植物園に応援としてトレイ先輩とケイト先輩が来たあと、わたしは彼らにハーツラビュル寮に連れられた。そして、まずは風呂で温まるようにと言われる。案内されたバスルームは芳香な薔薇の香りに包まれており、バスタブの湯には薔薇の花が浮かんでいた。そこでわたしはゆっくりと体を温め、いつもより贅沢なバスタイムを過ごさせてもらう。
風呂から上がると、着替えはあらかじめ用意されていた。ケイト先輩が貸してくれたトレーナーと色違いのものと、男物のTシャツ、スウェットパンツが一着ずつ。(これはサイズ的にエースかデュースのものかもしれない)それから、小ぶりの紙袋が一つ。開けると中には、シンプルなデザインの下着が一枚。紙袋の裏には「けーくんがミステリーショップで買ってきました。エッチだって思わないでね!」とケイト先輩の可愛らしい自画像イラスト付きのメッセージが添えられていた。たしかに、新しい下着も必要だというところまで気が回るのは、ケイト先輩くらいかもしれない。
大きなバスタオルで体をまとう水分を拭きとったあと、それらの衣類を身につける。トレーナーもパンツも大きかったので、袖や裾を少しだけ捲った。
バスルームを出ると廊下の角からトレイ先輩がひょっこりと顔を出し、こっちに来いと手招きしてくれる。彼のもとまで行くと、トレイ先輩は手に香ばしかおりを放つお菓子の載った盆を持っていた。
「今、エッグタルトが焼き上がったんだ。温かいうちに食べろよ」
「嬉しい、ありがとうございます」
トレイ先輩はにこりと笑うと、片手でわたしの頭に手を置く。それから「おっと、髪を乾かさないとな…」とつぶやき、今度はケイト先輩の名を呼んだ。
「はいはーい、髪の毛ね。任せて♪」
どこからともなく現れたケイト先輩はわたしの手を引くと、談話室まで連れてきて、ソファに座らせた。そしてわたしの頭に向かってマジカルペンを振る。すると濡れた髪に温風がじゃれついた。
「熱くない?大丈夫?」
「はい、ちょうどいいです」
「オッケー!じゃあもうちょい強くするよ」
先ほどより風圧が上がり、ケイト先輩はその風を操りながらわたしの髪を乾かしていく。そうしてたったの3分ほどでわたしの髪の毛はすっかり乾いてしまった。
「はい完成!じゃああとは、美味しいお菓子とお茶をどうぞ」
ケイト先輩がわたしにウィンクすると、今度はトレイ先輩がテーブルにお菓子と紅茶を並べていく。そして、そこにようやくリドル寮長も現れた。少し眉間を揉んでから、わたしの向かいのソファに座る。
「やぁ、少しは体を休められたかい?あのお湯には薔薇の王国で取れた薔薇の花と、ローズオイルを浮かべたんだ。香りがよかっただろう」
「ええ、おかげでとてもリラックスできました」
「そう、よかった」
リドル寮長はわずかに笑みを浮かべると、トレイ先輩が運んできたティーカップを手に取り、口に運ぶ。
「トレイ、ケイト。助かったよ、ありがとう。あとはもう大丈夫だから、部屋に戻ってくれて構わないよ」
「ああ、分かった。また何か手伝えることがあれば、遠慮なく頼ってくれ」
「そうそう!監督生ちゃんのためだったら、オレたち頑張っちゃうからさ〜」
「ふふ、頼もしいよ」
そうして3年生の2人に自室に戻っていったようだった。
残ったわたしとリドル寮長は黙って紅茶を啜っていたが、やがて彼がエッグタルトを一つ皿に取り、わたしに手渡してくれる。
「さ、お食べ。焼きたてのエッグタルトは絶品だよ」
皿を受け取り、表面がカラメル色になった温かいタルトを眺めると、わたしは思ったよりも自分がお腹を空かしていることに気づいた。
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寮長は1つ、わたしは3つタルトを食べたが、タルトはまだあと6つほど残っている。よく食べるわたしを見て、リドル寮長は嬉しそうに目を細めた。「残りは持ち帰るといい、あとでトレイに包ませるよ」と、そんなことまで言っていた。
「その、気分はどうだい?体に痛みはない?」
リドル寮長が遠慮がちにわたしを見つめながら尋ねる。
「問題ないです。ちょっと擦りむいたくらいで、大きな怪我もありませんし…」
「でも、念のため明日は保健室に行った方がいい」
そう言って寮長は、窓の外に目をやる。気づけば日はすっかり暮れており、窓の外は夜がはじまっていた。
「植物園でのことなんだけど、さっきレオナ先輩を交えて学園長と話をつけてきたんだ」
寮長はゆっくりわたしに視線を戻す。
「キミを襲った彼らは、”退学”だ」
「え、」
「彼らの退学を要請したのはレオナ先輩だ。そしてボクもそれが彼らに相応しい制裁だと思う。もちろん、学園長もそれを受理した」
彼はしばらくわたしの表情を観察したのち、言葉を続けた。
「これでキミの気持ちが晴れるとは、ボクも、レオナ先輩も思っていない。キミの気持ちを深く傷つける最低な事件を起こしてしまったこと、キミを守れなかったことを、ボクらは心から悔いている。そして、その償いの一つとして、奴らを学園から追い出すことにしたんだ」
そして、寮長はわたしに向かって深く頭を下げた。
「こんなことになって……本当に申し訳ない」
今日はレオナ先輩が寮長に頭を下げるという信じられない光景を目にしたのに、今度はあのリドル寮長がわたしに頭を下げている。予想だにしないことが起こりすぎて、わたしはただただ慌ててしまった。
「わたしになんか頭を下げないでください。リドル寮長のせいではありませんよ。そもそも、怪しいと分かっていながらあの場に訪れたわたしの行動も軽率でしたし…」
わたしの言葉にピクリと反応したリドル寮長がやっと頭を上げた。
「そういえば奴ら、ボクのイニシャルを使ってキミに手紙を送ったんだってね」
「ご存じ、なんですね」
「ああ、それもさっきレオナ先輩から聞いたんだ」
それから複雑そうな表情を浮かべてわたしを見る。
「…なぜ、わざわざそんな誘いに乗ったんだい。手紙の主がボクじゃないっていうのは分かっていただろう」
「もちろん、分かっていましたよ。ただ、なんだか……腹が立っちゃって」
「腹が立つ?」
「ええ、気安く寮長の名を語ってわたしを呼び出す、その性根が。だからあえて釣られてやって……それで、もし何かされそうになったら一泡吹かせてやろうと、防犯グッズなんかも持って行ったんですけどね。さすがに2人がかりだと勝てませんでした」
パチパチと数回瞬きをしたあと、彼は心底呆れたというように溜息をついた。
「キミってボクが思っているより無謀な子なんだね。その考え方は危険だよ」
「そうでしょうか」
「ああ、危険だよ」
リドル寮長は語気を強め、わたしを睨む。どうやらいつもの調子を取り戻してきたようで、顎をついと上げ両手を組んだ。
「いいかい?もう二度とそんな行動を取ってはいけないよ。というより、キミはボクが言ったことを忘れたのかい?この学園には変わり者がたくさんいるから気をつけるようにと、そう忠告したばかりじゃないか!
だから、怪しい誘いを受けるようなことがあれば、絶対について行ってはならないよ。そもそも少しでも怪しいと感じたなら、まずボクに……いや、ボクじゃなくてもいい。エースでも、デュースでも、グリムにでもいいから、必ず誰かに相談をするんだ。そして、そのような場に一人で赴かないこと。約束してくれるね?」
寮長はこのように一気にまくし立てると、テーブルを挟んだまま、ずいとわたしに顔を近づけた。
「本当ならボクが一日中キミを守ってあげたいよ、でもそれは…できないだろう。だから、ボクがキミを守れない間は、キミ自身が自分を守ってほしいんだ」
彼のグレーの瞳には強い力がこもっており、その目は少し怒っているようにも感じた。
「寮長は責任感が強いんですね」
「………責任感?」
「ええ、他寮のわたしのことまで、そうやって気にかけてくださる」
リドル寮長はポカンとした後、機嫌を損ねたように少し頬を紅潮させた。
「キミって本当に鈍い子だね。ちょっと呆れるくらいさ!」
そう言って寮長は自棄気味に紅茶を飲み干した。
「ただ、キミがあのお守りを使ってくれてよかった。あれのおかげで、ボクはキミの危険に気づくことができたから」
以前、彼からもらった紙のお守りのことだ。どうやらあれは、息を吹きかけることでわたしの居場所をリドル寮長に伝える効果のあるお守りだったようだ。部屋のチェストなどにしまわず、制服の胸ポケットに入れっぱなしだったのが、逆に功を奏したと言えるだろう。…と、そんなことを考えていると「…キミ、スマホはいつも持ち歩いているの」と寮長に尋ねられた。
「あ、はい、一応」
「ふぅん、じゃあそのスマホを出して」
わたしは言われた通り、パンツのポケットからスマホを取り出す。学園長が貸してくれたスマホで、普段誰かと連絡を取り合うことはほとんどない。
「はい、これがボクの連絡先」
リドル寮長が自身のスマホ画面をわたしに向けた。
「えぇと」
「登録するように」
「……はい」
もたもたとした手つきでリドル寮長の連絡先をスマホに打ちこんでいると、彼が軽く咳ばらいをした。
「これからは、困ったことがあればすぐにボクに連絡するんだ。お守りを渡さずとも、最初からこうすればよかったね」
「たしかに、そうですね」
「……まあ、その、用がなくても連絡をしてくれて構わないけれど……ボクは」
連絡先を登録し終えたためスマホを返そうと顔を上げると、彼はビクリと肩を揺らした。それからまた咳ばらいをし、それを受け取る。
こうして、わたしの長い長い一日はリドル寮長の手によって終わらせられたのだった。
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