「お前、ジャミルのことが好きなのか?」
移動教室の合間、廊下で出会ったスカラビア寮長は挨拶もそこそこに、そんなことを尋ねてきた。なんなんだ、唐突に。喧嘩でも売ってるのか。わたしが不信感を滲ませると、「ああ、悪い!」と彼は焦ったように手を振った。
「違うんだ、深い意味はなくて。ほら、お前ってよくジャミルにいろいろ相談してるじゃないか。料理のこととか、勉強のこととか」
「それはそうですけど…」
「オレから見ても2人って仲が良いから、なんつーか、お前にはそういう感情があんのかなぁって」
「は?ありませんけど」
つっけんどんに否定すると、スカラビア寮長は「ぷ」と小さく吹き出す。
「なんだか口癖まで似てきちまったなぁ、ジャミルと。あ、別にそれが悪いってことじゃないぜ!」
それから彼は白い歯をにぃと見せてわたしに微笑む。太陽みたいにキラキラとした、わたしには眩しすぎる笑顔だ。
「ジャミルと仲良くしてくれてありがとうな。これからもよろしく頼むぜ」
「……はあ」
そんなこと、よろしくされなくても…と思いつつ、わたしは教科書を抱え直す。そろそろ行かなければ授業に遅刻してしまう。
「なぁ、監督生」
まだ話が続くのか、と今度はもっと明らかにうんざりした顔を示した。すると、空気の読めない彼でもさすがに焦ったのか、「ああ、ええと、その…」としどろもどろに、結論を急ぐがどうか迷って見せる。それからはっきりとこう言った。
「あのさ、今夜、オレの部屋に来ないか?」
瞬時にさまざまな疑問が頭に沸き上がった。が、それはやがて一つの疑問に集約された。”なぜ、わたしがあなたの部屋に行かなくてはならないのか?”。
一方スカラビア寮長のほうも、自分の発した誘い文句にさまざまな落ち度があることに気づきはじめたらしい。「あ!いや、違うんだ!」と一人で焦って言い訳をしはじめそうになったので、わたしは静かに右手のひらを前に出す。
「いえ、行きません」
行きません、という文字が手のひらに書いてあるかのように、彼はわたしの手に見入っていた。それから分かりやすく肩を落とし「そっか」と言った。力なく笑った彼の顔は、このうえなく情けなかった。
わたしとジャミル先輩の仲が良い、というのは事実だった。ジャミル先輩は気難しい性格だけど、余計なことをしなければ基本的に親切にしてくれる。また彼が非常に腹黒い人物であるのも間違いないが、わたしにとってはそれがむしろ清々しく、親近感さえ覚えるのだった。
というのも、わたしもスカラビア寮長・カリム先輩のような底抜けに明るい世間知らずの人間が苦手なのである。空気が読めないくせにおせっかいで、後先を考えない快楽主義。自分の行動が相手にどれだけ迷惑をかけるのかも考えず、我が道を突き進むお坊ちゃま。そんな彼の面倒を任されているジャミル先輩の苦労は計り知れないが、それでも完璧にカリム先輩のサポートをこなすジャミル先輩はやはり優秀な人物だと思う。
わたしはジャミル先輩を尊敬しているし好きだ。そこに異性としての好意はないが、優秀なジャミル先輩がたまに愚痴をこぼしてくれるような、そんな間柄になれたら良いなとは思っていた。そうはいっても、他人にはわたしが彼と恋仲になりたがっているように見えるのかもしれない。もう一度言うが、わたしは断じてジャミル先輩の恋人になりたいわけではない。だから、そのような勘違いをされるのは正直腹が立った。
+++
一日の授業をすべて終え、オンボロ寮に向かって歩いていると「監督生」と声をかけられる。振り返ると、これから部活にでも行くのか、運動着姿のジャミル先輩がいた。
「今、帰りなのか」
「はい、寮に戻るところです」
そうか、と相槌を打つジャミル先輩はどこか気だるげである。何か面倒事を抱えている、という雰囲気だ。
「あのう……何かありましたか」
こちらから水を向けると、ジャミル先輩は小さく溜息をついてから口を開く。
「ああ、その…先日うちのカリムが妙なことを言ったそうじゃないか」
「妙なこと……あ、」
「その件について、”他意はなかった、不快な思いをさせて申し訳なかったと”、との言付けを預かっている」
「はあ、そうですか…」
「それで、”お詫びといってはなんだが、今夜宴を開くから参加してくれないか”…とのことだ」
「………」
「俺は君が参加しようがしまいが、どちらでもいい。ただ、一つだけ助言しよう。ここで君が参加を断ると、カリムは次に一緒に昼飯でも食おうと提案してくる。それを断ると、今度は勉強会だの、部活の見学に来いだの…まあ理由はなんでもいい。とにかく君がYESと言うまで”コレ”は続くだろう」
「どうしてそんなに…」
「それはカリム本人に聞いたらどうだ?」
ジャミル先輩はゆるりと両腕を組むと、目を細めわたしを見下す。
「監督生、俺は君のことが嫌いではない。カリムほど厚かましくはないし、時折有益な情報をもたらすこともあるからな。でも、できれば君たちの面倒事には巻き込まないで欲しいね。君とカリムとの問題は、2人でどうにかしてくれ」
「あの、お言葉ですが、わたし別にカリム先輩となんの問題も抱えていませんけど」
「ふん」
ジャミル先輩は小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「分からないのか?あいつは君に執着しているんだよ」
しゅうちゃく、と頭の中でその言葉を繰り返す。しかし繰り返したところで、根本の謎は解けない。
「どうして」
「だから、それは今夜カリム本人に聞いてくれ」
「………」
「じゃあ日が落ちたら迎えに行く、身支度をしといてくれよ」
そう言ったあと、ジャミル先輩は小さく笑った。
「なに笑ってるんですか」
「…すまない、忘れてくれ」
「ちょっと、」
「いや……なんというか」
口元に手をあてるジャミル先輩は真剣な顔を装っているが、口元の笑みは隠しきれていなかった。
「俺以外の人間がカリムに迷惑をかけられているのは、思ったよりも爽快だったもので…」
このときほどジャミル先輩に憎しみを覚えたことはほかにない。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + +
その夜―――豪勢な食事に陽気な音楽、食べて飲んで歌って踊っての大変賑やかな宴が開かれた。頼みの綱であるジャミル先輩は食事の支給で忙しそうで、わたしとカリム先輩との間に入ってくれる様子はない。カリム先輩はさまざまな食べ物や飲み物をわたしに勧め、仕方なくそれらをモソモソと口に運ぶわたしを見て満足げな顔をしている。それから時折、思い立ったようにほかの寮生たちと一緒に歌や踊りを披露した。心から楽しそうな顔をしていた。そうして、流されるままにこの空間に身を置いてどれほどの時間が経ったのだろうか……突然カリム先輩がわたしの肩を突いた。
「ちょっと外の空気を吸わないか?」
チラリとジャミル先輩の方を見たが素知らぬ顔をしてほかの寮生と会話をしている。わたしは溜息をつきたいのをなんとか我慢すると、わたしが立ち上がるのを手伝おうと差し出されたカリム先輩の手を取らず、ゆっくりと腰を上げた。
カリム先輩に案内されたのは、寮の敷地内を一望できるテラスだった。すぐ眼下にはライトアップされた噴水やヤシの木が、そしてはるか向こうには美しい砂漠が広がっていた。オンボロ寮から見る景色とはまるで違う。異国に迷い込んだような心地でそんな景色を眺めていると、ふわり柔らかい感触が体を包んだ。
「夜はちょっと冷えるんだ、不思議な気候だろ」
カリム先輩がわたしにかけてくれたストールからは、彼自身から漂うようなスパイシーな香りがする。もしかしたらこのストールは彼の私物なのかもしれない。少し複雑な気持ちだ。
「なぁ、監督生。このあいだは、その、悪かったよ。オレの部屋に来ないか、だなんて…下心丸出しみたいに聞こえちまっただろ?オレ、全然そんなつもりはなくて…。ただオレは、お前とこんな風に一対一で話がしたかったんだ」
石でできた欄干を意味もなく触りながら「いえ、気にしていません」と答える自分の声は、それこそ石のように固く素っ気ない調子だ。それでもカリム先輩はニコニコと朗らかな笑顔を崩さない。こちらは、この時間が早く終ればいいと思っているのに。
「監督生、オレお前のこともっと知りたいんだ。どんな食べ物が好きなんだ?得意なこととか…そうだ、休みの日は何をしてるんだ?もし暇ならうちの寮に遊びに来てくれよ!うちにはいろいろ遊ぶもんがあるから…」
そうしてカリム先輩は不自然に言葉を切る。それから絞り出すような声でこう言った。
「……オレは真剣に聞いてるんだぜ」
グイ、と突然体が引っ張られる。バランスを崩しそうになり、慌てて欄干を掴んで体を支えると、すっかり笑顔の消えたカリム先輩がこちらを見ていた。どうやら彼がわたしの体を包むストールの両端を掴み、自分の方へ引き寄せたらしい。
「答えてくれよ、ナマエ。オレってさ、全然空気読めないけど、お前がオレを好きじゃないってことくらい分かるんだ。だったら…どうすればいい、どうすればお前のお眼鏡にかなう男になれる?」
「は、はぁ?なにおかしなこと言ってるんですか…」
「だからオレは真剣だって」
笑顔が消え去ったカリム先輩の顔は、背筋が凍るほど怖い。火傷しそうな熱を持った真っ赤な瞳には力がこもり、唇は意志の強さが表れるように一文字に結ばれている。
逃げたい、と思った。素早く左右に目を走らせるも、周りには誰もいない。ほかの寮生たちはまだ宴の真っ最中なのだから、当たり前だ。
「逃がさねぇぞ」
ボソリ、とカリム先輩の口から恐ろしい言葉が零れる。
「オレさ、お前のことが好きだけど、ずっとオレを避け続けてオレという人間を見てくれなかったことには、けっこう怒ってんだ」
ぐらり、と体が動く。カリム先輩がまたストールを手前に引いたのだ。
「おかしい、でしょ。怒ってるのに、好きとか」
懸命に踏ん張っても、ジリジリと彼との距離が縮まっていく。どこにそんな馬鹿力があるんだと思ってしまう。
「そうか?まあオレも、怒っちまうくらい好きになった女はナマエくらいだな」
あっはっは、と笑い声を上げるも、その目はわたしを強く捉えたままだ。もう一度、怖い、と思った。その瞬間、ひと際強い力でストールが引かれ、カリム先輩の胸元に顔から突っ込んむ。
「……なぁ。お前って、オレのこと能天気でバカな金持ち男ぐらいにしか思ってなかったんだろ?」
耳元で聞く彼の声は、聴いたことがないほど低く妖艶な声色だった。
「半分当たってて、半分外れてるよ。あのな、オレはそんな絵に描いたような単純な人間じゃない」
カリム先輩が喋るたびに、彼の唇がわたしの耳に触れ、熱い吐息がかかる。
「だってオレは、強欲で嫉妬深くて、欲しいものを手に入れないと気が済まない、とんでもない我儘者なんだからな」
そう言って彼はわたしの耳たぶを甘噛みした。無意識に息を吸い込み「ヒュッ」と情けない音が喉から鳴る。でもそんなことにかまっていられないくらい、カリム先輩の豹変ぶりと甘やかな痛みとで頭がぐちゃぐちゃで、もう何も考えられなかった。
☞拍手☜