「年下だから、ということじゃなくて。その、わたしはジャミルを魅力的だと思う。だけど、わたしは…すごく美人なわけでも、頭がいいわけでもなく…」
彼はますます眉間に皺を刻むと、突然持っていた買い物袋を木の幹にかけた。そして、空いた手でわたしの左手を取る。
「ナマエ、半年前のことは訂正する」
「……えっ」
「付き合ってほしい、じゃない」
ジャミルはポケットの中から何かを取り出し、それをわたしの左手薬指にはめた。
「俺と結婚してくれ、ナマエ」
わたしの薬指には、深いブルーのサファイアがついた美しい指輪が輝いていた。
「さっき君は、一番になったことがないと言ったな」
「……はい」
「君は俺にとって一番の女性だ。それも、出会ったときからずっと、な。そうでなければ、出会ったその日に連絡先を渡すわけがないだろう」
腕を組み、呆れ顔で話すジャミルは、ちょっと怒っているようだった。恐らく、この場でプロポーズするのは予定外だったのだろう。
「……さぁ、返事を聞かせてくれ」
ジャミルは、左手の薬指に釘づけになっているわたしの顎を持ち、自分に向かせた。この美しく聡明な人が、わたしを妻にしたいと言っている。一番だと言ってくれている。こんなに嬉しいことって、ほかにあるだろうか。わたしは小さく息を吸って、口を開く。
「あ…あなたの妻に、なりたい」
………ああ、またやってしまった。
たぶんここは、「よろしくお願いします」と言うべきところだったはずだ。でも、心がずっとフワフワして、口も回らなくて、結局”妻になりたい”という願望めいた言葉が出てきてしまった。
すると、険しい顔をしていたジャミルが我慢できなかったかのように吹き出した。そして、わたしを優しく抱き寄せ「一生かけて君を愛す」と言うと、ごく自然な動作で唇を重ねた。あまりにスマートな動作だったので、それがキスであると自覚するのにやや時間がかかる。冷めてきたはずのわたしの肌が、再び熱を帯びた。
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