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 昨日は美少女に睨まれてから良い事が一つもなく、寧ろ放課後に飲み物を飲んでいたらこぼしたり、帰り道ですっ転んだり、露伴ちゃんにはっきりと無視されたりと嫌なことのオンパレードだった。ついでと言ってはなんだが、今日の授業がちんぷんかんぷんだったりと今日も災難続きだ。
 そんなまるで彼女が厄災だとでも言いたげな責任転嫁な考えを放り投げて、放課後を満喫することにする。昨日できなかった図書室にあるピンクダークの少年の読破を目指す。パッと見ると二十五巻くらいまで出ているようで、ジョジョならば三部の終わりらへん、ということになる。貸し出しを行っていないので今日中に読み終わるのは厳しいが、放課後の時間を利用すれば二、三日で読み終われるだろう。
 近くの席に腰を下ろして、五巻ほど漫画を積んだ。そうして一巻目のページを開く。一部だというのに絵柄は五部か六部といったところだろうか。そんな考察を片隅において、ピンクダークの少年に没頭した。









「そこの子たち、もう図書室閉めるわよ」

「へ……あっ、すみません! いま片付けます!」


 ピンクダークの少年で埋まっていた脳内に突然司書さんの声が入り込み、慌てて顔を上げた。司書さんに頭を下げながら漫画を元あった場所に戻した。図書室の時計を見ると、五時半を示している。高校の図書室にしては些か閉めるには早いような気がしたが、文句を言っても仕方がないので荷物を持ち上げて図書室を出た。


「あ、」


 そのとき声がかけられたような気がして振り返ると、昨日の美少女が苦い顔をして立っていた。どうやら彼女もわたしのことを覚えていたらしい。昨日の今日で出会ってしまって、わたしも思わず変な顔をしてしまった。それが気に食わなかったのか、厳しい目線がこちらを貫く。いたたまれない視線をどうやり過ごしたらいいのかと思いながら苦笑いすることしかできない。


「あなたたち、そこに立ってたら鍵閉められないんだけど?」

「す、すみません」


 司書さんが呆れた顔でそう言ってくれなかったら、美少女が何か反応するまでわたしは動けずにいたことだろう。頭を下げてその場からそそくさと離れることにした。そのまま昇降口に向かってしまおうとしたわたしの背中に、凛とした声が一言。


「助けたつもり?」

「へ?」

「昨日の、一体何なのよ。可哀想だから助けてやって、いいことしたなって?」

「え、あの、」


 反応しなきゃよかったな、なんて思ってももう遅い。頼みの綱であった司書さんは関わりたくないとばかりに早々にいなくなってしまったし、廊下にはわたしと美少女の二人だけ。美人なだけのことはあって眼力が強くて、ちょっぴり怖い。
 なんと言って答えたとしても彼女の機嫌を損ねるような気がして苦笑いが止まなかった。だんまりとしていると、彼女は苛立ったように声を荒らげた。


「迷惑なのよ、誰が助けてくれなんて言った!?」

「え、……えー…?」

「えーじゃないわよ!」

「あの、なんていうかまず、助けた、とかそんな恩着せがましいこと思ってないし」


 わたしがようやく言葉を発すると、次の言葉を促すかのように彼女は黙ってまっすぐに見てきた。ううう、眼力がすごすぎて怖い。何が気に食わないのかわからないけど、そんな目で見なくたっていいじゃない。言葉の続きを待たれているようなので、怒られるかもしれないがここははっきりと言わせてもらおう。


「わたしの行動が本当に迷惑かけたんだったら、それはきちんと謝るよ……でもね、ああやって囲まれてるのがあなたは好ましかったの?」

「そんなわけないでしょうっ!? アンタ、頭おかしいんじゃないの」

「じゃあ、何が迷惑だったの? わたしが発した声で煩わしいものがいなくなって、何が迷惑になるの?」

「それは……っ」


 饒舌だった彼女は打って変わって言葉を詰まらせた。明らかにこちらの言葉を待つのではなく、言い返せなくなってしまった、という感じだ。突っかかってきたのはそっちなのだから、できれば次の言葉を用意しておいてください。切りのいいところまで話さないとまた同じ展開になりそうなので、面倒ごとは早めに片付けておきたいのだが、彼女は口を開くことをしなかった。
 困ったなあ、と思考を巡らせているうちに、彼女はもしかしたらプライドが異常に高いのではないかという結論に至った。こういう口論をする手合いというのは大抵そうだ。そうに違いない、と勝手に決め付けてわたしが口を開いた。


「お礼を言われる覚えはあっても罵られる筋合いはないよ、とか?」

「っ、そういうのが嫌なのよ! ……って、とか、ってなによ」

「あなたが言われたくないことかなって」

「なっ……!」

「弱みを握られたくないとか、自分を下に見られたくないとか、そういうことでしょう?」


 違う?と聞けば、彼女は先ほどとは少し違った表情で声を詰まらせた。恥辱にまみれた顔とでも言えばいいのか。とにかく、図星なのだろう。言い当てられたくないことだったようで、彼女は唇を噛み締めて、ふるふると震えていた。
 言っちゃいけなかったかな、精神攻撃したみたいで嫌だなあ、なんて考えていたのも束の間、わたしの頬からばっちーん!と小気味の良い音と痛烈な衝撃を感じた。あまりのことに驚いて目をぱちくりとさせることしかできない。……ビンタだ、ビンタ。美人からのビンタだなんて一部の男性の憧れではないだろうか? 混乱しているのがよくわかる思考である。


「馬鹿にしないでよ…っ」

「や、別に馬鹿にしてな、」


 い、と続けるよりも早く、彼女が泣き出してしまって、わたしは慌てた。強気な美少女が泣くだなんてどうしたらいいかわからない!
 鞄の中からハンカチを出して渡せば、彼女はひったくるようにして目元を覆った。これはさすがに置いて帰れない。けれど彼女は言葉を発せない。仕方ないので背中を撫でながら、なるべく優しい声色で話しかけた。


「本当に、馬鹿にしてるとかじゃあないんだよ。そう思うことは誰にだってあるだろうし、プライドだってあっていいと思う。でもね、だったら尚更、ああやって追っ払われたことに関心なんて払わなくていい。面倒ごとが早く終わった、楽だった、って、利用してやればいいの。向こうが弱みだって思っても、あなたがだから何って言ってやればいいんだから」


 ただものすごく生きづらくなるけどね、とは言わなかった。そんなこと彼女も百も承知だろうし、言っててちょっとお説教臭いな、と思ってしまった。もうおばさんということだろうか。確かに二十代に乗ってるし、高校生から見たらそんな風に思われてしまうかもしれないが……わ、わたしはまだまだ若い! ……はず。
 変な思考に陥っていると、スピーカーからチャイムが流れ始めた。はっとしてきょろきょろと時計を探すと既に六時になっていた。学校から家までは結構遠い。夕飯の準備は炊飯器をタイマーでセットしてきただけだ。やばい。間に合わないかもしれない。追い出されるフラグが!


「やっやば、夜ご飯作んなきゃ!」


 床に置いていた荷物を慌てふためきながら持ち上げて、昇降口に向かって走っていく。けれど彼女が泣きっぱなしだったことを忘れていたことに気がついて振り返り、廊下の端から彼女に向かって叫んだ。


「自分のことわかってくれる相手見つけて、たまには素直になって自分を楽にしてあげなよ!」


 これまた説教臭くも鬱陶しい言葉ではあったが、あのままだと彼女が潰れてしまう気がしたのだから仕方ない。お節介というか傍迷惑というか……我ながらウザいとは思う。苦笑いをしながら帰路を急いだ。
mae ato

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