12.消える景色(前編)

その“違和感”を覚えたのは、魔法薬学の授業を終えて少ししてからだった。
まず目がムズムズと痒くなる。瞬きを繰り返すたびに痒みは増し、やがて目を擦らずにいられなくなる。
「おいおい、そんなに強く目を擦るのは良くないぞ」
そう言ってデュースが手を掴み止めてくれるまで、わたしは夢中になって目を擦っていたらしい。
「げっ、ナマエの目、ちょー真っ赤なんですけど!保健室に連れて行こうぜ」
わたしの目を覗いたエースが焦ったようにそう言った。

わたしはエースとデュース、そしてグリムに連れられて保健室に来る。その間も目が痒くて堪らなかったが、グリムがわたしの瞼を押さえ、擦るのを阻止していた。
「失礼しまーす!なんかコイツ、目がおかしーんすけどぉ……!」
保健室のドアを開けて、大声で要件を伝えるエース。しかし、中から返事が返ってくることはなかった。
「って、誰もいねぇの?」
「ん?これ……」
デュースが近くのデスクから紙を取り上げる。そこには保健室の主が所用で1時間ほど席を外しているとの旨が書いてあったらしい。

「はぁ?!なんでこんな大事なときにいねぇんだよ!」
「でも、何とかしてやって欲しいんだゾ!こいつの目、もうこんなに腫れ上がって…」
グリムの心配そうな声が聞こえる。彼はもうわたしの瞼を押さえていないらしいが、わたしにはグリムの姿がほとんど見えなかった。なぜなら視界はぼんやりと歪み、靄がかかったように不明瞭だ。そう、わたしは目が見えなくなってきているのだ。おまけに痒みに加えて、眼球にズキズキと刺すような痛みも起きはじめている。わたしは心臓が冷えていくように、徐々に恐怖に蝕まれていた。
「そんなことは言っても、僕らは医療用の魔法なんて知らないし…」
デュースの焦ったような声がする。わたしは唇を噛み、彼らのやり取りを黙って聞いているしかなかった。

「んじゃあ、医療魔法に詳しい人に聞きゃあいいじゃん!」
「医療魔法に詳しい人なんて、いたか?」
デュースの言葉のあと、「あ、もしもし?寮長?」とエースの不躾な声が聞こえる。どうやら電話をかけているらしい。
「とにかくナマエが大変なの!お願いだから早くきてよ!」
懇願するようにそう言うと、相手と二言三言やりとりをした後、電話を終えたようだった。

「もしかして、ローズハート寮長に助けを求めたのか?」
「そ。だってあの人の親、魔法医術士なんでしょ?寮長も医療のこと、それなりに知ってるかもしれないじゃん」
「もう誰だっていいんだゾ!!こいつが、こいつが助かるなら……」
わたしの首元に張りつくグリムはいつになく弱気な声を出していた。きっと見るからにわたしの目の症状が悪化しているからだろう。

そのあとわたしは、友人らの手を借りてベッドに横になった。目の上にタオルを乗せてくれた彼らの気遣いに涙が出そうになる。視界は真っ暗だが、目を開けていたってもう何も見ることはできない。本当に突然どうしてしまったんだろう。不安に押し潰されそうだったが、そんなわたしの気持ちが伝わったのか、グリムはずっとわたしの肩あたりに身を寄せてくれていた。

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「あっ、寮長!こっちこっち!」
数分後か、数十分後か、時間の経過は分からない。とにかく、エースの大声でうつらうつらしていたわたしは突然意識を引き戻された。足音が近づいてきて、ピタリと止まる。
「ナマエ、タオルを取るよ」
小さく落ち着いたリドル寮長の声のあと、そうっとタオルが取られるのを感じた。本当はタオルを取られたくなかった。きっと今、自分の目はとんでもない状態になっているだろう。こんなに醜い姿を異性に見られるのは嫌だった。けれど熱っぽい体はひどく怠く、抵抗する気力を起こさせなかったのだ。

わたしの酷い目を見てもリドル寮長は少しの反応も示さなかった。ただエースとデュースに「カーテンを閉めておくれ」と指示しただけ。
「えっ、りょ、寮長、治せるんすか?」
「ああ、この程度ならボクにでも治療できる。ただ、治療は見世物ではないからね。2人きりで治療させておくれ」
「…なーるほど。レディへの配慮、ってわけっすね」
「首をはねられたくなければ、さっさとカーテンを閉めるんだね、エース」
リドル寮長が強い口調でそう言うと、「へーい」と言うエースのおどけた調子の声と、カーテンランナーがレールをすべる音がした。


「ナマエ、安心おし。ボクがキミを治すから」
わたしにだけ聞こえるボリュームで、リドル寮長がそう言った。
「わたしは、治る、でしょうか」
喉がカラカラだったが、懸命に声を絞り出して尋ねる。
「ああ、治るよ。ボクが治す、大丈夫だ」
衣類の擦れる音がして、頭に優しい感触を覚える。リドル寮長がわたしの頭を撫でているらしい。そのあと、上品な花の香りが漂ってきた。
「なんの、香り?」
「ラベンダーさ。以前、ケイトにラベンダーのアロマオイルをもらったことがあってね。それを今、焚いてみたんだ。ラベンダーの香りは心を落ち着かせる効能があるんだよ。キミはこのラベンダーの香りを楽しんでくれていれば、それでいい。そのあいだに、ボクが目を治してしまうからね」
リドル寮長の手がわたしの頬を撫でた。
「大丈夫、ボクを信じて」
彼の手は温かく、その手には自信が漲っているかのように頼もしかった。わたしは泣きそうになりながらも、小さく頷く。それはリドル寮長にすべてを委ねる合図でもあった。


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