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 その日は珍しくも、オレも仗助も康一も由花子も、そしてナマエまでもが用事があるとバラバラになってしまった日。
 こうまでもみんなの予定が合わないことは珍しく、不思議な何かがあるのではないかと思ってしまった。けれど、たまにはこんな日もあるか、と用事である兄貴の墓参りをして帰ることにした。こないだ行ったばかりだったが、足を運ばずにはいられなかった。兄貴がいなくなってしまって、やることがなくなってしまったのだ。目標も生き甲斐も、消えてしまった。ふわふわして、地に足がつかないとはこういうことを言うのだろうとぼんやり思った。残ったのは、しばらく生活に不自由しないだけの金と新しくできた友達、そして化け物のように生かされている親父だけだ。
 そんな思考を打ちきって、帰りにトラサルディーにでも寄ろうかと、のんきなことを考えていると後ろから声がかかった。


「億泰くん?」


 振り返らなくてもわかる。こんなむず痒い呼び方をするやつは、オレが知っている中でひとりだけだ。振り向きかけたオレの横に走ってきて、にっこりと笑った。やはり想像した通り、ナマエだった。道の端でふたり、足を止めた。


「やっぱり!」

「おうナマエ、おめーいいのかこんなとこにいてよぉ」

「ん? なんで?」

「なんでって……ベンキョーすんじゃねェの?」


 受験生なんだろ? その言葉に対し、ぽかん、と間抜けな顔をしたかと思うと、ナマエは小さな声で唸り始めた。意味がわからず首を傾げていると、しまいには頭を抱えてブツブツと独り言をこぼし始めた。ここは人生の先輩として以下略……となんだか随分と面倒臭いことを考えているらしいことだけはわかった。そうこうしているうちにナマエの中でだけ話が完結したようで、苦笑いと言葉をオレに向ける。


「いや、うん、勉強するから用事があるって言った訳じゃないのよ。ごめんね手本にならない先輩で」

「不良に言う台詞かァ? それ」

「不良じゃなくて億泰くんに言ってるんですぅー」


 なんだかなァ、と思う。どこにでもいそうな普通の女のくせにどこかおかしい。それに先輩だなんてあんまり思えないナマエは、大層ガキっぽい。とても兄貴と同い年だったとは思えないほどだ。童顔というせいもあるのかもしれないが、それにしても行動が一々ガキ臭い。ナマエもきっと、オレに言われたくはないだろうが。


「で、億泰くんは何を?」

「あァ、兄貴の、墓参り」


 なんとなくはナマエも聞いているかもしれないとぼんやり思ったから、それ以上は言わなかった。口に出せば、きっと酷い言葉しか出ないはずだ。今思い出しても腸が煮えくり返るように熱くなるあの事件や兄貴のことを心の中だけで考える。あまりいい兄貴、とは一般的に言えないだろうが、それでもオレには最高の兄貴だった。かけがえのない、存在だった。


「億泰くん」

「あ?」

「一緒にお墓参りしてもいい?」


 ナマエはいつもみたいにへらっと笑った。変なやつなのはわかっていたが、本当に変なやつらしい。知っている人間の墓参りでも楽しくないのに、知らない人間の墓参りなんて行っても楽しいわけがないのに。ナマエがひやかしで来るようなやつじゃないとわかっているからこそ、不思議だった。来なくていい、と言う前に、ナマエはガッとオレの腕を掴み、歩みを進めた。


「お、おい」

「いいからいいから!」


 そんな調子のまま、オレを引っ張り、霊園の中に入ってずかずかと進んでいく。オレはため息を吐いてから、そこを右、だの、左、だのと進行方向を教えるだけだった。
 兄貴の墓に着く。こないだ来たばかりだから既に掃除も済んでいて落ち葉やなんかも積もってない。新しい墓石は未だ綺麗なままだ。目玉の奥が熱くなるようだった。ナマエはしゃがみこみ、墓石に目を落とす。


「に、じ、む、ら、」

「形兆。形に一十百千万億兆の兆」

「形兆さんね」


 ナマエはそういうと目をつぶって、ぱんぱんっと叩いてから手を合わせた。おいおい、ここは寺じゃねェんだから、そりゃおかしいんじゃねェの、なんて思いながらも口に出すことはしなかった。ナマエのことをじっと見た。きっと何を考えているわけでもないんだろうな、と。だってナマエは知り合いでも何でもないのだ。ちょっと仲良くしてる後輩の、顔も知らない兄貴のことなんて、無関係にも程がある。
 そんなふうにすこし突き放した考えを持っていたオレに、ナマエの声が届いた。


「えー……はじめまして形兆さん。ミョウジナマエと申します。億泰くんにはいつもお世話になっていて、億泰くんはとてもいい子で、優しい子です」

「お、おい、ナマエ……」

「すごく、頑張ってます。だから、これからも応援してあげてください。……また来ますね」

「……」


 なんだかなァ、と思う。──なあ、兄貴。オレは今、友達にも恵まれて、ガキ臭いのに大人でこんな変なやつだけどいい先輩もいて、元気でやれてるよ。兄貴がいたら、ってまだまだ何度も思っちまうけど、それでもオレは今、幸せなんだと思う。 ごめんな、兄貴。それからやっぱり、ありがとう。
 頭を下げるわけでもなく、手を合わせるわけでもなく、一方的に心の中で言葉を告げて背を向けた。ナマエが立ち上がる音がした。


「ナマエー、行こうぜェ」

「うん? 形兆さんとお話しは?」

「もう終わったってーの」

「そっか。じゃあお姉さんがアイスを奢ってあげよう!」

「おいおい、冬だぜェ?」

「えー、冬もアイス美味しいのに。あ、じゃあ肉まんもつけてあげるよ?」

「あー……まあそれなら」


 幸せ、だと思えるから。
mae ato

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