ハーブティーのせい

※「蛇と蛙の関係」の続編


午後20時過ぎ―――談話室のソファでごろごろしていると、客人を知らせるブザーが鳴った。足を引きずりながら玄関に行く。細くドアを開け外を伺うと、そこには昼間にも会った人物がいた。
「俺だ、中に入れてくれ」
彼はにこりと笑みを見せると、手に持っていたものを掲げる。高級感のあるアンティーク調の金縁模様が入った、トランクケースのような鞄だ。中からカチャリと音がする。
「ハーブティーを持ってきた」
「え、えぇと……」
「入れてくれるよな?」
彼は笑みを引っ込め、ひどく冷たい目でわたしを見下ろす。この目で睨まれると、わたしはどうにもできなくなってしまう。だから諦めてドアを開けた。

ジャミル先輩を談話室に招き入れると、彼は一度ぐるりと部屋を見渡した。
「グリムは?」
「あ、もう部屋で寝てると思います」
最後に見たときは、すでにベッドの上で丸くなっていたからだ。ジャミル先輩は、ふぅんと言うとローテーブルの上に四角い鞄を置く。留め金を外し、ゆっくりと鞄を開けると、中からエスニック調のティーカップやポットが現れた。それらをテーブルの上に並べ、ポットの中に茶葉を入れると、彼は立ち上がり「キッチン借りるぞ」と言い奥のキッチンに消えていった。お湯を沸かすのだろう。わたしは手持無沙汰であちこちウロウロしていたけれど、次第に昼間怪我した膝などが痛くなってきたので、大人しくソファに座って彼を待つことにした。

そのティーポットは透明で内側が見える作りになっていた。ジャミル先輩がお湯を注ぐと、ゆっくりと花が開くようにハーブの葉や花たちが膨らんでいく。さらにポットの中の液体は数秒ほど美しい青色を呈したあと、まるで魔法が溶けたかのように黄金色に変わっていった。
「不思議だろ、最初の数秒間だけ青味を出すハーブが入っているんだ」
わたしの隣に座り、一緒にポットの中身を眺めながらジャミル先輩が言った。

こうしてジャミル先輩によって丁寧に淹れられたハーブティーは、これまた丁寧にティーカップに注がれ、わたしに手渡される。それを黙って受け取ると「安心しろ、毒は入っていない」と冗談ともつかないようなことを言われた。
すっきりと清涼感のあるハーブの香りと、こっくりとした花の香りが混ざり合った、不思議な芳香を放つお茶だ。恐る恐る口に運ぶと、青臭さのないまろやかな味が舌に広がる。微かに甘みがあり、飲みやすい。正直これまで”美味しい”と思えるハーブティーを飲んだことがなかったので、この飲みやすさは意外だった。

「どうだ?」
ジャミル先輩が自分の分のティーカップにお茶を注ぎながら聞いた。
「美味しいです、とても」
わたしの返答に彼は満足げな表情を浮かべる。そして、自身もティーカップに口をつけながらこう言った。
「これは俺がブレンドしたんだ。鎮痛効果、リラックス効果、そして、催淫効果がある」
飲み下そうとしたお茶が逆流する。が、寸でのところで噴き出さずに済んだ。何度か咳払いと深呼吸をしたあと、ジャミル先輩の方を向いた。

「もちろん、冗談ですよね?」
「冗談ではない」
にっ、と口の端を吊り上げながら、彼はゴクリとお茶を飲み干した。
「ああ、使用したハーブにたまたま催淫効果も含まれていた、ということでしょうか」
「いいや。この茶葉をブレンドしたのは俺だと言っただろう。分かるか?俺が、わざわざ、催淫効果のあるハーブを選んでブレンドしたんだ」
俺が、わざわざ、というところを強調したジャミル先輩は、今までにないくらい意地悪な顔をしていた。悪巧みを隠そうともしない表情だ。

「そんなことをして、どうするんですか」
「どうもしない」
「え?」
「どうにかなるかもしれないが、別に現時点でどうにかしてやろうという気はないよ」
ジャミル先輩はわたしのティーカップに追加でお茶を注ぐが、もう飲む気にはなれない。
「ただ、効果は俺のお墨付きだ。しっかりと鎮痛効果を得られるから、残さず飲んでくれよ」
こんなに楽しそうなジャミル先輩を今まで見たことがない。揺れるお茶の水面に映る自分を見つめながら、わたしは深い溜息をついた。

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こうしてお茶をいただいた後、彼はわたしの手当てをすると言った。すでに自分で手当てをしているから結構だと激しく抵抗したのだが、彼はまったく聞く耳を持たず、持参した救急セットをテーブルに広げた。そしてソファに座ったわたしの前にひざまずく。さぁこれからお前を手当てするぞ、と言わんばかりの格好だ。
「別に君の身ぐるみをはがそうという気はない。ほら、手を出せ」
彼が手のひらをわたしに向けるので、仕方なくその上に自分の手を乗せる。ジャミル先輩は角度を変えながらじっくりとわたしの手を見た。それから透明の軟膏を優しく擦り込み、ガーゼを当て包帯まで巻いてくれた。
「一日経てば、かぶれも痛みも引いているはずだ。今夜だけは我慢してつけておけ」
それからわたしの膝を指さす。
「足を出せ」
「………」
言い方が嫌だったが、渋々従う。エースにもらったお古のスウェットの裾を膝までたくしあげると、紫色に腫れた膝小僧が現れた。

「…これは痛かっただろう」
妙に優しい手つきで膝を撫でるので、くすぐったくて身をよじった。そんなわたしを一瞥したあと、ジャミル先輩は今度は別の薬を取り出す。苦い薬草の匂いがするクリーム状の薬を膝に塗り込む。彼の手が動くたびに膝にじくじくと痛みが走り、辞めてくれと言いたくなった。けれど、薬にはメントール作用があるのか塗られた場所がすぐにス―スーとしはじめ、たちまち痛みが引いていった。最後にこちらも丁寧に包帯を巻き、足の手当ては終わった。

「さて、あとは……」
ジャミル先輩の視線がわたしの顔下部に向けられる。顎を見ているのだ。
「あ、ここは大丈夫です。なんか、もうそんなに痛くな……」
顎に薬を塗り込まれるところを想像し、大変気まずい気持ちになったので、手当ては必要ないと言いたかったのだが、言葉は最後まで言えずじまいとなる。なぜなら、立ち上がったジャミル先輩に突然足を払われ、右半身側からころんとソファに倒れ込んでしまったからだ。そんなわたしの体をまたぐように、彼がソファに上がったのを、スプリングの軋む”ギシッ”という音から察した。


「勘違いするな、これは手当てだ。この格好の方が手当てをしやすいから、君を寝かせたまでだ」
言いながら、彼は自分の首に垂れ下がっていた長い髪をバサリと後ろに払った。それからわたしの喉元に人差し指を当てると、ゆっくりと顎に向かって指を這わせていく。たまらなくなりわたしはその指を握ると、自分の体からなるべく遠ざけた。
「どうした?」
「ど、どうも、こうも……」
平然とした顔でこちらを見下ろしているのが恐ろしい。ジャミル先輩は言っていることと、やっていることがバラバラだ。何でもないようなことを言いながら、明らかにわたしに触れようとしている。

「あ、も、もしかしてジャミル先輩、お茶でそういう気分になっちゃったんですか?ま、でも、あのジャミル先輩が、お茶ごときでまさかね……」
プライドの高いジャミル先輩のことだ。わたしのような者に煽られて黙っているはずがない。彼が顔をしかめ、体を退けてくれることを期待しながらその顔を見つめていると、相手は予想に反し「そうだな」と言った。

「……え?」
「君の言う通りかもしれないな。俺はお茶の催淫効果により、君を押し倒したくなったのかもしれない」
ジャミル先輩はわたしの手から自分の指を引き抜くと、その指で今度はわたしの唇に触れた。
「だから、仕方ないよな」
そのまま、当たり前のようにキスをしようとしてくるので、反射的にその口を手で押さえた。ジャミル先輩は不愉快そうな顔で、自分の口を塞いだわたしの手を退かす。

「いや、これ、仕方なく、ないですよね」
「なぜ?俺は今、ハーブティーの催淫効果によりおかしくなっている。だから君にキスをしてしまっても仕方がない」
「いやおかしい、おかしいですよ!大丈夫ですか?自分が何を言ってるか分かってます?」
「ああ、分かっているさ。幸い頭の中は靄一つない、すっきりとした具合なんでね」
恐ろしい。酩酊しているわけでもない、いつものジャミル先輩なのに、その口から出るのは彼らしからぬ非論理的な言葉ばかりだ。

「待ってください、ここで、わたしにこんなことをして、明日からどうなるんですか?そりゃ、学年も違いますし、そう関わることはないんですけど…でも、一時の感情に流されてこんなことをして、先輩は後悔しませんか?」
ジャミル先輩は一瞬思案した後、はっきりとこう言った。
「ああ、俺は後悔しないな」
本当に怖い、どうしちゃったんだろうこの人。絶句し硬直してしまったわたしを見て、ジャミル先輩は首を捻る。
「そもそも、一時の感情に流されてって、何なんだ。このお茶は俺にとってきっかけでしかない。俺のことを、一時的な性欲に突き動かされた男みたいに言わないでくれ」
「ごめんなさい、もう少し分かりやすく言ってください」
彼はなぜか視線を逸らし、少しだけバツの悪そうな顔をした。

「正直……俺は今日、君を俺のものにするつもりでここに来た。このハーブティーをブレンドしたのも、自分を少し大胆にするつもりだったからだ。つまり、俺は君が思うように、一夜限りの関係を築くためにここに来たわけではない」
どうだ、という風に息巻くジャミル先輩。しかし、彼の言ったことを3度頭の中で反芻したものの、やっぱりいろいろ間違っていると思った。
「待ってください、やっぱり駄目ですよ。こういうのはせめて”友達”からはじめるべきでは……」
「今日の午後、君を助けたとき俺たちは友達になったと思えばいい。だから、もう次のステップに行ってもいいだろう」
再びジャミル先輩の顔が近くなる。また口を塞ごうとすると、あっさりとその手を取られる。

「もうお喋りは終わりだ、ナマエ。俺の理性があるうちに俺のものになってくれ」
「待って!やっぱり、よく分らない……!」
「じゃあ、なんだ。ナマエが好きだ、付き合ってくれと言えば分かってくれるのか?」
唐突なその分かりやすい言葉に、わたしは耳を疑う。と同時に、頭がくらくらするほど体が熱くなった。すると、ジャミル先輩の唇から笑いが漏れた。
「本当に君って可愛い奴だな、ますます俺のものにしたくなったよ」
細かいことを考える間もなく、唇が重なる。その気があれば、抵抗できた気もする。けれど、わたしはこの唇の感触をもう少し楽しみたいと思ってしまった。それはきっと、ジャミル先輩の淹れたハーブティーのせいだ。


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