シエスタ

「……あっ、やべ」
そんな押し殺した声が聞こえたのは、わたしがTシャツの袖に両手を通し、それを頭から被ろうとしたときだった。振り返るとドアを半分ほど開けた状態で、ラギー先輩が目を白黒させている。分厚いハイエナ耳が横に倒れているところを見るに、相手が非常に”気まずい”と思っているのは明らかだった。

……と、ここまで分析したところで、わたしは自分の置かれている状況に我に返る。中途半端な状態で動きを止めていたが、慌ててTシャツを被り着用する。それから、腰元でしばっているつなぎにシャツの裾を入れる。見られたのが上半身だけでよかった。そうして、自分の足元に視線をウロウロさせているラギー先輩の元まで行くと、半端に開いているドアを強く押した。

「ラギー先輩ってスケベなんですね、そういう性格はモテませんよ。早く出て行ってください」
ドアに押されて、ラギー先輩の体も少し後退した。が、何を思ったのか、彼はへらっと相好を崩してわたしに話しかける。
「ナマエくんの着替えを覗いちゃったのは申し訳なかったッス。まさか、こんな場所で着替えてるとは思わなくて」
「はい、次からはきちんとノックしてください」
「気をつけるッス」
話が終わったというのに、ラギー先輩はその場から離れようとしない。

「まだ何か?」
「運動着に着替えてるってことは、次は飛行術なんスか?」
「そうですけど…」
「飛行術なんてダルくないスか?ナマエくん飛べないし、暇そうッスね。ていうか、アンタみたいな女の子が、オレらみたいなむさくるしい男の中に混ざって授業受けても、楽しくともなんともないでしょ」
何が言いたいのか分からない。どことなく、相手から不穏な空気を感じ取ったところで、突然ドアを強く押し返された。反動で2,3歩後ろによろけてしまう。そうして中に押入ってきたラギー先輩は、素早くドアを閉め鍵をかけた。

「オレと一緒にサボりましょうよ、ナマエくん」
「はぁ?」
「いやー実はオレ、次の授業まで時間があったんで、この空き部屋で内職しようと思ってたんスよねー」
ラギー先輩は内職を行なうモノが入っているらしい、大きな紙袋をドサリと地面に置いた。
「でも、あいにく先客がいたんで、場所を変えようかと思ったんスけど……なんか、もう内職とかどうでもよくなっちゃった」
そう言って感じのいい笑顔を顔に張り付けるラギー先輩だが、正直こっちには不信感しかない。

「どいてください、わたしは授業に出ます」
「まあまあ、そう固いこと言わずに…」
わたしがドアに向かって手を伸ばすと、それを阻止するようにラギー先輩が体を割り込ませドアを塞いだ。
「先輩、内職があるんですよね?邪魔したくないんで、外に出させてください」
「だから、ナマエくんも一緒にサボろうよ」
シシシッと肩を揺らして笑うだけで、彼はドアの前から退く気はないようだ。

「あっ!!」
突然ラギー先輩が目を見開いてわたしの背後を指さした。反射的に上半身をよじり、そちらを振り返ってしまう。その瞬間、肩を押され体を反転させられた。それから「ラフ・ウィズ・ミー(愚者の行進)」という呟きが後を追う。

―――しまった。
そう思ったときには、もうわたしの体に自由はなかった。ラギー先輩の動きと連動して、わたしの体はどんどんドアから離れていく。そして部屋の奥にある古ぼけたソファに腰を下ろすと、やっと彼のユニーク魔法が解かれたようだった。


そのソファは窓際に面した場所にあったため、午後の温かい日差しが直接届く場所でもある。
「ソファはボロいけど、場所は最高なんスよねー。昼寝するのにもぴったり」
ラギー先輩はわたしの隣に腰を下ろしながら言った。でも、向かい側にもソファがあるのに、張りつくように隣り合わせで座る彼に違和感を覚える。
「あの……変なことしたら、レオナ先輩に言いつけますから」
「まったく、アンタは警戒心の塊なんだから」
やれやれ、という風に肩をすくめたラギー先輩は、わたしに向かってまたあの胡散臭い笑顔を見せる。

「言ったでしょ?オレはナマエくんと一緒にサボりたいだけなんだって」
それから彼は、ダラダラと他愛もない話をはじめた。レオナさんにこき使われて不満だとか、最近コスパのいい料理レシピを発見しただとか。そんなラギー先輩の話など無視して授業に行けばよかったのだけれど、ソファから立ち上がろうとするわたしを彼は必ず妨害してくるし、また授業のはじまるチャイムはとっくに鳴っていたので、飛行術への参加はもうほとんど諦めていた。

ラギー先輩が楽しそうにお喋りをしている中、なぜか彼がわたしに体重をかけていることに気づく。わたしの左隣りにラギー先輩がおり、彼の右半身がわたしにぴったりとくっついているのだが、彼はわたしにもたれかかるように少しずつ体重をかけているようだった。
「あの、重いんですけど…」
「え?何のことッスかぁ?」
わざとらしく首を傾げるだけで、ラギー先輩は体重をかけることもお喋りも辞めない。今は故郷である”夕焼けの草原”の話をしている。

いよいよソファに右手をつき、体を支えないと倒れてしまいそうなほどになった。
「ちょっと、ラギー先輩、」
「あっ!!」
ラギー先輩が突然窓を指さした。そしてわたしは、同じ手に二度も引っかかってしまう。彼の指さした方へ素直に顔を向けてしまったのだ。その瞬間、一気に畳みかけるようにラギー先輩が全体重をわたしにかける。わたしは当然バランスを崩し、ラギー先輩に半ばのしかかられるようにソファーへ倒れ込んだ。

+++

グルグル……と、唸るような音がした。それは間違いなくラギー先輩の喉元から聞こえてくる。ギョッとして彼の顔を盗み見ると、嬉しそうにゆっくりと瞬きをしながら、仰向けになったわたしのお腹に顔を預けていた。柔らかい陽光を浴びながら目を細めるその仕草は猫に似ている。

「あの……眠たいんですか?」
ふと疑問を口にすると、ラギー先輩は数秒ぼうっとわたしの顔を見つめたあと、少し照れくさそうに笑った。
「正直、めちゃくちゃ眠いッス」
「まさか、このままわたしの体の上で眠るつもりじゃ…」
「できればそうさせてほしいッスねぇ」
グルルルル……とまた喉を鳴らすラギー先輩。

「こんなこと言ったらセクハラになっちゃうんでしょうけど、ナマエくんの柔らかそうな体を見たら、もう触りたくてたまらなくなっちゃって……」
そう言いながら、ズルズルとわたしの体の上を這い上がり、今度は胸元に顔を乗せる。
「んで、こうして触ってみたら案の定ふっかふかじゃないッスか。こんなの眠ってくれって言ってるようなもんス」
普段ならいくら顔見知りの先輩だとは言え、こんな風に体を触られたらビンタの一発や二発では済まないと思う。しかし、目の前のラギー先輩の仕草はあまりにも猫がかっていて、飼い主に甘える猫さながらであった。

「…じゃあ、ここでラギー先輩のお昼寝に付き合えばわたしを解放してくれますか」
「もっちろん」
ラギー先輩は抱きつくようにわたしの腰に手を回す。顔はすっぽりと胸元に埋めた。グルグルという低い唸りと振動がわたしの体に響く。何だかこちらも眠たくなってきた。

ためしにラギー先輩の頭を撫でてみた。唸りが大きくなる。続いてその分厚い耳を擦るように触ってみる。さらに唸りが大きくなったが、彼はすぐに慌てたように顔を上げ「オレは猫じゃないッス!」と睨まれてしまった。けれど、すぐに眠ってしまいそうなほどゆっくりとした瞬きを繰り返している。

「はい。じゃあおやすみなさい、ラギー先輩」
わたしは諦めて彼を自分の体の上で寝かせることにした。自分より体の大きい男を体の上に乗せたまま寝るのは少し息苦しいが、ポカポカとしたラギー先輩の体温は悪くない。

わたしも睡眠に入ろうと目を瞑っていると、何かが頬を擦った。目を開くとラギー先輩の顔がすぐ近くにある。でも彼は目を瞑ったままだ。そしてラギー先輩はわたしの頬に自分の頬を何度か擦りつけると、その場所をペロリと舐め上げた。頬にザリッとしたくすぐったい感触がした。舌まで猫みたいなんだなぁと思っていると、彼はもといた場所―――わたしの胸元に再び顔を埋め、それからすうすうと眠ってしまった。

ラギー先輩に舐められた頬を撫でながら、今のは無意識のマーキング行為だったのかなと考える。ただ、いくらラギー先輩がネコ科系統の獣人だとはいえ、学校で男子に頬擦りされて舐められたと思うと、無性に恥ずかしくなってしまった。しかし、そんなわたしのことなどお構いなしに、ラギー先輩はすっかり眠りに落ちている。何だか妙な人と昼寝することになってしまったと思いながら、わたしはもう一度まぶたを閉じた。自分の顔を舐めている猫が、いつの間にかラギー先輩だったという夢を見て、少しだけうなされた。


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