リドル寮長の顔は真っ青だった。頭に来るとすぐに真っ赤になるような人だが、今は唇にまで血の気がない。強すぎる怒りの感情により、アドレナリンの分泌はとっくに止まってしまったようだ。怒ったとき顔が赤くなる者より、顔面蒼白になる者の方が大きなストレスを抱え、感情を爆発させる可能性が高いと聞いたことがある。今のリドル寮長はまさにそれ―――まるでオーバーブロット寸前の状態のように見えた。
リドル寮長はまず足元の蔓に向かって杖を振る。するとその蔓はすごい勢いで成長をはじめ、わたしに覆いかぶさっていた2人の生徒に素早く巻き付いた。あまりの速さに彼らはもがく暇もなく、あっという間に芋虫のように地面に転がされる。
「ち、違うんだ、ローズハート!これは、そのっ…!!」
「……誰が口を開いていいと言った?」
凍えてしまいそうなほど冷たい声を放ったリドル寮長に、彼らは体を硬直させた。寮長はわたしに自身の羽織っていたマントを優しくかける。それから地面に転がる芋虫たちに近づき、汚いものでも見るようにそれを見下ろしながら言った。
「今からボクの質問することだけに答えるんだ、いいね」
犬耳と鳥人がガクガクと頷く。
「キミたちは何らかの方法で彼女をこの植物園に誘い出し、そして一方的に彼女を襲った―――その事実に間違いはないね?」
鳥人が「そうだ」という風に頷きかけたところで、「違う!」と犬耳が声を上げた。
「こ、これは未遂だ!まだ襲っちゃいねぇ。たしかに、そうやって3人で楽しもうってことにはなったけども、結局最後までは……」
「―――お黙り。ボクはキミが勝手に決めた”行為”の定義なんて聞いていない」
寮長は長い杖の先を犬耳の首元につきつける。媚びるようなだらしない笑みを浮かべていた犬耳が、顔を強張らせた。
「彼女は明らかに辱められているのに、それでもなお襲っていないと言い逃れするだなんて……いい度胸だね。キミたちは彼女が味わった苦しみを、少しもお分かりでないようだ」
それからリドル寮長はこともなげに杖を振った。すると、土砂降りのような大粒の水が犬耳たちの上に降り注ぐ。
「ならば、同じ苦しみをキミたちにも味わってもらおう」
芋虫たちは何事かを叫んでいるが、水の勢いに声がかき消されてしまう。
リドル寮長が杖を振り、水が止まった。芋虫たちは咳き込みながら身をよじらせる。よく見れば細かく震えているようだ。
寮長はそのまま無表情で近くの木に向かって杖を振った。すると彼の胴体ほどありそうな太い木の幹が、芋虫たちに向かって伸びてくる。そしてその幹は容赦なく芋虫2人を上から押さえつけた。ぐえっと苦し気な声が上がる。
リドル寮長のまとう空気がいよいよ不穏さを増してきた。きっと届かないと思いながらも「リドル寮長」と名前を呼ぶと、彼はすぐにわたしの方を振り向いた。そして「大丈夫、ボクがキミを守るから」とわたしに優しく微笑みかけた。しかし、その顔にはやはり血の気がなく、瞳もどこかうつろな感じだった。
「さぁ、続きと行こうか。キミたちはサバナクロー寮の寮生だ、よく鍛え上げているね。上背もあり、彼女より何倍も頑丈な体つきだ。だから、ちょっとやそっとのことじゃあ音を上げないだろう?」
寮長の杖の動きに合わせて、木の幹が芋虫たちの後ろ髪を鷲掴みにする。そしてそのまま後ろに引っ張り、まるで無理矢理エビ反りをさせるかのような状態にさせた。体は押さえつけられているのに、頭は後ろに引かれるというちぐはぐな状態だ。彼らの顔もリドル寮長と同じくらい真っ青になっている。
「………どれだけ耐えられるか、見ものだね」
その言葉のあと、リドル寮長が大きく杖を振る。その動きと連動して、木の幹は芋虫たちの頭を”地面”に向かって押し出した。地面に頭が打ちつけられる鈍い音と悲惨な光景を想像し、その恐しさに思わず目をつぶる。しかし、耳に入ってきたのはそんな生々しい音ではなく、低い咆哮のような誰かの声だった。
「リドル!!」
その声にわたしは再び目を開く。リドル寮長は途中で杖を振るのを辞めたようだ。芋虫たちの頭は地面すれすれのところで止まっている。安心からか、止めどない恐怖からか、彼らは泣いているみたいだった。
やがてわたしの脇を通って一人の人物がリドル寮長に駆け寄った―――サバナクロー寮の寮長、レオナ先輩だった。
「遅くなって悪かった、ここは俺に任せてくれねぇか」
「…………」
リドル寮長はつんと顎を上げ、黙ってレオナ先輩を睨みつける。レオナ先輩は遠慮がちにわたしを一瞥すると、痛みに耐えるかのように顔を歪めた。
「こんなことになっちまったのは、寮生どもを監督できていなかった俺の責任だ。頼む、ここは俺にやらせてくれ」
そう言ってレオナ先輩はリドル寮長に頭を下げた。あのレオナ先輩が人に頭を下げるだなんて、そう驚いたのはわたしだけではない。リドル寮長も目を見開き、獅子らしいふわりとしたレオナ先輩の後頭部を見つめている。
やがて、いつまで経っても頭を上げないレオナ先輩に観念したのか、構えていた杖を下ろした。同時に芋虫に巻き付いていた蔓や、頭を掴んでいた木の幹などがするすると元の場所に戻っていく。
「分かりました。では、あとはレオナ先輩にお任せします」
やっと頭を上げたレオナ先輩を、射すくめるような強い視線で捉えながらリドル寮長が言った。
「心配するな。俺は自分の寮生だからと言って手を抜くようなことはしねぇ。……それに、俺はこういう性根の腐ったことをする奴らが、死ぬほど嫌いだぜ」
それから彼はわたしの方を振り返る。じっと目を見た後、わずかに視線を外してから「……悪かったな、草食動物」と言った。
レオナ先輩が「お前ら!」と声を上げると、数名のサバナクロー寮生たちが現れた。その中にはジャックもいた。
「こいつをオンボロ寮まで運べ」とレオナ先輩が言い終わる前に、リドル寮長がわたしと彼の間に割って入る。
「その必要はありません」
「あ?」
「彼女はハーツラビュル寮の者たちに運ばせます」
2人は一瞬睨み合ったが、レオナ先輩はすぐに納得したように頷く。
「……ああ、その方がいいな」
仕事をなくしたサバナクロー寮生たちは結局、地面に転がされた元芋虫たちの後始末を任されることになった。彼らは水浸しになっただけで、どこかに怪我を負っている様子はない。寮生たちに立ち上がらせられた2人は、ヨタヨタとこちらに向かってきた。が、すぐにリドル寮長が立ちふさがる。
「まだ何か?」
「あ、あの…俺たち、ミョウジさんに謝りたくて…」
「そんなことより、寮に戻って寮長にお灸を据えられるのが先じゃないのかい?」
リドル寮長はいっそう冷たい表情を浮かべ、杖の先を彼らに向けた。
「ボクに首をはねられたくなければ、とっとと消えるんだ」
元芋虫たちは顔を青ざめさせながら後ずさりした。そうして彼らは寮生たちに首根っこを掴まれながら植物園を出て行く。そして、レオナ先輩はもう一度わたしたちに頭を下げると、寮生たちを追ってその場を後にした。
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リドル寮長がスマホで応援を呼んでいたようで、ほどなくしてトレイ先輩とケイト先輩が植物園に現れた。その頃にはわたしも(水浸しのままではあったが)ブレザーを再び着込むなど、乱れた衣服を整えていたため、最低限人と会えるくらいの格好にはなっていた。しかし、裂かれたワイシャツだけはどうしようもできなかったため、ブレザーの前ボタンをすべてとめることで、その悲惨な状況をなんとか隠している…という状態だったが。
わたしを発見したケイト先輩は、ニコニコしながら小走りで駆け寄ると、そのままわたしに頭から何かを被せた。されるがままに手を引っ張られたりしていると、再び視界が開ける。
「どーお?ハーツラビュル寮特製トレーナー!オーバーサイズでいい感じ〜オレ的には、めちゃめちゃ似合ってると思うよ!って、鏡もないんだし監督生ちゃんはどういう感じか分かんないか」
「こらケイト、マジカメにアップしたい〜とか言って写真を撮るんじゃないぞ」
トレイ先輩はふんわりとしたタオルをわたしの頭にかける。そして2〜3度、揉み込むように髪の毛を拭いてくれた。
「災難だったな、まずは帰ろう」
そう言うと、彼はリドル寮長にも声をかける。
リドル寮長は黙って頷くと、わたしの方を見た。軽く唇を噛む彼の顔はまだ険しかったが、頬にはいくらか血の気が戻っていた。そして強張っていた目元の力をふっと緩めると、こう言った。
「帰ろう、ナマエ」
それはとても温かく優しい声色だった。
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