答えは左手に

今思えば、あれはわたしとケイトの”喧嘩”だったのかもしれない。
久しぶりに地元・輝石の国に帰ってきたケイトとお茶をする、それはいつものことだ。でもその日の彼は、いつもよりちょっとだけお喋りだった。途中から学友のことなんかも話しはじめて、話題についていけなくなった。だから、こんな皮肉を言ってしまったんだ。
「お喋りのフリなんかしちゃって」
するとケイトは黙り込んだ。それから薄く笑みを浮かべて「そうだね」と言った。
「うん、オレってナマエといるときは、いっつも静かだもんね。ごめん、学校にいるときのテンションから切り替えられてなかったっぽい」
そう言ったケイトの表情は心なしか寂しそうで、彼に余計なことを言ってしまったと後悔するにはもう遅すぎた。

それ以来、ケイトはわたしに連絡を寄こさなくなった。マジカメの方は毎日欠かさず更新しているようだが、これまでのように、わたしに他愛のないメッセージを送ってくることはない。怒っているんだと思った。わたしの失礼な発言で、彼を傷つけてしまったんだと思った。

でも一方で、わたしの気持ちを汲んでくれなかったケイトもケイトだ、なんて女々しい考えも捨てきれずにいる。久しぶりに会う友人に対し、顔も見たことのない人間の話をし続けるなんて。わたしはケイトと昔のようにくだらない話をして、ダラダラと2人だけの時間を楽しみたかったのに。それなのに、ケイトだけが変わっていく。わたしの知らないケイトになっていく。それが無性に許せなかったのだ。

わたしの知るケイトは、見た目の割に控えめな性格の人間だった。人の気持ちを汲み取るのが上手な気遣いしいで、あえてムードメーカーを買って出ていたように思う。けれどその実、ちょっと突けばたちまち崩れてしまうほど繊細な心を持っているのである。だからわたしは、わたしの前だけは、”素”のケイトでいてほしかった。そして、わたしにだけそんな”素”を見せてくれる彼が大好きだった。

+ + +

ケイトと連絡を取らなくなってから半年もの月日が流れた。1日に一回は、彼に連絡を入れようかとメッセージアプリを開く。でも結局、何も文字を打たずにそれを閉じてしまう。ケイトのことを1日だって忘れたことはないのに、わたしも意地になってしまい、連絡を取れずにいたのだ。

季節はすっかり移ろい、輝石の国でもときどき雪がチラつくようになった。夏以来、一度もケイトに会っていないんだ…なんて白い息を吐きながら街を練り歩いていると、ときおりケイトみたいなカッパーオレンジの髪をした若者を見つけて心臓が飛び上がってしまう。それから無性に空しくなるのだ。


―――そんなある日の夜のこと。
その日は一際冷え込んでおり、どれだけストーブを焚いても体が凍えてしまった。これじゃあ眠れそうにないと、ジンジャーたっぷりのレモンティーを淹れていると、ポケットの中でスマホが震えていることに気づく。ティーポットを片手に持ったまま、反対の手でスマホを取り出した。
「あっ、つ!」
液晶に表示された名前を見て、驚きのあまりポットの注ぎ口がティーカップから逸れた。そのせいで熱々のホットティーが腿辺りに垂れてしまう。わたしは慌ててポットを置くと、スマホを両手で包み込んだ。スマホは着信を知らせる振動をわたしに送り続けている。そしてわたしは一つ深呼吸をすると、画面をタップし、スマホを耳に当てた。
「もしもーし?ナマエ?」
「あっ…う、ん」
「久しぶり〜けーくんだよぉ」
あははっと軽快に笑い声を上げるケイトは、半年ぶりに連絡を取ったとは思えないほど”いつものケイト”だった。


ケイトが突然わたしに電話をしてきたのは、わたしと会う約束を取り付けるためだった。なんでも、来週末に輝石の国に帰る予定があるらしい。
「姉ちゃんの誕生日があってさ〜家族全員で祝わなきゃいけないわけ」
そう言って溜息をつくケイト。彼が両眉を下げ、苦笑いをしている顔が目に浮かぶ。
「だからさ、ついでといっちゃあ失礼だけど、久々に会おうよ」
そうやって誘ってくれるのは本当に嬉しかったけれど、わたしはこう訊きたくてたまらなかった。「怒ってないの?」と。
「ねぇ、どう?ナマエ」
ケイトが優しい声で尋ねてくる。
「もちろん、いいよ。楽しみにしてる」
わたしの口から出たのは、思った以上に弾んだ声だった。

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約束の日はあっという間にやってきた。
当日、いつもより時間をかけて身支度をしている自分に気づき、恥ずかしくなる。何を意識しているんだか。ケイトとは、着古したパーカーとジーンズで会うような仲なのに。

約束の時間は夕方16時30分。輝石の国のシンボルである、ちょっと気取った噴水とオブジェのある広場で待ち合わせだ。約束の時間の10分ほど前に広場へ行くと、ポンパドールスタイルの男性がスマホをいじっている。彼はわたしの足音に気づき、こちらに顔を向けた。そして、垂れ目の目じりをさらに下げて相好を崩す。
「おっ、早いじゃん〜!」
「…ケイトこそ」
「ていうかちょー寒くない?早くお店いこっ!」
久しぶりに会うケイトは拍子抜けるくらいいつものケイトで、それでいてこの街の中で一際あか抜けていた。柄にもなくドギマギしそうになってしまった自分をごまかすため、すらりとしたケイトの背中に一発パンチを入れる。
「わっ、いったぁ!暴力はんた〜い」
「暴力じゃありません」
「なになに?久しぶりにオレと会って、距離感分かんなくなっちゃった?」
ときどきこうやって核心を突くようなことを言うのも、変わらない。
「ま、ナマエだって綺麗になったんじゃない?」
「うるさいわね、わたしはもともと美人よ」
「うわー…自分で言う?」
こんな風にくだらないことを言い合う感覚に懐かしさを覚えつつも、やっぱりわたしの心はどこかリラックスしきれていなかった。


ケイトとやって来たのは、最近輝石の国でオープンしたオーガニックカフェだ。有機野菜・果物をたっぷり使ったスムージーやジェラート、パンケーキが目玉メニューで、その他のドリンクもすべてオーガニック尽くし。「紅茶は寮で飲みまくってるから」と言ってケイトはコーヒーとセサミクッキーを頼んだ。セサミクッキーは唯一甘さのないクッキーらしいのだ。わたしはラベンダーティーとカップケーキを頼んだ。

そうしてわたしたちは、この半年間のブランクを感じさせないかのように、いろんなことを話した。わたしが最近学校で受けた授業のことを話すと、ケイトも学校生活で起きた面白おかしい事件のことを話す。わたしが家族のことを話すと、ケイトは自身の姉の誕生日会のことについて話してくれた。そして、ときどきわたしたちは示し合わせたように黙り込む。黙ってコーヒーやお茶を啜りながら、ウィンドウ越しに行きかう人々の姿を眺めたりした。

「ねぇ、ナマエ」
ケイトが静かにわたしの名前を呼んだ。伏し目がちの彼のまつ毛が長くて、羨ましいな…なんて思ってしまう。
「半年前のこと、覚えてる?」
「……うん」
「あのときは、ごめんね。ちょっとオレ、テンパってたんだ」
「え?……いや、あれはわたしが悪かったから。ケイトは謝らないで」
結局、こうやって謝る機会もケイトが作ってくれる。情けないと思いつつも、わたしはケイトに頭を下げる。
「ひどいこと言って、ごめんね」
「そんな、いいって!なんていうか、ほんと、あの日のオレちょっと変だったし…」
ケイトは、謝らないでくれ、というように手をひらひらとさせて笑う。

「あのね。あの日オレ、ナマエに渡したいものがあったんだ」
そう言ってケイトは、鞄から小箱を取り出す。
「半年間寝かせちゃったんだけどさ、受け取ってくれる?」
テーブルの上に置かれたネイビーの小さなボックスには、リボンも何もかかっていない。首を捻りながらも、わたしはその片手ほどの大きさのボックスに手を伸ばす。丁寧に小さな蓋を外した。

「……えっ」
「………」
小さく声を上げたわたしを、ケイトは黙って見ていた。ボックスの中央にはふんわりとしたベルベット生地の隙間に、ちょこんと一つの指輪が埋まっている。指輪には薄桃色の魔法石が埋まっていた。形も色も美しい魔法石で、一見するとダイヤモンドのようにも見える。
「ま、待って、ケイト。これは、そのっ……」
「…………っぷ」
「……わたしを、からかってる?」
「ごめんごめん!今のはそういう笑いじゃなくて!なんていうか、あまりにもナマエの反応が可愛かったから……」
ケイトは慌てて謝ると、わたしからひょいとボックスを取り上げた。

「実はさ、学校で簡単な観賞用魔法石を作る授業があったんだ。それぞれ、好きな色の魔法石を作っていいってことになったんだけど……で、オレが作った魔法石がコレ」
彼は指輪を取り出すと店内の照明に透かして見るように、顔の前にそれを掲げた。
「クラスメイトの中にはさ、作った魔法石をアクセサリーにして彼女に贈る、なんて言ってる奴もいて。まあ、オレは彼女なんていないし、関係ないと思ってたんだけど……」
ケイトは片目を瞑り、指輪の穴を通してわたしのことを見る。
「……気づけば、作っちゃってたんですよねぇ………コレ」
悪戯っぽい表情がこの上なくキュートなのが、憎らしいくらいだった。わたしは彼から目を逸らし、ラベンダーティーで唇を湿らせる。状況が読めない不安で、じわじわと確実に脈拍が上がっていた。

「どうしちゃったんだろうねオレ。今まで、ナマエにプレゼントしたことなんて一度もなかったでしょ?そりゃ、誕生日にご飯くらいは奢ったけどさぁ……」
まるで独り言みたいに、ケイトが言葉を続ける。
「でもね、作っちゃったんです、指輪。他の誰でもない、ナマエに贈るための指輪を」
そうっと伏せていた目を上げると、ケイトと目が合った。澄んだエメラルドグリーンの瞳が優しく細められる。わたしはケイトの笑い顔が大好きで、こんな状況でも、やっぱり彼の笑顔が好きだと思ってしまった。

「…ってことで、もう分かったよね?半年前、オレはこの指輪をナマエにあげようと思って、もう信じられないくらい浮き足立ってたの。そしたら”お喋り野郎”だなんて言われちゃってさ……もう、けーくん超ショック!」
「お、お喋り野郎だなんて言ってないでしょ!まあ、それくらいひどいことは言ったけど……」
「ふふ」
ケイトは自分の手の平の中にある指輪を見下ろした。角度によって魔法石はさまざまな輝き方をする。決してギラギラはしていないのに、不思議と存在感を放つ、上品な魔法石だ。
「あれからずっと考えた。オレと、ナマエのこと。オレたちの関係。そして、コレを渡すことについて」
「………」
「ずっと分かってたんだ。コレを渡しちゃったら、オレたちはこれまでの関係でいられなくなる。オレも、君も、自覚しちゃう。そう、ある意味…”終わっちゃう”んだ、これまでの関係が。それでもいのか…ってね」
彼の言葉ひとつひとつが、わたしの心臓を攻撃した。息が苦しい。それでも、ケイトの言葉の続きが聞きたくてたまらない。
「でもね、半年間悩み続けて、オレの気持ちは変わらなかったんだ。やっぱり君に渡したいって、そう思った」
ケイトが顔を上げる。その表情は清々しく、迷いがどこにもない。


「ねぇ、ナマエ。オレ……君が好きなんだ。ずっと、ずっと好きだったんだ。だからこの指輪、君に贈ってもいいかな?」


―――彼のその真摯な言葉を聞いてまず感じたのは、激しい後悔だった。
なんということだろうか。きっと、それを最初に自覚したのはわたしだったんだ。でも、報われないんだと勝手に決めつけ、だから彼の友達というポジションに居座り続け、それでケイトを独り占めしようと必死だった。わたしはなんてみっともない女だったんだろう。それなのに、結局ケイトの方から言わせて……情けなくて、恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。

気づかないフリをして、回り道をして、くだらない喧嘩をして、本当にごめん。そう言いたいのに、胸がつまって上手く言葉を紡げない。だから、わたしは震える右手を彼の方に差し出した。ケイトは一瞬キョトンとした顔でわたしの右手と、わたしの顔を見比べた。それから、クスリと小さく笑う。
「どうせなら左手出してよ」
今度こそ、顔から火が出ていたと思う。額に燃えるような熱を感じながらも、わたしは右手を引き、かわりに左手を彼に差し出した。ケイトがわたしの手を取り、薬指に優しく指輪をはめてくれる。わずか1〜2秒の出来事だったはずなのに、指輪がわたしの指をくぐるまでの時間が随分と長いもののように感じた。

「これからはさ、毎日連絡してもいい?」
指輪をはめたわたしの左手を両手で包み込みながらケイトが言った。
「…もちろん」
小さく掠れたわたしの声に、ケイトはにっこりと優しく微笑んでくれる。彼に言いたいこと、謝りたいことがあるけれど、今ははち切れそうなほどの幸せに押し潰されて何も言えなかった。もちろんケイトはそれを分かってくれていたから、大きな温かい手でわたしの両手を包み込み続けてくれた。


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