ごつり、嫌な音がした。力はほんの少ししか入れていないのに、拳は随分と赤く染まっている。無遠慮に殴りすぎたせいで、腫れてしまったのだろうか。拳を自分の顔へと向ける。ぬらりと光を反射させる赤。拳は少しも痛みを呈してなどいない。首を傾げる。ならば何故、こんなにも赤が拳にまとわりついているのだろう。擦りむけたからでもなく、切ってしまったわけでもなく、なのに、赤い。赤くて赤くて、目が眩んでしまいそうだ。こんなに薄暗いのに、はっきりと見えているだなんて。反対の手で触れてみると、ぬるりとした赤はまだすこしだけ温かい。温かい。温かいのは、腹の下、太股の内も同じこと。見ては、いけない。そう頭が警告するのにも関わらず、目線はゆっくりと下へ向かう。広がる黒、まだらな赤に侵食される白。ばちりと目が合うと色褪せた唇が弱々しく動いた。


「…じょ、たろ……」


 ナマエが承太郎の名を呼ぶ度に、涙が顔に筋を作っていく。意識が浮上する。ナマエ。ところどころ腫れた顔。そこにいくつも存在する紫色の痣。鼻と唇から流れる血。首には絞めた指の痕。ナマエ。おれのナマエ。ナマエ、ナマエ、ナマエ。


「、……ナマエ…」


 拳にこびりついた血は、逆らうこともできない非力な自分の女を馬乗りになって殴って殴って殴って、そうしてナマエの体外に排出されたもの。背筋がぞぞぞと粟立った。ナマエの小さな身体から飛び退いて、承太郎は身体を震わせた。
 まただ。またやってしまった。
 こうしてナマエを殴るのは幾度目のことになるだろう。十を越えていることは容易にわかったが、初めと最近のこと以外は、もう覚えていない。十を越えていると断言するのも難しいくらい記憶は朧気であるはずなのに、はっきりと言える。数えられないほど、ナマエを殴っている。承太郎にとって幸いなのは、意識が朦朧とし、ナマエを殴らずにはいられないときでもきっちりと自分の力をセーブできていることだ。普通の女を殺すことなど、承太郎の力を持ってすれば容易い。ナマエは見た目こそ派手に怪我をしているが、重傷になったことはない。けれど、それは。ナマエにとっては、不幸なことかもしれない。承太郎はぶるりと身体を震わせた。殴りたいわけじゃない。けれど殴らずにはいられない。ナマエが悪い訳じゃない。献身的で可愛らしいナマエ。このままだとナマエに捨てられるのも時間の問題だ。そんなときがきたらおれは、ナマエを殺さずにいられるのだろうか。


「……承太郎、」


 のろのろと起き上がったナマエが、承太郎の顔に手を伸ばす。承太郎の肩がびくりと跳ねた。けれどその手を弾き返すことはしない。温かい手が承太郎の頬に触れる。ブラウスの襟元からは痛々しい痣だらけの身体が見えた。全部、承太郎がつけたものだ。


「ナマエ、……おれ、は、」

「いいの、大丈夫だから」


 ナマエは承太郎の揺れる声に小さく笑顔を見せる。紫色の痣や赤い腫れのせいでいびつな笑みになってしまっていたが、承太郎は堪らなくそれに安心してナマエを抱き締めた。幾度も名前を呼び、幾度も名前を呼ばせ、それから少しだけ泣いた。じわりと生暖かい水がナマエの服に染み込んでいく。


「ずっと、一緒だからね」


 だからここまでおちてきて

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