14.変化

リドル寮長がわたしの目を治療してくれた、あの出来事以来、わたしは彼と会うのが少し怖くなってしまった。怖いというか、恥ずかしいというか、とにかく非常に気の進まないネガティブな感情がわたしを支配している。それなのに、いつもみたいな気軽なやり取りをしたい、そんな気持ちを抱いている自分もいた。

一体どうしてしまったんだろう。自分の急な気持ちの変化に戸惑う。リドル寮長に、目の腫れ上がった醜い姿を見られたのがそんなに嫌だったのだろうか?わたしってそんなに女々しい人間だったろうか?などと考えては、一人情けない気持ちになっている。

それに当然のことだが、同じ学園に通うリドル寮長とまったく会わないように生活するなんて、できるわけがない。いくら周りに視線を走らせ、近くに彼がいないかたしかめながら移動していたって、この広い学園のどこから寮長が現れるかなんて分かったものではないからだ。だから結局、わたしは彼に見つけられてしまう。


「ナマエ」
その声は背後から聞こえてきた。ビク、と小さく体が反応し、体温が急激に上がるような冷えるような…変な感覚がする。わたしがいつまで経っても振り返らないからなのか、名前を呼んだ人物はわたしの隣までやってきた。
「やあ。その後、目の調子はどうだい?」
親し気に声をかけるリドル寮長はわたしの顔を覗くように少し顔を傾ける。その瞬間、わたしは思いきり顔を逸らしてしまい、その数秒後に大きな後悔を覚えた。「…む」と明らかに不服そうな短い唸り声が聞こえる。わたしは慌てて顔を戻すと「はい、問題ないです」と笑顔を繕った。でも自然と視線は落ちていき、気づけば自分の足元を見ている。

誰に指摘されなくても分かる。わたしは何かがおかしい。そんなわたしのおかしさに気づかないくらい、リドル寮長がものすごく鈍い人だったらなぁと思うが、現実はそう甘くはない。
「どうしたんだい、ナマエ。様子がおかしいけれど」
そうハッキリと指摘されてしまった。さらに彼はもう半歩こちらに近づき、もっとしっかりとわたしの顔を見ようとする。
「もしかして、まだ違和感が残っているんじゃ……一度ボクに見せて、」
「だ、大丈夫なんです、本当に」
これ以上この場にいるのは耐えられなかった。「失礼します」と言ってわたしは駆け足で廊下を抜ける。鈍い罪悪感が残り、リドル寮長と以前のようなコミュニケーションが取れない自分にも苛立ちを感じた。

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一週間が経過しても、そんな自分の挙動が改善されることはなかった。リドル寮長がわたしを治療したときに、何か変な魔法でもかけたんじゃないかと疑いたくなってくる。でも彼と上手くコミュニケーションが取れないということを除けば、これまでの自分とまったく変わらないのである。エースやデュースとくだらない話をする自分も、グリムと協力して魔法薬を作る自分も、以前と変わりない。それなのに、リドル寮長とだけは上手く話もできない。まるで遅すぎる思春期がやってきたようだと笑いたくなってしまうほどだ。

それから間もなくして、わたしは再び校内でリドル寮長と遭遇することになる。今度は正面から彼がやって来た。思わず回れ右をしそうになったけれど「お待ち」と鋭い声が飛んできたので、動けなくなる。

やがて彼はわたしの前までやってくると、「やっぱりだ」と呟いた。リドル寮長はぎゅっと眉根に力を入れ、軽くこちらを睨んでいる。その視線から逃れるように、彼の右手辺りをぼんやりと見つめていた。
「理由なくボクを避けてはいけないよ、ナマエ」
「それはハートの女王の法律ですか?」
「別に……そんな法律はないけれど」
「じゃあ…いいじゃないですか」
開き直るような物言いには若干抵抗があったが、この場を切り抜けるにはこうするのが一番だと思った。「それじゃあ失礼します」と彼の脇を抜けようとする。しかし、いつの間にか腕を掴まれていて先に進めない。ちらりとその顔を横目で見ると、彼は怒ってるというより不安を感じているように見えた。

「ナマエ、もしかしてボクはキミに何かした?」
「………」
「急にボクを避けるなんて、きっとよっぽどのことなんだろう。ボクに非があるのなら、きちんと謝りたい。だからその…教えてくれないかい、ボクの過ちを」
リドル寮長はどこまでも真っすぐな人だと思った。一方的にわたしを責めることはしない。自分を改めようとさえしている。そんな人を、自分のよく分からない感情で傷つけたことに、わたしはますます罪悪感を感じた。


「ごめんなさい、ちょっと…分からないんです」
「……え?」
「わたし、リドル寮長と会うのが怖いんです」
寮長の息を呑む音が聞こえる。きっと今、そのやや吊り上がった目を大きく見開いているのだろう。
「顔を見られるのも…恥ずかしいんです」
「どうして……」
「分からない、分からないですけど、でも」
わたしの腕を掴む彼の手の熱を感じながら、なんとなく真実が見えはじめていることに気づく。
ああ、そうか。”近い”んだ。今、わたしと寮長はとても近くにいる。わたしの醜い姿を目の当たりにし、それを治療した―――あの出来事がわたしたちの距離を縮めた。(そう思っているのはわたしだけかもしれないけれど)

寮長はいわばわたしの”恥部”を目の当たりにしている人物なのだ。わたしの見られたくない姿を見た唯一の人。けれど治療を終えたとき、わたしがどんなに醜い姿だったかと尋ねたとき、彼は「覚えていない」「治療前の状態をわざわざ覚えておく必要はない」と言って気遣ってくれた。リドル寮長にとっては本当にどうということのない出来事だったのかもしれない。でもわたしにはその言葉が恥ずかしくて、嬉しくて、どこか”特別”なものになってしまったのだろう。

そう自覚した瞬間、わたしはかつてないほどの羞恥を覚える。
「どうしたんだい、今度は顔が真っ赤に……」
「ごめんなさい。ちょっと頭冷やしたいんで、寮長、手を…」
「あ、ああ、これは失礼……」
そういって手を離そうとしたリドル寮長だったけれど、なぜか口をつぐむ。そして、手を離してくれる様子はない。


「…ナマエ、近々ボクと話をしよう」
「え?」
「一度キミとゆっくり話がしたいと思っていたんだ」
なぜ突然そんな提案をしてきたのか分からない。しかし「いいね?」と念を押すリドル寮長に先ほどまでの不安げな様子はなく、むしろ何かを決意したかのような強い調子があった。有無を言わさぬ、並々ならぬ気迫に「YES」以外の選択肢がないのだと察する。渋々頷くと彼はやっと腕を解放してくれた。
「詳細はまたスマホで連絡するから」
リドル寮長はそう言い残すと、さっさと歩いて行ってしまった。

そうして一人ポツンと残されたわたしの制服のポケットでスマホが震える。まさか、寮長がもうメッセージを?と思うも、送り主はエースだった。課題に関する連絡らしい。メッセージを開かず、もう一度ポケットにスマホを戻すと、わたしはトボトボと歩き出す。リドル寮長に突然妙な約束を取りつけられてしまったことに頭を抱えるのは、後でもいいだろう。だから明日の天気とか、今日の夕飯のこととか、必死で関係のないことを考えながら、ゆっくりと足を交互に出した。


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