わたしの体調が回復するまでにはたっぷりもう一日かかった。つまり、丸2日間学校を休んだということになる。療養期間中、発熱以外に困った症状はなかったし、寝れば治るような程度のものだったのだが、学校に復帰したわたしを友人たちはみな心配してくれた。この学校に通うのは悪戯好きの調子のいい学生たちばかりなので、体調を崩したクラスメイトを心配するほどの慈悲心はあるんだなと、変なところで感心したくらいだった。
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「こら、よそ見をしながら歩くと危ないよ」
中庭で飛行術の練習をしている生徒がいた。気持ちよさそうに空を飛ぶ彼らの姿を、少し羨ましい気持ちで眺めながら外廊下を歩いていると、前方から聞き覚えのある声がした。
「あ、リドル寮長」
「やあ、体調はよくなったのかい?」
実験着に身を包み、教科書を小脇に抱えたリドル寮長が優しく微笑む。病み上がりの生徒をきつく注意するほど鬼畜な人物ではないんだなと、少しだけホッとする。
「おかげさまで、すっかりよくなりました。今日から登校しているんです」
「それはよかった、じゃあ本日よりまた勉学に励むことだね」
寮長らしい模範的な言葉をかけてくれた彼だったが、なぜだかそのあとすぐ「それと…その、」と声の調子を落とす。
「この間は、差し出がましい真似をして…すまなかったね」
「え?なにかありましたっけ?」
「……キミの部屋に勝手に入って、一方的に世話を焼いてしまっただろう」
迷惑だともなんとも思っていないことへの謝罪だったため、彼がバツの悪そうな顔をしているのがますます不思議だった。
「むしろすごく感謝していますよ。リドル寮長が来てくれなければ、わたしはグリムが帰ってくるまで、あのまま固い床の上で寝ていたでしょうから」
そうフォローしても彼の表情は晴れない。だから、「もしかして、」と続けた。
「…もしかしてエースか誰かに、何か言われたんですか?」
「まさに、その通りさ」
寮長は小さく溜息をつくと、わたしから目を逸らす。
「エースの奴、”女性の部屋に勝手に入るなんて、寮長ったら意外と大胆〜”とかなんとか言って、ボクをからかって…!ぼ、ボクはキミのことが心配だから入室したわけで、普段であればあんなことは…!」
エースは歌うようにジョークや憎まれ口を叩く男なのだから、まともに相手するだけ損である。しかし真面目な寮長のことだ、エースの言葉を真に受けてしまったのだろう。
再び彼にフォローの言葉をかけようと口を開きかけたとき、リドル寮長はキッとわたしを睨みつけた。
「そうだ、そもそもキミはいつも寮に鍵をかけていないのかい?だとすれば、いくらなんでも不用心すぎる。いつどんな輩が押し入ってくるか分からないだろう、せめて自室にはきちんと鍵をかけるべきだ!」
「えっ、あ、ああ…」
「まったく、この間は相手がボクだったからよかったものを…。この学校には変わり者がたくさんいるんだ。キミの隙に付け入って、変な考えを起こした奴らが訪ねて来たらどうするんだい?魔法も使えない、力でも勝てない、そんなキミが奴らにどう抗おうって言うんだい?グリムがいるから安心しているのかもしれないが、正直彼は番犬…いや番猫にもなりはしないだろう。だからキミは日頃から危機感を持ち、きちんと自衛していくべきだ!」
リドル寮長の剣幕に圧倒され、わたしは体を縮めて何度も頷く。そこまで怒ることか?と思わずにはいられないが、今の寮長にたてつくのは得策ではないと思った。
「ま、まあ、エースとデュース以外で、うちの寮を訪ねる人間なんてそういないんですが…でも、あの、しっかり施錠します、はい」
何とか笑顔を繕いながらそう言うと、寮長はピクリと片眉を動かした。
「ということは、エースとデュースは頻繁にキミの寮を訪ねて来るわけだね?」
「ええと、まあ、クラスメイトですので」
「油断してはいけないよ。彼らだって男なのだから、本気を出されたら…キミは勝てっこない」
そう言ってからリドル寮長は急に黙り込み、思案顔になる。次はどんなことを言われるのかとドキドキしていると、彼は持っていたノートの端をビリッと破り、マジカルペンで何かを書き込んだ。そして、その紙に向かってマジカルペンを振り、低い小さな声で何事かを唱える。
「キミはこれを持っておくといい。なに、簡単なお守りだ。困ったことが起こったとき、助けがほしいとき、これを開いて息を吹きかけてごらん。魔法がキミを守ってくれる」
寮長は丁寧に紙を折り畳んだあと、それをわたしの手の上に乗せた。魔法がかけられたその紙は手のひらに収まるほどのサイズで、わずかに発光している。一見すると何の変哲もないただの紙切れだ。しかし手で触れていると、この紙が心強い存在感を放っているのが分かる。わたしがその紙を制服の胸ポケットにしまうと、リドル寮長はやっと安心したような顔になった。そして満足げに頷くと「それじゃあボクはこれで」と言い、足取り軽く廊下の先を進んで行った。
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