「それでは、今日一日のことを教えてください」
ここは営業を終えたモストロ・ラウンジのVIPルーム。目の前に座るアズール先輩は組んだ足の上に両手を組み、ニコニコとこちらを見ている。「別に大したことはしていない」「いつも通りクラスメイトたちと授業を受けただけだ」などと適当に言い逃れができないことは知っている。(過去に何度かそのように伝えたことがあるのだが、曖昧な回答は一切受け入れてもらえず、余計に話がこじれるという結果になってしまった)
アズール先輩はわたしが何時に起床し、朝食に何を食べ、何時に寮を出て学校に行き、どの授業に出て(その際、隣の席に誰が座っていたのかを伝えるのも忘れずに)、昼食に何を食べ、授業の合間にクラスメイトとどんなことを話し、またクラスメイト以外の生徒とどのような接触があったのかを知りたいのだ。
―――そう、これは尋問だ。
アズール先輩はなぜ、こんなことをするのか?…別に特別な理由があるわけではない。これはいたって普通の風景、つまりこの尋問は彼の日課のひとつなのだ。
わたしと彼は恋人同士だ。そして、恋人となったその日からこの”尋問”ははじまった。なお、交際をはじめてからというもの、この尋問が執り行われなかった日は一度もない。
「ええと……今日は7時過ぎに起きて、」
「たしか、起きてすぐ僕にメッセージを送ってくれましたね」
わたしが自主的にメッセージを送ったわけではない。「朝起きたらまず、僕にメッセージを送るように」と彼に義務づけられているからだ。
「はい、それから今日はシリアルと目玉焼きを食べて、コーヒーはグリムが淹れてくれて…」
「最近、シリアルばかりですね。お店の残り物で恐縮ですが、あとでモストロ・ラウンジ特製のマフィンを差し上げましょう」
「……ありがとうございます。それから……なんでしたっけ?」
「学校に向かったんですね?」
「あ、はい。グリムと一緒に寮を出て、途中でエースとデュースに会って……」
アズール先輩は突然、組んでいた手をほどき右手をこちらに伸ばした。そして、わたしの頬を撫でたあと、髪に指を絡ませ悪戯をする。彼はいつもそうだ。わたしの口から男の名前が出ると嫉妬し、わざわざわたしに触れるような真似をするのだ。
しかし、そんな行為にも慣れているわたしは、そのまま昼食までの経緯を彼に話す。
「授業が終わったあと、エースとデュースとグリムで大食堂に行きました。今日食べたのは、シーフードパスタ……あ、ペスカトーレ、って言うんですっけ」
するとアズール先輩は「おやおや!」と大げさに驚いた声を出した。
「ペスカトーレだなんて……あなたまさか、タコを召し上がったんじゃないでしょうね?」
アズール先輩は目を細め、意地悪な表情を浮かべながら質問してくる。
「あ……その、食べてしまいました」
「ああ、ナマエさんはなんてひどい人なんだ」
悲劇ぶっているのは口調だけで、彼はとても嬉しそうだった。正直なにが嬉しいのかは分からないが、わたしが海の幸を口にしたという話をすると、アズール先輩はよくこうやってわたしをからかった。
「午後の授業は錬金術でして、合同授業ということもあり、その……ジェイド先輩とペアを組みました」
「……ジェイドと?」
「はい、あの、たまたま近くにいたので、」
「それは、あなたからペアを申し出たということですか?」
「いえ、なんというか、その……」
「ジェイドの方から、というわけですね」
「……はい」
アズール先輩は明らかにご機嫌斜めになったようで、冷たい目でこちらを睨んでいる。
「ジェイドとはどんなことを話したんですか?」
「え?いや、特に何も……」
「ペアになった人間と一言も話さず授業を進めるなんて無理な話です。怒りませんから、どんな会話をしたのかおっしゃってください。ね?」
そう言ってアズール先輩は笑みを浮かべたが、目はまったく笑っていなかった。ここで抵抗しても何も良い結果を生まないと分かっているため、わたしは溜息をついて話を続ける。
「その……アズール先輩との交際は順調なのかと、聞かれました」
「本当は?」
「ほ、本当は、とは?」
「あの男がそんなわざとらしい質問をするはずがない。本当はどんな質問をされたんです?」
「あー………そのぉ……」
アズール先輩の射るような視線から逃れるように、自分の前に置かれたティーカップに目を落とした。なみなみ注がれたホットティーはとっくに冷めきっている。
「もうキスはしたのか、と聞かれました」
「……それで?」
「は?」
「それだけですか?もっと不躾な質問をされたのでは?」
「……あの…はい。その先の関係にもおよんだのかと、聞かれました」
「………ほう」
「ごめんなさい…」
「なぜ、あなたが謝るんです?失礼なのはあの男でしょう」
「それは、そうですが…」
「それにしても、僕とナマエさんの関係を詮索するなんて、いい度胸だ」
そう言って彼はソファから立ち上がり、向かいに座っていたわたしのもとに来る。黙って見下ろされていると、緊張して体が強張る。いったい彼は何を考えながらわたしを見下ろしているんだろうか。
「ナマエさん。僕とあなたは、まだキスのひとつもしていませんね」
「はい」
「ですから当然、体を重ねてなんかもいない」
「…はい」
「それはなぜか……理由を考えたことはありますか?」
「え……」
わたしとアズール先輩がキスをしない理由、体を重ねない理由―――そんなの、もちろん考えたこともない。そもそも、なぜわたしたちが付き合っているのか、それすらも不明だ。アズール先輩の口車に乗せられ、脅され、揉みくちゃにされ、そして気づけば”恋人”になっていたのだ。こうやってわたしと付き合うのも、何か策略があってのことなのだろうと、仕方なくこの現実を受け入れているだけで、別にわたしは彼に対し特別恋愛感情を抱いているわけではない。
「あなたが、まだ僕を好きじゃないからですよ」
「………」
「自分に惚れていない相手にキスをする、体を重ねる……僕はそんな非紳士的な行為はいたしません」
「非紳士的…ですか」
「おや……引っかかることでも?それとも何か?もしかしてあなた、ようやく僕を好きなってくれたんですか?」
そう言って彼はわたしの隣に座る。ゆっくりとソファの沈む感覚がして、わたしの体はアズール先輩の方へ傾いた。すると彼は、ここぞとばかりにわたしの耳に口を寄せる。
「本来なら、あなたを押し倒して無理矢理に唇を奪ったっていいんだ。でもそんなこと、僕はしない。……あなたに本当に愛されたいから」
びっくりして彼の顔を仰ぎ見ると、アズール先輩は凛とした品のいい笑みを浮かべた。
「やっと分かっていただけましたか?僕の気持ち」
「あ……はい、…いや、その、」
気持ちは分かった。けれど、それほどまでにわたしが好きなのであれば、アプローチの方法も、距離の縮め方も、もう少しやり方があったのではないか?と思わずにいられない。もう少し素直に気持ちを伝えてくれたなら、案外スムーズに付き合ったかもしれない。毎日わたしの行動を詮索し、束縛するような真似をしなければ、2人の距離はもっと縮まっていたかもしれない。
「あなたの考えていること、手に取るように分かりますよ。僕のやり方があまりにもめちゃくちゃだって、そう言いたいんでしょう?」
「………」
「ふふ、僕もそう思いますよ。でもね、そうせずにいられなかったんです。僕ってこう見えて、恋愛には不器用なので」
「ははっ、自分で言いますか?」
「…恋人には甘えた姿を見せたっていいでしょう」
そうやって少し拗ねた顔をするアズール先輩は、いつものすまし顔なんかよりずっと良かった。
「あなたに好かれるよう、僕はこれからも努力します。だからナマエさんも、そんな僕を見ていてください」
彼はもう一度、わたしの髪に指を絡める。それでも嫌悪感を覚えないのは、彼がいやらしい触れ方をせず、わたしを一人の人間として尊重してくれているからだ。
「……愛しい人、早く僕のものになっておくれ」
アズール先輩は小さな声でそう呟くと、ゆっくりとソファから立ち上がった。そして「紅茶が冷めてしまいましたね、淹れなおします」と言って、わたしと自分のティーカップを回収した。そうしてVIPルームを出て行く彼の後ろ姿を見つめていると、なぜだかじんわりと心臓が温かくなっていくような気がした。
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